ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

天皇陛下80歳に  2

2013-12-23 14:13:07 | 皇室報道

 

 「子供の日」などの施設訪問を来年を最後に引き継ぐが、どのようなお考えから?

  あるいは今の体調は?

こどもの日」と「敬老の日」にちなんで、平成4年から毎年、子どもや老人の施設を訪問してきましたが、

再来年からこの施設訪問を若い世代に譲ることにしました。

始めた当時は2人とも50代でしたが、再来年になると、皇后も私も80代になります。

子どもとはあまりに年齢差ができてしまいましたし、老人とはほぼ同年配になります。

再来年になると皇太子は50代半ばになり、私どもがこの施設訪問を始めた年代に近くなります。

したがって再来年からは若い世代に譲ることが望ましいと考えたわけです。

この引き継ぎは体調とは関係ありません。

 負担の軽減に関する引き継ぎについては、昨年の記者会見でお話ししたように、

今のところしばらくはこのままでいきたいと思っています」

 あの・・・陛下。施設訪問を皇太子に引き継ぐお考えなんでしょうか?

  確かに年齢的にはそうかもしれませんが。

  皇太子の場合、一人で訪問する事になるし、下手したらなくなっちゃう可能性だって・・・・

 いくらご老体とはいえ、体調についてあれこれ聞かれるのは嫌ですよね。

 

 五輪招致など皇室の立場と活動について

「日本国憲法には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、

国政に関する権能を有しない」と規定されています。

この条項を順守することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています。

 しかし、質問にあった五輪招致活動のように、趣旨がはっきりうたってあればともかく、

問題によっては、国政に関与するのかどうか、判断の難しい場合もあります。

そのような場合はできる限り客観的に、また法律的に、考えられる立場にある

宮内庁長官や参与の意見を聞くことにしています。

今度の場合、参与も宮内庁長官はじめ関係者も、この問題が国政に関与するかどうか

一生懸命考えてくれました。今後とも憲法を順守する立場に立って、事に当たっていくつもりです」

 何となく曖昧な印象がします。

  本意ではないけど宮内庁がいいと判断したのだから・・・ともとれるし。

  どちらにせよ、陛下自身はあまり関わりたくなかったのだなと思います。

 

 インド訪問について

この度のインドの訪問は、インドとの国交60周年という節目の年に当たっておりましてインドを訪問したわけです。

 インドを初めて訪問しましたのは当時のプラサド大統領が日本を国賓として訪問されたことに対する

答訪として、昭和天皇の名代として訪問したわけです。

当時は、まだ国事行為の臨時代行に関する法律のない時代でしたから、

私が天皇の名代として行くことになったわけです。

 当時のことを思い起こしますと、まだインドが独立して間もない頃、

プラサド大統領は初代の大統領でしたし、これからの国造りに励んでいるところだったと思います。

ラダクリシュナン副大統領は後に大統領になられました。

それからネール首相と、世界的に思想家としても知られた人たちでしたし、

その時のインドの訪問は振り返っても意義あるものだったと思います。

 そして、私にはそれまでヨーロッパと中国の歴史などは割合に本を読んだりしていましたが、

その間に横たわる地域の歴史というものは本も少なく、あまり知られないことが多かったわけです。

この訪問によって両地域の中間に当たる国々の歴史を知る機会に恵まれたと思います。

 今度のインドの訪問は、前の訪問の経験がありますので、

ある程度、インドに対しては知識を持っていましたが、

一方で、日本への関心など非常に関心や交流が深くなっているということを感じました。

 ネール大学での日本語のディスカッションなど日本語だけで

非常に立派なディスカッションだったように思います。

また、公園で会ったインドの少年が、地域の環境問題を一生懸命に考えている姿も

心に残るものでした。

そういう面で、これからインドとの交流、また、インドそのものの発展というものに

大きな期待が持たれるのではないかという感じを受けた旅でした。

 これまた非常に無難な質問と答え。

 今回も雅子妃の体調問題や女性宮家に関する質問などはカットされたんですね。

  陛下がそれを望まないから?風岡がカットさせたのか?

  真意はわかりませんが、陛下からお子様やお孫様方の話が聞けないというのは非常に

  悲しい事ですし、陛下の人間性を垣間見る場がないという意味でマイナスだと思います。

稲刈り…みんな一応、長袖なのに、愛子内親王だけやけにラフな・・・年頃の女の子とは

思えないような姿で。

一体このお子は東宮御所ではどんな服装でお過ごしなんでしょう?

一般参賀の両陛下。

皇后陛下の御召し物が素晴らしい 色といい袖の透かしがなんとも。

皇后様、もっともっと華やかな色をお召しになって。

皇太子妃・・この襟がついたドレス、ついこの間も見たような気がするんですが。

それはいいとしても、見事にウエストのくびれが消えている。

あのアイボリーのドレスと同じように、ウエストの糸を全部外しているんですね。

どうしてこんなみっともない着方をするんでしょうか?

紀子妃と眞子様のドレスも多分着回し。でも、全然体型が御変わりなく。

素敵な親子だなあと。

願わくば眞子様にはもう少し華やかなドレスをお召し頂きたい。

お母様とお揃いのデザインじゃなく・・・・(お下がりのようですものね)

 

 

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天皇陛下 80歳に  1

2013-12-23 09:35:51 | 皇室報道

 パンパカパーン パパパ パンパカパーン 

天皇陛下、80歳のお誕生日おめでとうございます 

いつも国民を温かくお見守り下さり、ありがとうございます。

これからも日本国の象徴として、国家の安寧をお祈り下さいませ。

くれぐれもお体に気をつけて

 

 記者会見全文 

 傘寿の感想など

「80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、

やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。

私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、

その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、

オランダとの戦争が始まりました。

終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。

この戦争による日本人の犠牲者は約310万人といわれています。

前途にさまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、

本当に痛ましい限りです。

 戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、

日本国憲法を作り、さまざまな改革を行って、今日の日本を築きました。

戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の

払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。

また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。

戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、

人と人との絆を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、

本当に心強く思っています。

 傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地でさまざまに我が国の向上、

発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています。

既に80年の人生を歩み、これからの歩みという問いにやや戸惑っていますが、

年齢による制約を受け入れつつ、できる限り役割を果たしていきたいと思っています。

 80年にわたる私の人生には、昭和天皇をはじめとし、多くの人々とのつながりや出会いがあり、

直接間接に、さまざまな教えを受けました。

宮内庁、皇宮警察という組織の世話にもなり、大勢の誠意ある人々がこれまで支えて

くれたことに感謝しています」

 陛下の年代は「太平洋戦争」の痛手を体ではなく、心に受けた世代であると思います。

  大人であれば、あの時の戦争への歩みを冷静に受け止め、あるいは納得できなくても

   受け入れる度量があったと思うのですが、子供だった陛下には全てが理不尽に見えた

  事だろうと思うのです。

  それは皇后陛下も同じだし、雅子妃の両親である小和田恒氏もそう。

  日本を戦争へ導いた全ての事を理不尽に、納得できず、どう処理したらいいかわからない。

  そんな思いを抱えて生きて来た80年だったと思います。

  片方は、「戦犯ではないのか」と終生言われ続けた昭和天皇の息子。

  もう片方は「天皇こそ悪」と信じ込んできた得体のしれない左翼。

  私には陛下が「天皇である自分」というものに、ずっと迷いや罪悪感を抱えて来たのではないかと

  思えてなりません。

  日本国憲法を順守する天皇・・・でもそうすればする程、自分という存在とのギャップに苦しまれ

  こんな事は自分の代で終わらせたい・・・とどこかで思っているのではないかとすら思えるのです。

 「知日派のアメリカ人」の代表が、陛下にとっては「ヴァイニング夫人」でしょう。

  だけど、やっぱりどこかで真っ赤さ―に取り込まれたかなと思う事もあり。

  信じたいのですがね。

 「年齢による制約を受け入れつつ・・・」という言葉には「覚悟」がにじみ出て。

  本当に苦労が多い世代なのだなあと。

 

天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、

私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。

皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、

これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。

 これからも日々国民の幸せを祈りつつ、努めていきたいと思います」

 今日は朝から、この部分がクローズアップされており。

  いわゆる「孤独」発言と呼ばれていますね。

  でも、全体の文脈からすればいわゆる、本当の「孤独」という意味で使っているのでは

  ない事がわかります。

 どのような仕事をするにしても、立場が上になればなるほど孤独になる。

  それは例えば芸能界のトップと呼ばれる人もそうである・・・という事です。

  でも、陛下には皇后陛下という伴侶があり、支えになったとおっしゃっています。

  これは、いわゆる皇后バッシングが起きそうな今、牽制したのか?ともいえるし

  皇太子への嫌味?とか?秋篠宮夫妻への提言とか?

  いかようにもとれる言葉ですね。

 

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大輔!

2013-12-23 09:08:21 | つれづれ日記

 タイトル通り。

もうこの言葉しか出て来ません。

「大輔!」って。

誰が何と言おうとも、彼はフィギュア界のプリンスです。

 

 全日本選手権 結果 

 

1位・・・羽生結弦

2位・・・町田樹

3位・・・小塚崇彦

4位・・・織田信成

5位・・・高橋大輔

 羽生はすごかったよ。本当に。あの自信たっぷりな顔ったら

   メンタルが弱いと言われてきた彼がよくぞここまでと思います。

   ブライアン・オーサーとの関係がよいのでしょう

   震災を経験して、それが彼を変えたと言われれば、まさにそうかと思う。

   まさに伸び盛り。背丈も技術もすくすく伸びて、しかもイケメンだし?いいよいいよーー

   この調子で頑張っておくれ。

 一方、何とか表彰台に上がったものの、「これは彼の限界じゃない」と思ったのは小塚。

   なんだろうねえ。テンションが低い気がする。原因があるの?トラウマとか?

   本来は羽生より綺麗なスケーティングするし、世界一のスピンもすごいのに。

   何を迷ってるんだよーーしっかりしろよーー

 そして大輔 ショートプログラムの思い詰めた表情に胸がズキッ。

  でも、 フリーの練習中には笑顔が出てほっ。

しかしっ!!

転んだ時にスケートの刃で手を切ったんですって?

顔がやつれているような気がして。

 血だらけでも絵になる。

 これはもうドラマとしかいいようがありません。

 この時から目は真っ赤に。泣いてた・・・・

ミスを重ねていくごとに、これで(五輪行きは)終わったのかなという気持ちが大きくなった」

「これが最後かもしれないと思うと・・・」一緒に涙。

 

何で神様はこんなに残酷なんだろう。

高橋大輔程、芸術的なスケーティングする人は、世界にそうそういない。

ここまでオリンピックを目指して怪我を克服して来たのに、最後の最後にまた。

この事に一体何の意味を見いだせというんでしょうか?

いや、神様のなさることだから、そんな風にいじけちゃいけない。

大輔は本音はともかく、人の前では恨み言は口にしない。自分に厳しい。

だからこそいじらしい。だからこそ愛される。

それでいい?それでいいの?

潔いトップアスリートの仮面を脱いで、もっともっと泣いていいんだよ。

大声で悔しいーーって掴みかかってもいいから。

 

でも、神様お願い。もう一度だけ、彼で夢を見せて欲しい。

 

 

 

コメント (17)
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