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今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

名胡桃城址に行く

2016年11月21日 | 城巡り

ファミリーオに泊った翌朝、たくみの里を後にして、バスで停留所1つ分の湯宿温泉まで下り、狭い温泉街(つげ義春の「ゲンセンカン主人」のモデルになった所)を歩いた。
それなりの雰囲気が残っている。
なるほど温泉にこだわりたければ、こちらに泊ればいいのだ(ただ、「ゲンセンカン」の雰囲気は味わいたくない)。

今日は、帰途に「名胡桃城址」に立ち寄る。

この城は、戦国末期における真田と小田原北条との勢力争いの接点の地で、
すでに天下人に上り詰めた秀吉による裁定で、この城自体は真田領となったのだが、
それに不服な北条方の沼田城代がこの城を攻めたために、秀吉の怒りを買い、
天下統一の小田原攻めのきっかけを与えてしまった、因縁の城だ。

今年の大河「真田丸」のおかげで、来訪者が激増しているらしい。
私は別に真田ファンではないが(家紋は共通)、山城ファンとして、今回の旅のついでにぜひ訪れたいと思っていた。

ただし、国道17号バイパス沿いにあるのに、バスの便がないので、上毛高原か後閑駅から40分ほどの徒歩を強いられる。

私は、地図とにらめっこした結果、帰途のバス(上毛高原も後閑も経由する)で、「月夜野郵便局前」のバス停が最も近いこと(といっても駅よりは少し近い程度)がわかったので、そこで降りて、
ipadに入れてあるMapfanを頼りに(GPS受信機も稼働)、地元の義士・茂左衛門(百姓の身ながら将軍への直訴によって苛政の沼田城主真田氏を改易させ、自らは死罪)を祀る地蔵堂を経て、名胡桃城址に達した。

城址の入口にレストラン跡のような案内所があって、中に売店もあり、多数のパンフ、お茶のサービスなどが受けられる。
道路沿いには六文錢の旗が並んでいて、いかにも地元は真田を顕彰しているようだが、江戸時代の真田の殿様は先にも触れたように、悪政で領民を苦しめた。

案内所入口の立看板に、今日熊が出たので立入り禁止という紙が貼ってある。
本郭と般若郭の間の谷から猟銃を持った人が上ってきたので、様子を尋ねたら、今朝、子グマが目撃されたらしい。
子グマがいるなら、親熊もいるので危険なのだ。
といっても谷の下は集落があり、谷上のこちらも車が絶えず、それを見込んだ店もある。
すなわちあたりは人里だ。

熊の話にもめげず、台地上の整備された城址に足を踏み入れた。
郭の平面や堀切が明瞭で、さらに土塁が復元され、石積みも残っている(写真)。
本郭には徳富蘇峰による碑があり、四阿に熊除けの手で振り回す鈴が置いてあったので、振り回して音をたてた。

縄張り尖端の「ささ郭」からは、眼下の利根川が一望で、この城址は大きな河岸段丘の上にあることがわかる。

ネットで電車の時刻を確認し(1時間に1本程度なので)、ここから利根川向こうの上越線の後閑駅まで歩く。
予定通り40分ほどで駅に着いて、ほとんど待たずに電車に乗れた。