最近、人気のあった二つのドラマが終わった。二つの共通点は「終わりがだらしないと結局台無し」の典型である。「〇〇妻」は、未成年のシングルマザーが育児逃避によって我が子を殺してしまったという過去を持つ主人公が、自らの過去の罪を家族の範囲までは許されたが、社会全体で許される前に、死という形で突然締めくくってしまった。ドラマの落ちを主人公の死によって、物理的な消去を図る、最も安易でつまらない結末と言っていいだろう。「ウロボロス」は二人の若者が恩人の復讐という目的を果たすために犯人を追い求めるのだが、その捜査には殺人も厭わないという暴力的反社会的なドラマだが、娯楽なのだから、それはそれで面白ければよいのだが、最後だけ、真犯人の処罰を法に委ね、恋人のところには戻らず、反社会的な生き方のまま、自らの命を絶ってしまう。結局主人公の死によってドラマを終了させた。両ドラマとも、結局、娯楽なのだから、もっと自由に制作すればいいものを、最後の結末だけ、急にブレーキをかけて、辛気臭い倫理性を持ち込んで終了させてしまっている。何故だろう、現代の日本の続発する反社会的行為を恐れている社会的風潮がそうさせているのだろうか。何だか社会の閉塞感が増すだけで、意味がないような気がするのだが、…。
〇春近し…
その次は、ハナミズキ、この順番は変わらない。