年末の予定が次々こなされ、あとは懸案の”山歩き”が残っている。
山の下りで左脚の腸脛靱帯が痛んで歩行困難になる。
これでは大好きな山に行けない。
左脚の衝撃を緩和する策として、歩幅を小さくし、爪先着地を心がけるといいのではないかという案がひらめき、半年前の御在所岳(高度差350m)でいい感触を得た。
今回、それを検証したい。
また、靴を”余裕のある”ものから”ぴったりする”ものに変更し、それについてもいい感触を得たので、山の靴も足サイズぴったりのものを購入したため、それも試したい。
今までの経験上、登山限界は標高700mなので、それに見合う山を予定していたのだが、
登山は少なくとも前日からの準備と当日の早起きが必要なことが年末のだらけた自分にネックとなり、
前日何も準備をせず、当日はいつもと同じ8時すぎに目覚めた時点で、700mの登山はあきらめ、
なにも準備せずふらりと遅出で行けるありがたい山、高尾山(599m)に行く事にした。
今では大人気の山だが、さすが年末なので、人出もいつもよりは少なかろう。
10時発の京王線に乗り、高尾山口に降り立って、登山口でルートを決める。
勝手知ったる山でしかもルートがたくさんあるから、それができる(しかも飽きない)。
なんの心配もない登りは、最短ルートで行きたいので、沢沿いの6号路で琵琶滝まで行き、そこからでケーブル駅のある霞台に直登し、2号路に出てからメインルートである1号路で薬王院を経て山頂に向う。
この登りの時点で、もう左膝に違和感を覚える。
薬王院で参拝すると、ここにも寺で”二拝二拍手一拝”の神社式礼拝をそれが正しいと信じてやる人がいた。
もちろんいい歳した大人の日本人(しかも複数)。
今ではどこの神社にも丁寧に礼拝の仕方が説明してある。
寺にはそれがない。
その結果だ。
日本人の”常識”に頼れない現在、仏教寺院でも仏式礼拝の仕方をまずは日本語で説明する必要がある。
もっとも私自身は、明治政府の「神仏分離」を日本人の自然な宗教心の破壊と感じ、神仏習合の復活を願う一人。
それに真言宗は”神も仏も”の伝統が生きており、奥の院は”権現堂”なので、そこは神式の礼拝でもいいかもしれない。
だから「神仏は一体なり」と確信犯的に寺で神式の礼拝をするならそれでOKだが、単なる無知でやっていたら恥ずかしい。
1号路はゆるい登りで山頂に着く。
登り口から標準タイム90分のところを65分で来たからまずまず。
山頂から少し下ると正面に富士が見える(写真)。
昔の高尾山頂は樹木が茂って展望がなくつまらなかったが、樹木を切り開いたためなのか、富士も都心も見えて気分がいい。
いつもの休日なら昼時の山頂は昼食を取る人たちで立錐の余地がないが、さすがに今日は空間に余裕がある。
山頂にはもとからある曙亭とやまびこ茶屋の他に新しい茶屋も開いていたので、もりそばを注文した。
店はアジア人の夫妻が切り盛りしていて、味とサービスに一瞬不安を覚えたが、サービスも日本語も問題はなく、そばも手打ちでおいしかった。
さて、問題の下りだ。
高尾山は限界標高である700mに100m低いので、ここは強気に、一番長い稲荷山ルートを取る。
このルートは整備された「n号路」ではなく完全な山道。
しかも、持参したストックもあえて握らずリュックにつけて、膝用の鴻江ベルトも巻かずにおりる。
ただし歩幅は短く、爪先着地(正しくはフラット着地で心持ち爪先が先)で降りる。
軽快な足の運びになりそうなのをあえて抑えて、 先を行くおばさんグループと同じペースで降りる。
稲荷山の展望台からはスカイツリーや筑波山も見えた。
高尾山は、午後になっても、登ってくる人がいる。
確かに、この山は安全だし(特に1号路)、この展望なら日没の富士や、東京から横浜の夜景がきれいに違いない。
今は駅前に夜までやっている日帰り温泉もあるので、今度は日没登山でもやってみるか。
と気楽に思いながら、足下に下界が見えてきた頃、にわかに左脚がうづいてきた。
このまま左脚を使うと耐えがたい痛みが来ることがわかる感触。
最後の階段は、一段ずつ右足で降りた(ここまで高度差390m)。
登り口に降り立ち、ここから先は平坦なので、左脚の感覚は元に戻ったが、
私の心は敗北感に満ちていた。
都民のハイキングの入門である高尾山が私の限界の山になってしまった
これでは日没登山も無理(下りにケーブルを使う以外は)。
ちなみにぴったりの靴は、足が痛むことはなかったが、もう少々余裕がほしい感じだった。
こちらは履き慣れてくればなんとかなりそう。