今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

閉眼片足立ちでシステム0を鍛える

2021年03月01日 | 心理学

前回記事にあるマハルシの本に触発されて、覚醒時でのシステム0※の経験ができないかと考えたら、自分がトライしている閉眼片足立ちの訓練(→閉眼片足立ちが困難な理由)がそれであることに気づいた。

※「心の多重過程モデル」における”心”を構成するサブシステム
システム0:覚醒・自律神経などのほとんど生理的な活動。生きている間は常時作動
システム1:条件づけなどによる直感(無意識)的反応。覚醒時に優先的に作動
システム2:思考・表象による意識活動。システム1で対処できない場合に作動

そもそも人体にとって片足立ちがいかに不安定な姿勢であるか、関節が動く人体模型で試せればよくわかる。
それを生身の人間がいとも簡単にやってのけるのは、視覚情報の連続的フィードバックによる、ほとんど自覚なしの微妙なバランス調整のためだ。
片足立ちでの身体の揺れ(足首付近で発生)は随時発生しているのだが、視野情報のゆらぎが瞬時にフィードバックされるので、揺れへの対処が随時自動的になされる。
 なので筋力が問題なければ、バランスをくずして倒れる事はない。

その本来の難しさをわが身で実感するのが、閉眼しての片足立ち。
視野情報からのフィードバックがなくなるため、片足立ちで必然的に発生する揺れがその都度修正されず、揺れの加算=増幅に抵抗できなくなる。
この増幅によって、揺れが身体上部にまで達して、臍付近の重心からの垂線が足底面から外れ、片足でバランスを維持できなくなる。
この時の”閉眼する意思”はシステム2で、視覚情報の無自覚(周辺意識)のフィードバックはシステム1である。
そして閉眼によってシステム1が無力になった状態での揺れの身体的制御は、それまで背景化されていたシステム0にまかされる。

システム0は意識を経ない心的活動(心理学では心が意識より広い概念)で、記憶や学習(システム1)にもよらない、反射的な身体反応をまなかう。

意識活動(中心意識:システム2、周辺意識:システム1)の中枢は大脳皮質だが、システム0の中枢は大脳皮質ではない。
閉眼時の身体バランスの維持は、大脳皮質の視覚野(後頭葉)からの信号が遮断された、反射的姿勢制御の中枢である小脳の活動なので、 閉眼片足立ちは、意識以前の心であるシステム0※が前面に出る。

※:システム0は小脳に限定されない。全身がシステム0。

ゆえに閉眼片足立ちは、システム0を直接経験できる※。
システム0が、倒れまいとするシステム2の”意思”とは独立(無視)して作動することを悔しいまでに実感する。

※他に、心拍、無自覚な呼吸、炎症反応、入眠・目覚めもシステム0の経験。

だが、訓練を繰り返すうち、次第にその暴れるシステム0を飼いならす術を把握してくる。
閉眼片足立ちの持続時間が延びてくるのだ。

それは、システム1(視覚情報)に頼らないシステム0だけの姿勢制御力が鍛えられていることを意味する。
すなわち、閉眼片足立ちの訓練は、小脳のシステム0を直接鍛える。
言い換えると、システム1が作動している開眼状態では(システム1の視覚情報は小脳に直接影響を与えるため)、システム0は一向に鍛えられない。

「心の多重過程モデル」は、心の特定システムに価値をおく(世間はシステム2、マハルシはシステム0)のではなく、各システムをそれぞれ十全化すること(真の”マインドフルネス”)を目的とする。