ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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はあ?なお花畑大学教授  2

2016-02-02 07:10:00 | 政治

 国が滅びたら大変な事になるかどうか。

  亡国という時

  ア)現政権が崩壊するだけで現主権者は存続する。

  イ)現政権は崩壊し、現主権者も交代する

  ウ)日本民族が全滅する

の3つの場合が考えられる。

このうち、ウまで進めば万事休すだが、日本の民族が存続できさえすれば

ア)の場合はもとよりイ)の場合でも

(これが70年前の事態であったのだ)

じっと耐え忍んで努力を重ねれば、世界第2位第3位の経済大国にもなる事が出来るのだ。

 主権国家の意地だの、独立国家の体面だのは棄てて、ひたすら民族生き残り

  を図ろうではないか。

 現政権や現在の主権者よりも民族一人ひとりの人間の方がずっと大切なのであって

  核兵器、化学兵器の使用も可能性としては十分ある今日では個別的自衛権を行使すれば

  かえって危険極まりない事態を招くのではないか。

 ここらへんまで読むと頭がピキピキいって仕事どろこじゃなくなってるんですよね。

  お偉い方に意見するのはどうかと思うんだけど。

まず

ア)の場合・・・・現政権が崩壊し、現主権者は残る。これは例えば自民党が倒れて

         民主党が政権をとった時のような感じでしょうか?

         これが共産党が政権を取ったらはっきり言って恐怖政治の始まりになるんですけど

イ)の場合・・・現政権が崩壊し、現主権者も交代する。

         現主権者というのは先生によると「国民」ですよね?今は「主権在民」なんだから。

         という事は日本政府が倒れて主権者も日本人ではなくなるという事でしょうか?

         それとも先生の頭の中では日本政府が倒れて、皇室がなくなる程度の事とお考え?

         そもそも、天皇がいなくなったら、あるいは主権者が交代したら民族生き残りなんか

         図れないんですけど。

         なぜって彼らは「民族撲滅」をスローガンにしているんですからね。

        先生はイ)こそが戦争に負けてGHQに支配され主権者が天皇から国民に変わった

        だけの話だとおっしゃいますが、主権在民の今、どういう風に主権者が変わるのか。

ウ)まで行ったら万事休すって・・・・万事休すではなくこの世の終わりなんですが。

 「意地」「体面」は棄てよというが、そもそも「日本国」がなくて日本民族が生き延びる

   方法などあるでしょうか?

   イラク難民をみればわかるじゃないですか。彼らは国があってさえ国にいられないというのに

   まして国がなくなったら・・・・それこそチベットやウイグルのように漢民族によって

   血筋を絶やされてしまう事になるのですが、それでもいいのでしょうか?

 日本がじっと耐え忍んで努力を重ねてきたから経済大国になった?冗談でしょ?

   裏側で独立を勝ち取るためにどれほどの犠牲を払ったかわかってますか?

   そもそも「A級」「B・C級戦犯」の方々というのは、罪もないのに日本国が負けた責めを

   一身に請け負って死んで行ったんですよ。

  その犠牲の上に成り立っている日本をして、政権が崩壊しても主権者がダメになっても

   民族が生き残ればいいなんて本末転倒な考え方といえませんか?

 

 以上のようにみてくると、個人に正当防衛権がみとめられる以上、国家には個別的

  自衛権が認められるべきだとは当然には言えないのではないだろうか。

これに対して、いや国家には個別的自衛権が認められるべきでこれを認めないのは

 亡国の輩などという主張に従うと、かえって民族全滅、亡国を招くことになるのではないか。

 それこそ個人と国家を同列に考えるのは粗いのでは。

   個別的自衛権を認めるべきというのは別に個人の防衛権があるから・・・というわけでは

  ないと思うんですけど。

 

 憲法9条論地では、そのほとんどが同条の解釈論に終始し、その結論として合意又は

  違憲が主張されただけでそうした結論を導く決めてとなった筈の実質論が十分い議論された

  とは私にはとうてい思えない。

  ここでいう実質論は例えば次のようなポイントに関わる議論のことである。

  すなわち、それは日本の防衛をどうするべきかに関わる議論のことであって

  そうした議論は日本を攻撃・占領・管理しようとする外国があるのか。

 その外国の国内事情からみて、そうするのは無理ではないか。

   外国がそうしようと思うだけの魅力がそもそも日本にあるか。

 (低資源・人口減少傾向・人口推移の高齢化加速・章句両陛下自給率の大幅低下・

   原発の多数存在・原発のごみ処理問題・自然災害多発・国家財政の破綻顕著・

   武器の発達により基地確保の必要度定価等々を考えてみよ)

   という議論から始めてみてはどうだろうか。

 そうすると、おそらく、攻撃・占領・管理という大事にあえて踏み切る外国はまずはない。

 (関係国の間にホットライン開設が話し合われていることを思えば)

   小規模の小競り合い(例えば小さな島の帰属をめぐるそれ)があるにとどまると

   みるのが穏当な見方だろう。

 そうであれば、今にも軍隊をもって日本に攻め込んできそうな国があるなどと

  国民を「あおる」のはやめて、もっともっと粘り強く外交交渉を進めて上記の小競り合いを

  なくすよう努力すべきではないか。

 このお花畑っぷりにはあきれてものが言えません。

   竹島や尖閣諸島の領有権を「小競り合い」として終わらせるその程度の低さ。

   米倉先生がおっしゃるように魅力のない日本の小さな島をなんで韓国や中国が

   欲しがるかわかっていないのでしょうか?

 「小競り合い」というけど、そもそもが日本のものなのに「実は私のものだった」と

  言いがかりをつけているのはあちらなのです。

   これが外交交渉で何とかなる問題ですか?

  あっち側だって外交で何とかしようなんて思ってない。

  だからこそ領海や領空侵犯を繰り返しているのではないかと思うのですが。

  あんなに広い領土を持っている中国が、それでも南沙諸島に勝手に軍事基地を

  作ってしまう。逆らわないのは外交交渉が足りないのではなく、弱い国だからです。

   武器がないから、戦う人たちがいないから自国を防衛出来ないのです。

  国連も国際司法裁判所もなんの役にもたたない事は、今のヨーロッパをみれば

  一目瞭然ではありませんか?

 

・・・だけど、左巻きの人達は大概、こういう風に思っているのです。

何だかもう・・・という感じです。

 

 

コメント (5)
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はあ?なお花畑大学教授

2016-02-02 07:00:00 | 政治

先日も書きましたが、暇な時間に「戸籍時評」の1月号を読んでいたら

東京大学名誉教授の米倉明先生という方が、下記のような文章を書いておられまして。

読んでびっくり、あらためてさらに読んでびっくり。

こんな人ばかりであるなら日本はもう終わりだと思った次第。

確かにふぶきは学歴がないので東大の名誉教授にはとても叶いませんけど

ちょっと引用しつつ意見を述べてみたいと思います。

 現行憲法の公布にあたり、昭和天皇が発せられた上論によれば

同憲法の制定を

朕は深くよろこび」とある。

公布時から施行時に至る期間は大日本帝国憲法が法形式的にいきており

したがって昭和天皇は主権者であった。

このことは同じく深く喜んだ・・・にしても、その期間中はまた被治者でしかなかった

国民がそうしたと比べものにならない、決定的に意味を持つのだ。

 

 たとえていうと、権利能力がある人が意思表示したのと、、それがない奴隷が

  意思表示したのとに類比出来るくらい相違がある。

  端的にいうと、昭和天皇が同憲法の制定を歓迎しておられたという事は

  もうそれだけで現行憲法は「押し付け」られたのではないという他なくなるのである

  曲折は色々あったとしても、最終的には現行憲法は当時の主権者により大歓迎

  された事になるからだ。

  主権者が大歓迎して受け入れた現行憲法をなお「押し付けられた」のだと主張するのは

  無理な話ではないか。

 

 もし、あくまで「押し付け」憲法改正論を堅持し続けるとなると、それは昭和天皇の

   ご意思に反する事になるから、同論者のいう「非国民」という言葉がそのまま

   はねかえっていくことになる。

 いわゆる「現行憲法は「押し付けられた憲法だから改正すべきである」という考え方は

  解釈にちょっと違いがあると思います。

  「憲法9条を守る会」などが「とにかく戦後の民主主義の象徴としてできた憲法なんだから

  絶対に変える事は出来ない」

  と言い張っているので、「いやいやこの憲法は、日本が主体的に制定したものであり、

  起草にはベアテ・シロタ・ゴードンというユダヤ系アメリカ人が深く関わっている。

  彼女が公平性を持って憲法起草に関わったというよりは、自身の体験に基づく

  「女性差別」への思いなどを取り入れた結果の「憲法9条」なわけで

  主権者であった昭和天皇は「喜ばざるを得ない」状態にあり、主体的に関わったわけではない。

 私達が「押し付け」という時、それは「日本人が憲法を決めることにかかわりを持てなかった。

  いいも悪いもなく受け入れさせられたという意味になる。

  (逆に言えば昭和天皇が「これを朕は喜ばず」と言えましたか?と、思いますか?米倉先生)

 別に押し付けでもそれが機能している間はよかったけれど、憲法の理念と現実が離れてしまって

  今の日本を取り巻く状況に対応しきれないので「憲法改正」をしたらどうか。

  その場合、日本人が主体的に決めた憲法ではないので、改正してもなんら悪い事はないんだよ・・・

  と、保守派はそう申しているのでございます。

 そもそも昭和天皇を尊敬しているわけでもなければ、天皇が当時、置かれた状況を

  きちんと把握しているわけでもない米倉先生が、「おまえは馬鹿だ」と言われて

  「そういうお前こそバカだ」というのはおかしなことです。

 

 ちなみに「非国民」よばわりする人々はどうしてそれほど「偉く」ふるまえるのか。

  一体どこにそのような振る舞える権限があるのか。

  日本国民たる要件は国籍法の定めるところにあってそれによれば

  一方の国民が他方の国民の「国民性」を否定することが気安く出来る筈は

  ないのだから、非国民よばわりする人々に無権限でそうしているだけであって、全然

  気にする必要はない。

 気にしてないならいいじゃないか・・・・と言いたいです。

 「国益を損なう思想の人」に対しては「非国民」としか言いようがないから

  そう言ってるだけで、他に言いようがあるなら教えて頂きたい。

  しかしながらその言葉が何の権限もない事は百も承知です。

 

 個人と国家とを無造作に同列に並べた立論はいささか粗い。

  個人の場合には予兆なしにいきなり攻撃される場合が多くみられるし

  個人の生命は一つしかないので個人によるとっさの防衛が認められるべきだが

  国家が攻撃してくる場合には軍隊動員などの予兆がみられるので

  外交交渉によりその攻撃を未然に阻止できる余地が比較的大きい。

 国家の個別的自衛権発動の必要度はそれだけひくくなり、個人の場合のように

  即時応戦を認めるべきだとはただちに言えない。

 それに即時応戦の結果は戦争になり多くの犠牲者が出るだろう。

   むしろ応戦しないで外交交渉を重ねて犠牲の最小化をはかり、相手国の

   武力に抗しきれない時は和を乞い、戦争をやめ、民族の生き残りを図るのが

   正道だろう。

 結構、ここらへんからピキピキ来ているんですよ・・・私。

   個人の場合は即時応戦してもいいけど、国家の場合は大事になるから

   だめだというのですが。

   個人の集まりが国家になるという観点が消えています

 日本だって馬鹿じゃありませんから、いきなり戦争になど突入するわけがない。

   できれば話し合いで解決したい。

   しかしながら、中国・韓国・ロシアなどは「理屈」が通じない国であり、一度攻撃すると

   決めたら外交など役に立たず、ひたすら「自己の正当性」のみを発信しながら

   攻撃してくるでしょう。そんな国に「和を乞う」事などできるんでしょうか?

 和を乞うてなんとか出来るなら9・11も起きなかったし、昨今のテロもないと思います。

  テロというのは宣戦布告して始める戦争ではありません。

   個人攻撃の最たるもの。個人が即時応戦して叶わず死んでも、国家は何もしては

  いけないというのでしょうか?

  彼らは罰として報復するのではありません。

  個人攻撃をしかけつつ、民族を根絶やしにしようとしているのです。

 命は一つしかないので、その一つが攻撃されたらやっぱり守らないといけないと

  思うのが国民であるし、それが国家の役目ではないかと思うのですが。

 特に末尾の3行は「何を世間知らずな事をいってやんでえ」って感じです。

   そんな「理」が通じるというならやってみやがれ。

 

 

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