研究者としての存在の証しでありノルマである論文を仕上げたことは、酒好きに言わせれば祝杯に値する。
双方にあてはまる私が、祝杯を一日延期したのは、酒好きの論理が勝ったからである。
つまり私は研究者である以上に酒好きなのだ。
ボジョレー・ヌーボー解禁日の方に祝杯を合わせたのである。
ワインに限定しない酒好きにとって、ボジョレー・ヌーボー解禁は、堂々たる酒の祝祭日である。
これには”初物”を賞味することに無上の価値をおく江戸っ子気質も関与しているかもしれない。
ワインは、熟成したフルボディの年代物に限るという自称ワイン通は、このライトボディの新酒騒ぎに冷笑しているだろうが、収穫を祝うという人類に共通している祝祭を否定するのなら、こちらの方こそあんたらを冷笑したい。
そう、ボジョレー・ヌーボーは、日本ではほとんど死滅した”秋の収穫祭”(新嘗祭)の復活なのだ。
それに日本が経度の関係で世界で最初に味わえるという”初物”感覚が加わり、
さらに個人的な論文原稿の仕上げという祝いが盛り込まれる。
これを祝わずに、何を祝えというのだ。
悔しかったら、日本酒の新酒(あらばしり)祭をやってほしい。
やってください。