今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

文京の桜を見に行く2021

2021年03月27日 | 歳時

満開の桜に浮かれた心は簡単には鎮まらない。
3月末の晴天の土曜に家に篭っているわけにもいかず、今日は地元文京区の桜を見に行く。

文京の桜といえば、ネットでは”江戸の二大庭園”であった六義園(柳沢吉保の庭園)と小石川後楽園(水戸光圀の庭園)が紹介されているが、これらの名園にとっては、桜は植込の木の1つでしかなく、決して主役ではない(個人的には、六義園は紅葉、後楽園は梅が見所)。

区民にとっての”文京の桜”と言えば、「文京さくらまつり」の会場となる小石川の播磨坂(松平播磨守の屋敷跡)の桜並木。
天気がいいので、ここに歩いて向う。

途中、白山神社に立ち寄って「白山旗桜」という名木(江戸三名桜の1つで、現在はその後継木)を見る(写真:右下に人が立っている)。

さらに小石川植物園(五代将軍綱吉が幼い藩主時代の御殿で、その後御薬園となる。日本最初の植物園となり、もちろんここにも桜がある)の脇を抜けて、播磨坂の坂下側に出る。
ここから始まる桜並木は、「環三通り」(環状三号線の計画道路)と言われていた広い通りで、通りの中央部に歩道帯がある(名古屋の広すぎる道路にあるやつ)。
道路の両側と中央の歩道帯にいずれも桜並木になっているので、計3列の桜並木となる(写真)。

例年の「さくらまつり」なら出店も出るのだろうが、今年は道路脇の店だけで、歩道帯の見物客はマスクをしての漫(そぞ)ろ歩き。
といっても、なかにはベンチに腰掛けワイングラスを手にしているカップルや、道脇にシートを敷いて弁当を広げる家族連れがいる。

考えてみれば、道路脇の店内で食べるより、こうした方がまだ感染リスクが低い。
ここは遠方から人が来るような有名処ではなく、地元民だけで楽しむ所なので、密になることもない。

法治主義ではなく礼治主義者※の私にとっては、感染対策は、個々人が頭を使って実施すべきで(決して難しくはない)、無思考者を前提とした一律の禁止で縛る必要はない(店舗の営業もしかり)。
※:一律の法(ルール)ではなく、状況に応じた礼(マナー)で社会の安定を目指す儒教的理想主義。
少なくとも、地元限定の桜の名所はそれでいいと思う。

私自身は、桜は見て撮るだけでいいので、桜並木を通り抜けたら、そのまま茗荷谷の駅に向う。
昼時で空腹になったが、昨日のように店で食べる(そのため昨日は体重アップ)ほどではないので、駅前のスーパーで惣菜の焼そば(290円)を買い(レジで箸をもらい、レジ外のレンジで温めて)、店前のベンチに腰掛けて食べた。
体重コントロールを心がけると、かように食(費)も軽く済む(実際、体重が戻った)。

茗荷谷から地下鉄を乗り継いで、最寄の本駒込で降り、帰路につく途中に立ち寄った吉祥寺(曹洞宗の栴檀林:駒澤大学の前身だった)の境内の桜も、これまた地元の名所で、カメラを手にした人が集まっている。
まず山門を入った参道沿いの枝垂れ桜の枝垂れ具合が人間がすっぽり入るほど大きく、また文化財建築の経蔵をバックにした満開の桜もいい(写真)。

こういう名所だけでなく、近所の邸宅の庭から出て道路を覆っている区の保護木の桜や、児童公園内の年季の入った桜も、すなわち単独の木も、それぞれ思い切り満開なので見栄えがする。

”壮観”でなくていいなら、外出すればこうして至るところで桜を楽しめるのがこの時期の日本だ。