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玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

同床異夢

2014-06-04 00:43:03 | 時事

同床異夢の東西の王様がやはり別れた。思えば、二人の共通点は、自己肯定が強く、反面、自分を認めない他者を徹底して馬鹿にする、ということぐらいだから、早期の別離は当然だろう。ただ、二人とも声が大きいので、迷っている群衆の注意をひく存在ではあるが、ただそれだけのこと。

日本という国は島国であるからして、容易に民族的な均質性を持てる。その点から、「国民国家」の基本を充たすが、現在の日本はその歴史の中に空白をかかえている。また国としてのアイデンティティも明確ではない。欧米の国民国家論が必ずしも民主制への前提条件とは思わないが、東の王様が言うように憲法改正を進め、国の根幹を埋め込み、強いアイデンティティを造ろうとするのならば、むしろ現状のままの方が良いと思う。

戦後、日本の歴史認識は天皇制の総括をしないで、象徴天皇制として継続したことから、戦後世代は、どこかぼんやりと蔽われた、あるいは、筋が通らない歪な歴史を与えられてきた。ポツダム宣言を受諾した理由のひとつは、昭和天皇の国体護持の鞏固な信念にあった。国体護持という言葉の意味するところは、つまるところ、《天皇による統治の継続に他ならない。》もう一つは、『昭和天皇独白録』によれば、「このままでは日本民族は滅びてしまう。私は赤子を保護できない」と言ったそうだ。ただし、旧憲法下では、国民は天皇の臣民であった。

昭和天皇が死ぬ時、《まるで偉大な神が死んでいくかのような報道や自粛が行われた。》そうしたことに何の違和感も感じないで、昭和と平成の境目で粛々と行われたことからして、この国の空洞を、今の怪しい政治家たちの主導のもとに簡単に埋めてほしくない。

《引用文献:多木浩二『戦争論』岩波新書》

コメント (1)
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