玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

ムッとしたこと

2016-07-05 14:25:58 | 愚痴

運転免許の更新に警察へ行った。カウンターの女性職員から「軽度の違反」があったので、別の日に講習を受けるように言われた。今度はゴールド・カードではないそうだ。何故だかムッとした。こういう時に、無性に腹が立ち、文句が言えない暴力を受けたと感じる。

3年前だったかな、農道を前の車に着いて走っていた。突然警官が旗を持って現れ、畑の空き地に誘導されて、10台ぐらいが一網打尽に捕獲された。40キロ道路を50キロで走っていたが、歩行者が誰もいないきわめて安全な道だったが。思い出せば、20代でも、中央高速で前の車と一緒に走っていたら、速度違反で免停になった。その時も3月だった。年度末3月に必ず行われる各警察署の悪名高い違反件数稼ぎのネズミ捕りだ。そんな馬鹿げたことが約半世紀間も延々と行われている。誰も文句が言えないのだ。合法的武力を持つ機関の公然の弱い者いじめだ。

多分だけど、このまま今の自民党内閣が進める方向に、国を向かわせるということは、こういった庶民のムッとした感情がどんどん累積される社会に向かうという事だろう。アベノミクスなんて、とても経済政策と言えるような立派な代物ではないようだ。単なる円安と株高の景気の刺激策と、儲かった大企業に社員の給料の値上げを懇願するだけの、その場しのぎのおっつけ仕事で、結局は国民の一部と大企業への諂い行為でしかない。

最近は、こういうことを愚痴として言うだけで、別に誰も聞かなくてもいいと思う。EU離脱の国民投票で考えさせられた。残された時間が短い人間たちは、将来の国の行き先を決定付ける1票を投じる資格があるのだろうか、悩んでしまう。

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ボロ儲けの職業

2016-05-24 14:09:33 | 愚痴

昔、この世界のどこかにボロ儲けの職業があると聞いてことがあるが、今まで一度も出会ったことがなかったが、最近マスコミのニュースでそんな夢のような職業があることを知った。それは政治資金という公的な資金を私的な日常生活に使って良いという職業であった。

家族旅行をして、ヤフー・オークションで美術品を買い、回転寿司で食事をし、アウトレットで鞄を買って、菓子折も買って、まさに普通の日常生活費だけど、それを政治資金という経費で引き落としていく。古びた自宅を政治団体に貸して高額な賃貸料を政治資金から出させ、避暑地の自宅には公費の車で、多分高速料金も上乗せして、これも又公費で負担させ、海外出張はファースト料金を公費で上乗せさせ、だからホテルでのビップ・ルーム待遇や豪華な食事なんかは推して知るべし。そんなちょろい職業がこの世に実際に在ったとは驚きである。

それが、どうも東京都知事という職であり、政治屋という商売のようである。こういう人物の名前の入った表彰状や感謝状、果ては営業免許書まで、何となく穢れてしまうような嫌悪感を持ってしまうのは何故だろうか。

こういう人間が仮に居たとして、他人から厭われ、蔑にされても、世間からの圧迫に必死に堪え、その任期を全うしたら、是を人一倍強靱な意志を持った奇特な人間と評価するべきなのだろうか。こんなことを、悩ましい判断であると立ち止まってしまう人間には、ボロい儲け口は決してやって来ない。

ちょっと気分転換群馬の温泉に行く途中で清流を見ました。水がきれいすぎると魚も棲まないのかな?

 (拡大はクリック!)
昼の蕎麦は格別でした。空気がきれいな所為かな。

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最近のママ事情

2015-08-08 21:19:10 | 愚痴

二、三日前、診療所の待合室でのこと。話はざっとこんなことです。評判のいい診療所で、いつも客が多いので、当然長い時間待たせられるだろうからと、予め本を持っていった。ひょっとして夏休みだから、子供も多いから、うるさいだろうと、耳塞ぎに音楽CDも持っていった。

果たして、私の隣には二人の子供を連れた母親が座った。そこで、彼女は子供にせがまれるまま絵本を読み出した。図書館でよくやる司書さんの読み聞かせではない。家庭でうるさい子供に時間つぶしで読む、そんなぞんざいな読み聞かせが待合室に流れた。ある家庭の居間がそのまま待合室に移行したようなものだ。当然、私は耳栓をしたが、そんなことはお構いなし、ずっと読んでいた。

やっと診療を終えて、調剤薬局に移動し、待合室で薬を待っていると、また先ほどの読み聞かせ親子がやってきて、私の前に座った。「今日はついてない」と思った。その親子の横で、やっと歩いているような男の子が元気に靴のままソファーに立ち上がってピョンピョン跳ねていた。やにわに、先ほどの読み聞かせママは靴のまま跳ねている子供のママに聞こえるような声で言った。「そこは靴のまま上がってはダメだよ」と。それを聞いた、少し若いママは、こういった。「○○君、靴を脱いでね」と。悪いが、その子はお尻から紙おむつがはみ出していたよ。そんな幼子が自力で靴が脱げると思えない。ずっと、その子は跳ね続け、その子のママは、「○○君、靴を脱いでね」と同じことを何度も言う。

二頭のモンスター・ママ予備軍を見た。あ〜あ、暑い夏のほんの小さなできごとでした。

先週のこと、湘南にある吉田茂も学んだという『耕余塾』に行きました。今は何も残って居ず、記念碑があるだけでした。

でも名前が良いね。耕作の余った時間に勉強とは。(由来はクリックして拡大してください。)

 

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憂鬱な祭り

2014-12-12 10:24:50 | 愚痴

いつも選挙の時になると、日本には政党がないと思う。あれだけ多くの党があって、その意見なり主張が新聞に載っていても、今この国の先行きに苦言を呈する政党がないというのは実に情けないことだ。当座の選挙に勝つために国民に心地よいことを言わざるを得ないのは判るが、今の状態はそういう安閑とした事態ではなかろう。東北被災地に行って思ったことは、百年経っても元には戻らないだろう、ということが解った。それは地方の過疎地にも共通している。そこには人もいない、物もない、何より就業の場もない。ただ老人ばかりが残る。その時住民に向かって救済を並べる政治家たちは、どこからその資金を持ってくるつもりなのか。それは簡単に言えば、地方から都市への富の収奪に他ならない。それを長年にわたって続けてきた政党が自民党である。選挙のための地方優遇は政友会以来の党是でもある。財閥頼みは、政友会・民政党以来の旧弊でもある。

結局、安倍政権は株価を釣り上げ、円安にして為替利益を企業に付与し、法人税を下げて企業優遇し、それらの効果が出たら、財界にお願いして、勤め人の給料を挙げようとしている。その間国民の長年の貯蓄を担保に、日銀から空銭を発行して国の借金を一時的に隠蔽している。その程度の安っぽい了見しか持たない党でもある。お祭りで、安物、偽物、紛い物を並べる香具師の濁声の中で、買う物がないのに買わなきゃならない子供の境地に似ている。それが憂鬱な選挙という祭りの姿である。

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「申し訳ない」を安易に使うな

2014-12-09 23:41:32 | 愚痴

医師からの処方箋に有効期限が入っているのを知らなかった。薬局に出したら、もう期限が切れていると突っ返された。病院に電話したら、薬剤師に頼めば、担当医と話して処方できるかもしれない、と教えてくれた。それで、また薬局に行くと、薬剤師は自分では電話をしないと云う。止むを得ず、その場で私が病院に電話をしたら、今度はたらいまわしにされて、担当科の事務員が、「その処方箋は期限が過ぎれば無効だから、もう一度先生に頼んで出してもらうしかない。その場合は、健保が効かなくて、自費になる」との答えだった。何だか無性に情けなくなって、私は言った。「そんな不条理がある筈がない。それはおかしい」と。しかし事務員は何度も「申し訳ありません」と繰り返すだけだった。つい言ってしまった。「貴方の言った〈申し訳ない〉はこの場で使うような言葉としては適切ではない」と。彼の繰り返す〈申し訳ない〉という言葉は、ただ私を遮断している道具ように感じたのだ。〈申し訳ない〉はちゃんと努力したが、残念だけど実現できなかった時に使う言葉だと、私は心の中で思ったが、「貴方と話しても無駄なようだ」と電話を切った。横で、「ほら見たことか」と呆れた顔して失意の私を眺めていた薬剤師が「今は厚生労働省が厳しいのだ」と云った。

正直おかしいと思った。本当に病気で体が動かない人間が、処方箋の期限が過ぎて無効だからと、また病院に行き、長い時間順番を待って、やっと医師に面会し、再発行のために金を払う。どう見ても医療制度の本髄からずれている。

 家に戻って、もう一度別の薬局に電話をしてみた。そしたら、そこの薬剤師は「医療費請求が月を超すので病院は嫌がるけれど、一応電話してみます。もしダメな場合もあるから、わざわざ来るのは大変でしょうから、その処方箋をファックスで送ってくれ」との指示だった。結果は、薬は出ることになった。その薬を取りに薬局に向かっていると、携帯電話が鳴った。先ほど断った病院の事務員の上司らしい人から「すみません。よく判らない者が答えてしまって…」との謝罪があった。

 なんか情けなく、悲しくなった。日本の中に、外人の日本人が居るような時代になった。ゆとり教育なのか、グローバリゼーションなのか、なんでも強く大声で言った者が勝ちの世界だ。

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