駅で老人たち数人が、憲法9条改正反対のアジ演説をしていた。なんか老人ばかりというのが気にかかった。悪いが、君たちはもう戦争には行かないだろう。孫のために頑張っているのか。老人の暇つぶしか。ひょっとして、昔の労働運動を思い出しているのか。街頭演説と言えば、スピーカーがつきものだ。スピーカーが演説者の地位保全の役割を演出しているのか。それにしても、入歯なのか、声が出ないのか何を言ってるのかよく聞き取れない。
そういえば、近ごろの若者はこういうことに興味を持たなくなったようだ。去年の冬のこと、故あって、某大学のキャンパスにいた。学生が2.3人、スピーカーをもってキャンパスに入ろうとして、校門の処でガードマンと職員に阻止されていた。その大人しく、品の良い振る舞い、どこかのおぼっちゃん小学校の生徒みたいに従順だった。今の大学生は、強行突破なんかする勇気は全くなく、ぐじゅぐじゅと文句を言っていた。情けないというか、おまえらどういうつもりで運動しているのかとか、聞いてみたい。どうしても演説をキャンパスで演説したけりゃ、その場にスピーカーを置いて、学生証を堂々と提示すれば大学側も入れざるを得ないだろう。そして、キャンパスに入り、肉声で演説をすればいいじゃないかと言ってやりたい気がした。でも、そのことを、通りかかった自分が言わないのも駄目か、・・・。
今日の老人たちの演説を立ち止まって聞いてやればよかったのかな。でも、聞いたら、何かを言い出しそうな自分が怖かった。