真の保守派が皇室に
NOをつきつける日 5
「アカ」が否定する「血筋」
日本国憲法では
「 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、
社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」
と説く。ゆえに華族制度は廃止された。
そして「華族」でない女性が皇太子妃になった。
「血筋」という身分制度はなくなったけれど、人間というものは、どこかで優劣を決めたいものらしい。
そこで「血筋」に代わる身分制度を考えた。
それは「学歴」と「年収」である。
正田美智子という女性は、まさにその象徴、「勝ち組」女性の象徴であった。
本来、皇室に必要なのは学歴でも年収でもない。「血筋」である。
血筋というのは一朝一夕に出来るものではない。
一つの樹の枝葉がそれぞれ努力して伸ばし、花や実をつけるもの。
ほんの少しでも「傷」をつけたら、樹そのものが枯れてしまうという考え方である。
一人だけが尊いのではない。
一人の尊い人の血を守り伝承していくこと、そしてその「血筋」を絶やさず、傷をつけず
出来るならそれにならって自分もまた尊い人間になる事。
それが「血筋」なのである。
「血筋」を持つ人は、自分の生き方をおろそかには出来ないし、縛りもある。
守らなくてはならないものも多く、しかも子々孫々に伝える義務もある。
学歴や年収といった、「当代」の栄華でははかれない底の深さがあるのだ。
戦前の日本は、皇室のみならず、庶民の「家」にも、それなりの伝統や格式があり
守るものがあり、縛りもあり、伝えるものもあった。
戦後の日本国憲法は「自由と解放」を旗印に、「個人」「今生きている人のみ」を大事にする。
それはすなわち、人智が及ばないものを否定する考え方ではないかと思う。
華族制度に支えられない皇室は丸裸にされたも同然。しかも庶民の上で
「空気感が違う存在」として浮きまくっているのが現状。
ほとんどの日本人が「日本なんて」「日本人なんて」「伝統なんて」「決まり事なんて」
と考える時代に、頑固に太古の昔からの神事を守り、序列を守り、しきたりを守り
としている皇室に違和感を持つ人、「まるっきり別世界で関係ない」と思う人も多いだろう。
「まさにそこが「アカ」の狙いなのだが。
「血筋」の否定は民族の否定と同じ。日本に巣くう反日「アカ」は日本民族の消滅が目的なのだ。
マスコミがその毒に侵されている今、真実を伝えるのは至難の業。
今や日本人の心の中にある、ほんのわずかな良心に頼るのみだ。
なぜ血筋を隠さなければならなかったのか
小和田家の墓。
小和田家は恒→猛夫→金吉・・・から先は遡る事が出来ない。
新潟の村上にある「小和田本家」からは「関係ない」と言われている。
自分の戸籍謄本をとってみるといい。3代前の先祖がどこからきているかは容易にわかる。
そしてその後をたどりたい場合は、菩提寺の過去帳を調べるという方法もあるらしい。
先祖代々の墓があれば、その墓石に彫ってある名前で誰がいつ何歳で死亡したというのが
すぐにわかる。小さい頃、叔父に
「その家の墓石を読めば、その家が長命なのか短命なのかすぐにわかる」とか言われたこともある。
しかし小和田家の場合、小和田金吉という人がどこから来たかが不明なのである。
宮内庁がどうやって探しても探し切れなかった所に
「解放同盟」から抗議文が届いた。
この事実を覚えている国民は多くないと思うし、全く知らない人も多い。
正田家でも川嶋家でもそんな事は起きなかったのに、なぜ小和田家に限って、皇室と
相容れない、正反対の組織からまるで「庇うように」抗議文が来たのか。
あなたは何を思うだろう。
左は江頭豊氏
江頭氏はチッソの社長だった。水俣病を生み出し係争中の会社の社長であった事は事実。
江頭氏は日本一の公害病を生み出した会社の代表として責任を果たしていない。
それだけではなく、暴力団を雇って事実を暴こうとしたジャーナリストを破滅に追いやった
罪人である。
江頭・小和田家の大好きな国家の言葉を借りれば「天が怖くないのか」というべき所。
しかし、どんなに出自がはっきりしなくても「差別はいけない」という声に押されたのか
「血筋より学歴と年収」に押されたのか、小和田雅子嬢は皇太子妃に決定してしまった。
問題は、誰がそれを許したのか。
という事なのである。
その「許した」が為に「今」がある。