今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

武蔵嵐山木曽義仲史跡巡り

2017年12月03日 | 城巡り

東武東上線の終点小川町の1つ手前の「武蔵嵐山」で降り、木曽義仲の史跡巡りをした。
同じ駅から、小倉城などの山城巡りにしようか迷って、前の晩に、易占にかけたところ、小倉城の方はきっぱり「行ってはならない」と出たので、行ってよいと出たこちらにした。
そういえば、前回の嵐山の杉山城巡りの時にこの地は木曽義仲の史跡の地であることを知り、次回はそれを目的に訪れるとここの記事にも書いたことを思い出した(かくも易占は正しい方向に導いてくれる)。

新しく買った靴の試し歩きでもあるので駅からひたすら歩く。
都幾川を渡る学校橋からは、笠山・堂平山が見え、眼下の都幾川は透明だ(写真)。

まず義仲の父・義賢(ヨシカタ)の墓(五輪塔)に詣でる。
彼は同族の義朝(頼朝の父)の息子義平に襲われ、2歳の子駒王丸(後の義仲)を残して斃れる(大蔵合戦)。
墓の向いに、地元の大行院が建てている顕彰の石碑群があり(未完成)、そこに詳しい解説が書かれている。
ついでにこの大行院に行ってみたら、真言宗の寺で最近建てられた石仏の量がすごい。
なんか、香港のタイガーバームガーデンを彷彿とさせる。
この寺の神明殿に行ったら、中に信者がぎっしりいて、外にも坐っている。 
ハデハデしい宣伝はしていないのに、よほど霊験あらたかなのだろうか。

この寺、部外者の撮影を断固拒否しているが、さきほどの顕彰の説明などを見ると、真摯な態度がうかがわれる。
神明殿前に手作りらしい茶杓があって、「ご自由にお持ちください」と書いてあったので、賽銭を入れて1ついただいた。
ただ私はもともと真言系の雰囲気は苦手なので、長居はできない。

大蔵館跡の大蔵神社(トイレ有り)に詣で、 あえて川近くの平坦な道を歩いて鎌形八幡神社に着く。

ここは木曽義仲が産湯を使った清水があるというところで、境内には「木曽義仲」の幟がたなびく。
この風景、義仲旗揚げの地・信州木曽の日義村とそっくり。
その清水は手水にもなっているので手と口を浄めて、石段を登ると、森厳な社殿に達する(写真)。
風格のある社殿そのものから霊気を感じる。
参拝して、近くの大きな二股の神木に手を近づけるとビリビリと”気”を感じる。
周囲の摂社を巡って、清水にもどって、バッグ内のペットボトルに清水を入れる。
今晩はこの水で酒を割ろう。

川沿いの公園を抜けて、曹洞宗の班渓寺に達する。
 ここには義仲の側室・山吹の墓がある(墓はいい伝え)。
曹洞宗の寺は真言宗とは真逆の無愛想さが漂い、居ると叱られそうな気がして、こちらも長居できない。

さきほどの大行院の解説によると、義仲の側室の子が木曽からこの地を訪れ、義賢の旧臣とともに居づいたという。
そういうわけで、この嵐山の地は木曽義仲生誕の地としてアピールすべく、大行院も力を入れている。

道を北上して嵐山渓谷の紅葉を見て、駅に戻った。
本日の歩数2万4千歩。 
参考図書:『改訂 歩いて廻る「比企の中世・再発見」』 (埼玉県立嵐山史跡の博物館)