大雨が降ると、山間にある四万十川は大きな雨の覆いにすっぽりと包まれてしまう。木々の緑が雨の中に映える。年寄り共が苦いコーヒーをすすった。
誰れ彼ともなく、言い出した。「あの顔気もち悪いんだ」「テレビにあの嘘つきが映るとチャンネルをかえてしまうんだ」「でも若い人たちの支持があるんだって、わからん時代になったな」
年寄りの愚痴である。悪運の強さも政治家の証!
大雨が降ると、山間にある四万十川は大きな雨の覆いにすっぽりと包まれてしまう。木々の緑が雨の中に映える。年寄り共が苦いコーヒーをすすった。
誰れ彼ともなく、言い出した。「あの顔気もち悪いんだ」「テレビにあの嘘つきが映るとチャンネルをかえてしまうんだ」「でも若い人たちの支持があるんだって、わからん時代になったな」
年寄りの愚痴である。悪運の強さも政治家の証!
こんな人たちに負けるわけにはいかない
≒あっちのほうだから良かった
さほど変わらないように思うのだが、…
なのに、安倍総理大臣〇で今村復興大臣が×、どこが違うのかな?
なんか腑に落ちないス。
ともかく、安倍政権にかかわる人たち、こんな人たちになりたくない。
四万十川
かつて、これほど、無恥で傲慢な内閣があっただろうか。バカヤロウ解散の吉田茂ですら、答弁を終えて席に戻る間に、つい「バカヤロウ」と呟いたのを聞かれて、辞めたという。
籠池氏に関係していたら、国会議員すらやめると言ったら、それは当然に辞めるべきだろう。一応、一国の首相なのだから、嘘を付いたら国民全体に示しが尽きません。それすら、ほおっかむりです。武士に二言はないのに、政治家には二枚舌がある。
自らが余程偉いと思い込んでいるのだろう。その裏には籠池氏を侮蔑しているからだろう、だから、平気で自らの疑いを濡れ衣と言わずに、侮辱という言葉を上から投げ返す。まさに、無思慮で、品性の欠けた首相と言わざるを得ない。
それなのに、次々と、時の権力者の思いをあれこれ忖度して、国会議員たちが無様な擁護論を国民の前で披露している。中には、やっている自分が恥ずかしいのか、唇を歪めながら抗弁している議員もいた。TVを見てると、なんか可笑しいが、日本全体が恥ずかしい事になっている。
ネットでは、どんどんフェイク・ニュースが流れてきている。まあ、末法の世界です。この際、明治維新以来の歴史観をもう一度見直して、如何せん奴隷のような生き方が江戸時代以来すっかり習い性に成っている日本民族の根幹の在り方を見つめ直すべきだと思う。
それは、当然に、あの時代遅れの『教育勅語』の真ん中部分とは違った方向であるべきでしょう。まずは、他人に嘘はつかない。言ったことは守る。失敗したことは謝る。度が過ぎた忖度をした部下をたしなめ、自らの姿勢を戒める、等々。みんな普通の正直な人々の生き方だよ。政治家とは不正人だな。
底知れない悪人だが、おもて面は正義の人、そんなありふれた政治家に飽きたのか。丸見えの悪人で、中はもっと悪人で、暴言と巧言を巧みに使い分け、一片の可愛さも愛嬌もない。摩訶不思議なグロテスクな怪物を思わせる。彼の前では、毛沢東の髪型を真似た肥満児殺人君主もどうも比較できる場に居ないようだ。まあ、どちらも髪型に特徴があり、漫画チックではあるが。
かつて見たB級映画に出て来る悪徳保安官や野蛮な牧場主にそっくりである。そうした町の卑劣漢でも陰で支持していた名もなき意地悪な民衆が居たことをあの映画は教えてくれなかった。
今季のテレビドラマを録画して、ほんの15分も見ると、先の筋が読めてしまい、消去してしまう。どうも年寄り向けに造られていないようだ。そんな訳で、ケーブルテレビの映画をよく見る。F・フォーサイスの『戦争の犬たち』を見た。不思議なことに映画の中の古めかしさが、これから始まる回帰現象を思い起こさせた。
全世界が注目する新大統領報道官の第一声が、「就任式に集まった人数が少ない」と報じたメディアへの抗議だった。報道官の顔が、かつて東西冷戦の時代の青白い顔のソ連官僚と同じような顔をしていた。権力者に追従し、必死に忠誠の顔を演じていた。
北朝鮮ではない、中国ではない、一応自由と民主の国のアメリカで、権力を全面に出した政府報道が行われるとは思わなかった。民主政治は衆愚政治に流れることがあると学校教育で習ったように、民主制は運用を誤ると怖い事になる。合法的にナチの独裁が成立したように、アメリカは、選挙によって、何かが変わろうとしている。
戦争を知らない世代として幸福を噛みしめてきたが、人生の晩年において、地球環境の変化、2回の大地震、津波による原発事故、等と徐々に厭なできごとに遭遇してきた。また、ここで、繊維交渉、自動車産業への抑圧、そして、蜜柑を捨ててオレンジを喰えというあの虚しい日米交渉という名の経済紛争が始まるのだろうか。 はたして、歴史は繰り返されるのだろうか。