玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

森功『国商』を読んで (その7)

2024-08-15 17:17:27 | 

70年代に就職する時には、社会人として知っているべき一般教養として「3K赤字」というキーワードがあった。

つまり、「米・国鉄・健保」のKをとってそう呼んだのである。

特に深刻な政治的な問題を孕んでいたのが国鉄であった。耳学だが、戦争に負けたツケが国鉄職員の大量雇用に在り、赤字の原因でもあったと記憶している。特に国鉄の組合は強く、春闘での鉄道ストは社会の停滞を招くと腐心する人達もいた。

そうした状況の中で1980年代に国鉄は民営化と分割化の検討されていた。

1980年7月鈴木善幸内閣において、中曽根行政管理長官が就任し、1981年3月第二次臨時行政調査委員会(東芝元会長土光敏夫)を設置された。国鉄分割論に田中角栄らは反対だった。運輸省も分割化には慎重だった。国鉄内部でも揉めていて、若手三人組と上層部とは意見が分かれていた。

1982年11月中曽根内閣が成立し、国鉄の民営分割論が実現していくことになる。その先頭に立った若手三人のキャリア国鉄マンが、やがてJR西日本の井出正敬、JR東海の葛西敬之、JR東日本の松田昌士と社長に昇り詰めていくのである。

 

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終戦の日に

2024-08-15 09:14:54 | つぶやき

かれこれ10年前位に、「最近は戦後とは湾岸戦争後を指すと思っている学生がいる」と或る教授がため息混じりに言った。その時、フッとワタシは笑ったが本気にはしなかった。

ただ、アメリカ軍が駐留していた時期は「終戦ではなく敗戦の日」と新聞には書かれていたそうだ。

戦争は終わろうが敗けようが、この圀は随分と戦争とは拘らないで戦後七十九年が過ぎた。これも憲法九条のお蔭だと思う人が少なくなったようだ。

こう云うと、忘れた頃に戦争がやってくるのかもしれない。

 戦争が廊下の奥に立ってゐた 渡辺白泉 (大岡信『折々のうた』から)

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