それにもかかわらず冒頭に述べたような誤解が生ずるのは,
昭和天皇が,戦争直後の国内御巡幸のほぼ全てを
お一方でなさったことと(最終回の北海道御巡幸はお二方でしたが,
香淳皇后がお風邪を召され,御同伴の部分が非常に短くなりました。),
昭和53年以降,香淳皇后の御健康がすぐれず,以後は,
昭和天皇お一方で諸行事にお出ましになっていたことによるのでは
ないかと思われます。
特に,香淳皇后が8月15日の戦没者追悼式に昭和天皇と
御一緒に御臨席になったのは,昭和55年までで,昭和56年以降は,
昭和天皇がお一方で御臨席になりましたが,
昭和天皇お一人の映像が今でも時折放映乃至掲載されるので,
諸行事には昭和天皇お一方でお出ましになっていたという印象が
殊更に強いのかもしれません。
しかし,御不例以前の香淳皇后は,実に度々に昭和天皇と
御行動を共にされており,この誤解は正されなくてはなりません。
香淳皇后のお怪我や加齢以後の御公務についての誤解が次第に
重なり,中には御同伴のないことが昭和の伝統であったとする
極論までありましたので,以上説明する次第です。
考えてみると宮内庁の反論は当たり前。恐れ多くも今上陛下のお母上に
対して女性週刊誌も女系派も失礼な事ばかり書いていたんですから。
今上としても母上の事をたてに今の皇太子夫妻のありようを語られては
頭に来るでしょうね。
確かに今、映像として流れるのは昭和天皇最後の戦没者式典とか
戦後のご巡幸とか・・だと思いますけど、私達の世代が小さい頃に
毎週やってた「皇室アルバム」ではお二方揃っての公務ばかりだった
し、赤十字の式典にもきちんと香淳皇后は出席されてました。
養蚕のお手伝いを美智子妃殿下がしているシーンなどもみた事が
あります
戦時中は一生懸命に赤十字の奉仕をされていたし。
ただ、今上と違うのは、当時、「美智子妃殿下&小さい宮様方」という
スーパーアイドル的皇族の出現で、昭和天皇と香淳皇后は年齢の事も
あり、あまりブラウン管には出てこなかった印象があります。
でも、植樹祭とか戦没者慰霊の式典とか、そういう「いざとなった時」に
カリスマ性が非常に高いお二人の登場には、国民はみな緊張して
見守っていたと思います。
今上ご夫妻は皇太子時代、とにかく毎週のように施設訪問をしていて
老人・障害者・子供・・・達とふれあい、催し物に参加され・・・そういうのを
テレビで見ていた時は、「こんなの絶対面白くないよね」などと
思っていた者です
ですから、本来、両陛下が続けておられる施設訪問や「豊かな海作り大会」
などは皇太子夫妻が積極的に、毎週のように行わなければ
ならない公務ではないかと思うんです。
正直「こんなのまで陛下がおでましにならなくても」と思う行事も
多いです
でも、これを下手に秋篠宮家に委託するとそれこそ東宮家からは
何を言われるかわからないし、格の問題もあって中々譲れないの
だろうと思います。
それでも岩手の地震の時に皇太子夫妻ではなく、秋篠宮夫妻が
慰問に行かれた事は聖断というよりやむを得なかった事ではないかと
皇后が大切にされている養蚕・ねむ木学園・旭出学園・児童文学
赤十字活動などは紀子妃と眞子内親王に譲られても誰も文句は
言わないでしょうね
ご高齢の両陛下は戦没者記念式典と植樹祭と園遊会くらいで
あとはごゆっくりとお好きな事をされればいいのにと切に思います
昭和から平成にかけて破られた伝統があるとすれば、それは
「楽隠居したくても跡継ぎがしっかりしていないからできない」という事に
尽きると思います。