ふぶきの部屋

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秋篠宮両殿下の気持ちを推察してみた 3

2018-12-02 18:40:00 | 皇室報道

問4 両殿下にお伺いします。佳子さまの最近のご様子や大学卒業後のご活動,ご結婚についてどのようにお考えかをお聞かせください。皇位継承順位第2位となられる悠仁さまは今年広島を訪問するなど戦争の歴史と向き合う機会を多く持たれましたが,成長をどのように感じていらっしゃいますでしょうか。今後の成長に寄せる期待と中学校の進学先についてのお考えもあわせてお聞かせください。

秋篠宮:

最初に次女のことですけれども,今大学の4年生になりまして,現在は卒業論文の作成に忙しくしているところのようです。私は細かいことは知りませんけれども,夜遅くまでそれについての作業をしている様子がうかがえます。それから・・・(妃殿下をご覧になる)

紀子妃:

(殿下を振り向かれて,確認されて)ふり返りますと,次女の佳子は,今年の6月に英国から元気に帰国しました。約9か月だったと思います。

英国の滞在生活では大学で幅広い分野の講義を受けたり,また休みのときには海外,英国も海外ですが,近くの行きたいと思っていた国,スペインやポルトガルへ友人と一緒に旅行したり,様々な経験をしました。

それを通して,次女は自分の視野を広げたり,また,自分の考えを深めたりする貴重な機会となったと思います。

この数か月をふり返りますと,次女も幾つかの公的な行事に携わりました。

9月には国際情報オリンピックの開会式,その後に手話パフォーマンス甲子園の行事に出席し,そして今月は中学生たちが自分たちの経験を語る少年の主張の発表を聴きました。

大学を卒業してからは,宮中行事に出席することも多くなると思います。これからも,公的な仕事を心を込めて大切に果たしていけるように願っております。

秋篠宮:

少しダブってしまいますけれども,大学卒業後はですね,次女にもいろいろな公的な仕事の依頼が来ることが予想されます。

長女がそうしているように,次女にも一つ一つ大切に思いながらそれらに取り組んでいってほしいと思います。も

う一つ,これは既にそういうことがあるのかもしれませんし,私は知りませんけれども。

大学卒業後に大学院への進学の希望を持っているかどうかも私は存じませんけれども,公的私的は別にしてですね,何かこう,ライフワークになるようなもの,それを持ってもらいたいなと思っています。

結婚についてですが,親の勝手な希望としては,それほど遅くなくしてくれたらいいとは思いますが,こればかりは,やはり御縁の関係もありますので,別に私からせかしたりすることもしません。いずれ本人から何か言ってくるかもしれません。そのような状況です。

紀子妃:

結婚についてですが,これから先,もし次女がそのような話がありましたら,次女の考えやその先の将来のことについての考えを聞いて,私も必要なところ,大事だと思うことがあれば,お互いの話合いの中で,気持ちや考えを伝えていきたいと思います。

 ネットなどでは「この期に及んでまだ本人の意志尊重?」的な意見も散見出来るのですが、両殿下としてはそうおっしゃるしかないんじゃないか?と。佳子さまは真ん中で我が道を行く方ではありますが、その分、本当は色々心にひっかかるものを抱えていると思います。

 ご両親があまり眞子さまの事で夢中になっていると佳子様がいじけてしまうし、姉妹の仲にもヒビが入ります。気をつけて。

 

秋篠宮:

(記者に質問を確認されて)その次は,長男のことでしたかね。長男の成長。

記者

広島を訪問されたり,戦争の歴史と向き合っていかれたりとか,いろいろありましたので。その成長をどのように感じていらっしゃるのかという点と今後の成長に寄せる期待と中学校の進学先についてお聞かせください。

秋篠宮:

(妃殿下をご覧になって,悠仁親王殿下のことをお尋ねになって)今年,学校であれですか。戦争のことについて。

紀子妃:

(殿下を振り向かれて)夏休みの社会の宿題で,歴史について調べたときだと思います。

秋篠宮:

それで,今まで長男は沖縄,長崎,小笠原に行っていますけれども,広島には今まで行ったことがなかったんですね。そういう何かまとめるに当たって,本人自身が是非広島に行きたいという希望を持って,それで,家内と一緒に行ったわけですね。

そのように,かなり自主的に動くということをするようになってきたと思いますし,自分の意見もはっきり言うようになったなという印象は私にもあります。

一方,自分の主張だけをどんどんするのではなくて,人の話にもきちんと耳を傾けるようになってきたなと思います。その延長線上にあるのかもしれませんが,人のことを思いやる気持ちというのは,以前よりも増してきたなと思います。

私が非常におおざっぱではありますけれども,感じる成長というのはそのようなところですね(妃殿下をご覧になって)

紀子妃:

(記者に質問を確認されて)成長についてでしょうか。

先ほど宮様がお話をされていましたように,学習に対しての取り組みがとても熱心だと感じています。小学校の6年生でも夏休みの宿題・課題が多く出され,それは7月に入ってからでしょうか,(長男は)この課題をどのように進めていこうかと,自分で考え,広島はいつか機会があったときに家族で訪れることを考えておりましたが,今年の夏ということは特に予定しておりませんでしたが,長男が,できれば(この夏に)広島を訪れて,資料館や関係者から話を聞いてみたいとのことだったので,参りました。他にも理科の課題も出まして,火山,地震,防災がテーマだったのですが,それに関わる幾つかの場所にも出かけました。自分の夏休みの過ごし方を,長男が自分で早めにいろいろと計画を立てて見通しを持って行動する,そのようなことができるようになったと,感じました。

成長というのかどうか分かりませんが,すてきだなと感じていること,以前よりも変わったこととして,学校で帰りの時間ですが,授業が終わった後の下校するまでの間の時間を使って,子どもたちと先生方がお互いのいいところに気づいて言葉にする,これは「いいとこ見つけ」というのでしょうか,をしています。そういうこともあるからでしょうか,家でも私たちのいいところに気づいて教えてくれたり,ちょっと困ったり,どうしようかなと考えているときには言葉をかけたり,助けたりしてくれることがあります。

秋篠宮:

(妃殿下をご覧になって)さっきの人を思いやるところともつながるかもしれないですね

紀子妃:

(殿下にうなずかれて)大事なときに言葉にすること,思うことも大事ですが,言葉にして相手に伝えることの大切さを私たちが学んでいるような気もいたします。後もう一つお話をしますと,長男は学校の家庭科の授業でお弁当実習を始め・・・(とお考えになる)

秋篠宮:

(妃殿下を向かれて,お尋ねになって)調理実習じゃない?

紀子妃:
(殿下を振り向かれて)調理実習かしら。(長男が)お弁当を友達と一緒に作る機会がありました。授業で学んだ料理や他にもいろいろな料理を作ってくれることが多くなりました。私たちも素直に,「とってもおいしい」,「これはどうやって作ったのかしら」と話しますと,長男は本当にうれしそうに,この食材とこの調味料を使って作ったんだよと・・・(そのときのことを思い起こされる)
秋篠宮:

(妃殿下をご覧になって)あと自家製の野菜も。

紀子妃:

(殿下とうなずかれて)野菜作りしていますので,そうした野菜を取り入れたり。私たちがリクエストをすると,それにけなげに応えてくれます。

いくつかお話をしましたが,学習の面,生活の面で様々な成長が今年も感じられました。

秋篠宮:

あと,進学先については,今もう11月の末になりますので,そう遠くないうちに発表されることと思います。それこそ進学先はいい教育をしてくれるところだといいなと,親としては思っています。

紀子妃:

進学先についての考えということですが,進学先については4年生,5年生頃からでしょうか,少しずつ話し合って,長男自身の考えや希望などを聞くことがありました。

学校でも進路について,様々に考える機会を設けてくださいました。

例えば,5年生のときにはお茶の水女子大学附属小学校の卒業生である大学生が小学校を訪ねて,そして自分たちが進路に対してどういう考えを持ったか,進んだ中学校,高校,大学でどういう生活をしていたか,そのように語る時間がありまして,そのときに子どもたちは,卒業生,自分たちの先輩にいろいろな質問をして,それにお兄さん,お姉さんたちが丁寧に答えてくださいました。

小学校のこのような時間以外にも,いろいろな中学校があって,特徴があって,カリキュラムや課外活動があることも知る機会がありました。

こうした中で,長男が自分の考えを深めることを大事にしてまいりました。

中学校でどのようなことを学びたいか,どのような活動をしたいか,今,学校や家庭でどのように過ごしたいか,そのようなことを長男はいろいろと考え,その意見や希望を聞きつつ,話し合い,進学先について考えてきました。

これからも長男の語る言葉に耳を傾けて,思いや気持ちを大事に受けとめられるよう,成長を見守っていきたいと思っています。

秋篠宮:

(記者に質問を確認されて)あとは期待?

記者

今後の成長への期待。

秋篠宮:

いろいろあると思いますし,なかなか期待というと本人にも重荷になることもあるので,どっちかというと,こうなってくれたらいいなと私が思っていることとして,その中の一つを挙げますと,どうしても何か物事を見るときに一面的に見がちなことがあると思います。

やはり様々なことというのは,いろいろな視点を変えて見ると全然違うところというのが出てきます。私は長男には,何か物事を見るときに一面的ではなくて広い視野,多角的に見られるようになってほしいなという希望があります。

紀子妃:

小学生から中学生へと,恐らく学習環境や生活環境が大きく変わるところ,また,心身面の成長でも変化が見られる時期でもあると思いますので,少しずつ新しい生活に慣れていけるよう,また,子どもの成長を支えていけるように努めたいと思っています。

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秋篠宮両殿下の気持ちを推察してみた  2

2018-12-02 16:40:00 | 皇室報道

問3 両殿下にお伺いします。眞子さまと小室圭さんとのご結婚に関する行事が2年延期され,小室さんはこの夏から3年の予定でアメリカに留学しました。小室家を巡るさまざまな報道もありますが,小室さんからどのように聞き,どう受け止めていらっしゃいますか。眞子さまの最近のご様子とともに,お二人の結婚についてのお考えや今後の見通しをお聞かせください。

秋篠宮:

小室さんに関わること,これが毎週のように週刊誌等で報道されていることは,私も全てをフォローしているわけではありませんが,承知はしております。

 これは何気にすごい事をおっしゃっています。要するに小室圭の背景に誰かがいて「X氏」なり「立川なんちゃら」なりがいて彼を動かしていることや、母のあのヤクザみたいな写真も見ているし、アメリカの韓国系のレストランで楽しんでいる子とも知っているし、眞子さまが手引きした・・・とされる件も知っているということで、まともなマスコミなら普通は今後は自粛しますというべきですけど、これが反日であり秋篠宮家を貶める為のマスコミですからやめないだろうと。

 秋篠宮殿下は紀子様が色々悪く言われている事も、自分達の教育云々について色々書かれていることも知っている筈です。出も立場を考えて「それは事実と違う」とか「紀子のキャリアを」とか言わないんですね。国民の一人として、妻の立場としては「もう少し脅しをかけてもいいんじゃないか」と思いますけど、秋篠宮殿下の中では「もう何を言っても無理」な心境なのかもしれません。殿下は我慢するところは我慢するけど、「もうだめ」って思ったら反撃するより、自刃を選ぶタイプなんじゃないかと心配になります。

 平成になって皇后陛下を始め皇太子などが散々週刊誌に反論したり、週刊誌を意のままに操っていることを見て来た殿下が「マスコミは自分達にいい感情を持っていないし、KKについて下手に家族を庇うことを言ったらかえって逆効果かと判断されたのだと思います。

(記者に質問を確認されて)小室さんからの連絡ですか,どうでしょう。

2,3か月に一度くらいでしょうか,時々もらうことがあります。

これは,娘と小室さんのことではありますけれども,私は,今でもその二人が結婚したいという気持ちがあるのであれば,やはりそれ相応の対応をするべきだと思います。

 いわゆる天皇の裁可を取り、記者会見までした「眞子さまのお相手」に対する態度が「どうでしょう」ですから、小室圭の非常識な態度に相当怒っているのは確かです。

 完全な推論になりますが、眞子さまが「それでも結婚したい」と思っている理由が「お父様たちだって学生時代に反対を押し切って結婚したじゃないの」ではないと絶対にそう思っています。

 私は今までこのブログで何度も皇太子一家の振舞や考え方、態度について「このようなことを秋篠宮家の思春期の内親王にどのような精神的ダメージを与えるか」と書いてきました。

特に雅子さんの適応障害から愛子内親王の偽者疑惑、さらにヤフオク事件に、オランダ静養にディズニー貸し切り、悠仁殿下誕生前のすさまじい紀子妃バッシングを目のあたりにして、これが精神的に大きな影響を与えない筈ははないと。

毎年、正月の写真撮影ではさも健常児を扱うように愛子内親王に接しなければならず、自分の出身校の校風も変えられてしまった。皇后は雅子さんの味方でいいなり。子供の国のロケでも自分達は一番後ろに坐らされ、皇太子夫妻のとんでもない行動を見たり聞いたり、それはそれは傷つくし、真っ当に育って正義感の強い姫には耐えられない現実です。

ゆえにKKとの結婚というのは、彼を好きとか愛しているとかいうより、そういうものから逃げ出す為の手段でしかないのです。それを本人が自覚しているかどうかは別ですが。「皇太子一家を容認している両親や両陛下がKKを容認できないのはなぜか」と、そういう正論を突き付けられたら、答える術はないです。

「あちらは特別」「でも眞子内親王の幸せを望んでいるのだから」と言われても答えになってないじゃないか・・・・と。

 秋篠宮殿下としては「だったらその小室圭から週刊誌で書かれている事についてきっちりと反論すればいいじゃないか。潔白なら潔白と言えばいいし、今までの学費や生活費の工面、今回の留学費用までどうやって賄ったのが堂々と言えばいいじゃないの」って言ってるわけです。

両殿下が一々週刊誌に反論しないから、小室圭もそれでいいんだ・・はあまりにも立場をわきまえないということですよね?

母親が現在、仕事もせずにどうやってマンション暮らしを維持しているのか、借金を贈与だというのなら、その経緯を説明して国民の同意を得たらいい。秋篠宮殿下はどうおっしゃっているのです。それが出来ないのはつまり後ろ暗い何かがあるのではないかと。

 正直、「お金を返してくれ」というジャガーさんの立場は弱いです。借用書もないし、もう何年前の話?というくらいだし。出すならもっと早く情報を出せばよかったのにと思います。あのタイミングは誰がどうやって細工したのか?とも思います。

古市さんとかいう人がワイドショーで「KKの周辺が不穏」と言ったそうですが、知っている人は知っている事実があるから小室圭は何も言えないのでしょう。

秋篠宮:

まだ,婚約前ですので,人の家のことについて私が何か言うのははばかられますけれども,やはりその今お話ししたような,それ相応の対応というのは大事ですし,それから,これは,二人にも私は伝えましたが,やはり,今いろんなところで話題になっていること,これについてはきちんと整理をして問題をクリアするということ(が必要)になるかもしれません。

そしてそれとともに,やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況,そういう状況にならなければ,私たちは,いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません。

私が今お話しできるのはそれぐらいのことになります。娘の,長女の様子についてですが,(妃殿下をご覧になって)どうでしょうか。

 「婚約前」とおっしゃった意味も大きいのです。皇族というのはそういう言い方でほのめかすんです。お公家さんなどもそうですが、公に「破談」とはいわず、記者会見もして天皇の裁可をとったけれども「婚約者ではない」ということで、小室圭を全面的に否定している。いわゆる無視、なかったこと、それが嫌ならはっきりカタをつけろというような感情でしょうか?

 眞子さまにはショックでしょうが、親なら当然の行動ですからここは理解しなくてはいけません。

 うちの旦那ですら「眞子内親王はうちのジュニアみたい」と言いました。本当によく似ています。純粋であまりペラペラしゃべらず、一度人を信じると回りが否定すればするほどそれを「偏見」と受け取ってしまう。「なんで自分が信頼する人を悪く言うんだ」って。平成3年生まれはこの手の頑固さを持っている人が多くて、育て方云々ではなくて根が真面目だから余計に突き進むみたいなことをやります。

我が家のジュニアもそうで、それこそ何度話し合っても家に戻って来ない期間が5年も続き、私は毎日「神様お願いします。息子を返して下さい」と祈り続けました。LINEしても既読にならないし、電話しても出ないし、いかがわしい場所にいることがわかっていても「自分は信頼されて仕事を任されている」と思い込んでいたんですね。

 去年、やっと相手の本性がわかったのか突如職場放棄して放浪しつつ、やっと戻って来た時は精神的にボロボロ。でも彼の心を癒したのは13歳年下の弟でした。眞子さまの心を元に戻すのもやはり悠仁殿下でしょう。

現在、ジュニアはきちんと働いておりLINEしたら電話をくれて愚痴を聞いてくれたりします。ついこの間、私が肺炎になって入院しかかったことが相当ショックだったようでそれからはなるべく電話には出てくれるようになりました。旧友の結婚式にも出席出来るだけの精神状態になるのに1年かかったんですね。

 断言しますが、眞子さまがここまで意固地になったのは親の育て方ではなく、まさに生まれた時代と世代特有の性格によるもの。まさか同い年の同級生にこんな今生悪な奴がいるとは夢にも思わなかったんでしょう。そして私達親の世代は、なかなか弱さを露呈出来ないし、昭和時代と違って子供が親を超える事もなかなか出来ないわけで、だからここまでやるんだろうと思います。

 

紀子妃:

(殿下を振り向かれて)私は後でお話ししても。今でよろしいでしょうか(殿下に確かめられる)

記者

眞子さまの御様子についても,是非殿下から。

殿下

私は,最近はそれほど,娘と話す機会がないので,よく分かりませんけれども,公の依頼されている仕事,それは極めて真面目に取り組み,一所懸命行っていると思います。

また平日は,博物館の方で仕事をしつつ,自分の関心,研究テーマを深めていっているのだろうと思っております。

 かつて眞子さまはどんな時でも父宮とご一緒でした。海外に行く時もそうだし、色々な場所へ行くのも。殿下にとって眞子さまは特別なんですよ。そんな愛娘にこんなに反抗されて、本当に悲しいし悔しいしどうしてなのか?と自問自答していらっしゃると思います。

記者

質問の中でございました,様々な報道に関して,小室さんからどのように聞いていらっしゃるかということについてはいかがでしょうか。

秋篠宮:

小室さんから,報道について,その報道についてうんぬんという,それ自体について,私は聞いておりません。

もちろん,ただその中に,今までにあった中で,これは事実とは違うことだ,ということについて説明があったということはあります。

ただそれについて,じゃあ何か行動を今するのかどうか,その様子については,連絡からうかがうことは,知ることは私はできておりません。

 最初に小室圭が「あれは借金ではなく贈与です」と言っただけなんですよね。多分。その後の母親のスキャンダルなどについては一切答えず、結婚費用も「皇室で何とか出来ないか」と言ったんですよね。確か。

という事は、あのマンションのポリスボックスは宮内庁が勝手に忖度して今も設置しているという事になり秋篠宮とは何の関係もないのです。

宮内庁は殿下の意志に反した行動をして秋篠宮家を貶めているのではありませんか。

記者

同じ質問になりますけれども,妃殿下いかがでしょうか。

紀子妃:

今,宮様から質問に対して具体的にお話をされているところもございますので,もしできましたら私は母親としてどのように受け止めたか,また,娘の様子,そして,どのように感じているかについてお話をしたいと思いますが,よろしいでしょうか(記者にお尋ねになり,確認される)

昨年の夏から,様々なことがありました。

そして折々に,私たちは話合いを重ねてきました。

そうした中で,昨年の暮れから,だんだん寒くなっていく中で,長女の体調が優れないことが多くなりました。

そうした状況が長く続き,長女は大丈夫だろうか,どのような思いで過ごしているだろうかと,私は,大変心配でした。

 ネットの雑誌で眞子さまは咳が止まらなくなったり熱を出されたりしたと書かれていました。でも公務量は減っていないし笑顔も大変素敵で、私達はまさかそんな事になっていようとは思いませんでした。

紀子妃:

しかしこのような中でも,長女は与えられた仕事を懸命に果たしてきました。

今年の7月には,公的な訪問,ブラジルへ行きました。

それは,日本人のブラジル移住110周年の行事に出席するためでした。(殿下を振り向かれて)私たち自身も,以前にブラジルへ仕事で行きましたが,その時よりも長い距離を移動し,大変な日程であったと思いますが,日本人の移住地でもある所も含めて14都市を回り,多くの人々と交流を深められました。

それからも,都内や地方での幾つもの行事に出席し,それを一つ一つ心を込めて大切に全力で務めてきたように私は思います。私は,本当によく頑張っているなと長女のことを思っております。

長女は,美術や音楽が好きなものですから,そして私も好きで,一緒に誘い合って展覧会や音楽会に出かけることがあります。

小さい時から,このように一緒に芸術にふれたり,語り合ったりする時間を持ってきましたが,今以前にも増して,このように長女と過ごす時間をとても大切に感じています。

家族として非常に難しい状況の中にありますが,私は,長女の眞子がいとおしく,かけがえのない存在として感じられ,これからも,長女への思いは変わることなく,大切に見守りたいと思っております。

 同じような趣味を持ち、そういう意味では話が合う子供がいきなり豹変してしまう驚きと悲しみは本当によくわかります。そして弱みを見せられない頑固さも。

どんな風になっても子供を愛している事には変わりがない・・・と言うしかない現状の悲しさがわかる程に心が痛くなります。大丈夫、いつかきっと眞子さまは何事もなかったかのように両殿下の元に戻り、大人になられるのだと私は信じています。

 ただ、その為には秋篠宮家としても新天皇と新皇后への態度をきちんとすべきではないんでしょうか?今までのように「仕方ない」では済まされない問題がここにはあります。両殿下が知りえる「嘘」を全て公にされた時、眞子さまははっと気づくかもしれません。

記者

殿下から添えられることは,お言葉はございますか。

秋篠宮:

今,妻が話しましたように,先ほどの私の抱負ではありませんけれども,本当に一つ一つ丁寧に仕事をしている印象は私もあります。

 男親というのはこういう時でも冷静というか、どこか楽観したい気持ちがあり、母親のが必死に何をいっても「そのうち」なんていうものです。母親が泣いているのに静観するしかない男親かも。

妃殿下とはご結婚以来、常に殿下を立てて、喧嘩をしてもすぐに謝ってその場を収めるような御性格です。殿下と言い合いをしても仕方ないと思っているんでしょう。それ程忙しいし、一緒に公務をする以上は常に笑顔でいないといけないし。

何の為にここまで週刊誌に悪口を書かれてまで結婚したのか。私の結婚は果たして正しかったのか?幸せだったのか?オールウェイズスマイルが川嶋家の家訓ですが、それで乗り切るにはあまりにも大変な人生でした。結婚25年を過ぎると女性は更年期もあり、精神的にも肉体的にも不安定になりますがそれをなかなか家族は理解してくれないんですよね。

眞子さまも佳子さまも悠仁殿下でも「お母さまに限って」と思っていらっしゃるでしょうから、本当は違うと声高に言わないとダメです。若い頃から「適応障害」で「体調の波」を理由に公務をサボリ続ける皇太子妃に比べて、出産後ですら即、公務復帰したスーパーキャリアウーマンの紀子様にも弱いところがあると、家族に知って貰わないと。そして国民にもね。

雅子妃ばかりが「体調の波」じゃないんだよっ

40歳で第3子を産むことがどんなに大変で後々響くことか、どうせ皇太子家にはわからないでしょうよーくらいの嫌味は言わせて下さい。あまりにも紀子様が可哀想です。

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秋篠宮両殿下の気持ちを推察してみた  1

2018-12-02 15:30:00 | 皇室報道

 ただいま帰りました。だけど腰が痛くて――(って当たり前ですが)疲れもピークで・・・それは後々語らせて頂くとして。

色々な意見がコメント欄に乗り嬉しいです。宝塚では朝から辛坊さんがぎゃあぎゃあワイドショーで騒いでおりまして。眞子さまの事なんか吹っ飛ぶんじゃないか?くらいの勢いですが。その時私は歌劇の事しか考えたくなくてみなさんのコメントを読みながら「なるほどねーー」とか思う程度にしていたのですが。

とりあえず、秋篠宮殿下の記者会見を全部掲載し、その上で見えてくることをいくつか語って行こうと思います。

 

問1 殿下にお伺いします。殿下は来年5月の代替わりに伴い,皇位継承順位第1位の皇嗣となられます。新たなお立場への抱負をお聞かせ下さい。公務の在り方や分担について新天皇となられる皇太子さまとどのような話し合いをされ,殿下がどのようにお考えになられているのか,あわせてお聞かせください。

秋篠宮:
最初の抱負ということについてですけれども,私は今まであまり抱負ということは,語ることは,口に出して言うことはありません。
ただ,何かの節目というよりも,折々にその抱負のようなものを考えることというのはあります。
これは,抱負になるのかどうかは分かりませんけれども,これからも様々な公的な仕事をする機会があります。
時として,例えば毎年のように行われているものなどについては,どうしても,前年度とか,その前の機会と同じようにすればいいと思いがちです。
これは私自身もそうなんですけれども,やはり,それら一つ一つを,その都度その都度考えながら,自分の仕事,若しくは務めを,進めていくようにしたいと思っています。
あと,公務そのものについては,これは,例えば,天皇が海外,外国訪問中とかには臨時代行ということをするわけですね。
私は今までそれをしたことがありません。
今の皇太子殿下は,昭和時代に一度その経験があるわけです。
私はしたことがありませんけれども。
今後はそういう機会は,必ず出てまいります。
 昭和の時代、今上が皇太子の時代は当たり前のように「代行」して来たのと大違いです。
当時、昭和天皇はほとんど海外に出ることはなく、地方への行啓も歳をとってからはあまりなさらなくなりました。その分、皇太子夫妻が公務を「開拓」し、それが高度経済成長の日本の象徴として利用したい政府の方針と一致したのか、とにかく皇太子夫妻は海外に行くことが多く、地方訪問も多かったです。
 一方で弟の常陸宮はお体の事もあり、あまり目立った事をされい印象はありません。小さい頃の私は「宮家って暇でいいな」と思っていました。皇太子夫妻は地方のあっちこっちの施設に浩宮や礼宮を連れていく事もあったし、美智子妃の目立ち方は尋常ではありませんでしたから。
 「皇太子の弟」としては故秩父宮の公務も参考に・・と思ったのですが、なんせ昭和天皇と秩父宮は年子でしたので参考になるかどうか。ただ、終戦の時の全国の神社への報告は秩父宮以下弟君や皇族が行っています。
 秋篠宮殿下は皇太子よりも結婚が早く、しかも「名誉総裁」の数も多く、独自の皇族路線を作って来た人です。また今上も皇后も精力的に自ら公務をする人達でしたので、「臨時代行」する必要性がなかったんですね。
 しかしながら愛子内親王誕生後「第二子をあきらめた」あるいは「悠仁親王誕生」時からはそういう慣習を超えて秋篠宮に「皇太子になる覚悟」を促し、その練習をさせる事も必要だったのではないかと思います。それを拒んだのは多分皇后ではないかと私は推察していますが、秋篠宮家への冷遇はまさに紀宮降嫁と悠仁親王誕生からはっきりしており、年齢と共に自我が強くなっている両陛下の思惑がそこにはあったと感じられます。
 秋篠宮殿下の「私は今までそれをしたことがありません」「私はしたことがありませんけれども」の言外にある感情は「こういう時が来ることを知っていながら両陛下は私達に何もさせなかったのだから」「ゆえに皇太弟になる教育は受けていないからと返事したんであって」「ご優秀な愛子内親王がいるならどうぞ存分に」ではないかと思うんです。
 
 
 
秋篠宮:
一方,公的な活動について,来年の5月以降,今まで皇太子殿下が行ってきたものというのが,今度は天皇になられると,それを併せてするということはできなくなります。
一方,これは昨年のこの場でもお話をしましたが,私も自分で行っていることがあります。総裁とか名誉総裁をしているものもあります。
それらをそっくり誰かに今度は譲る,引き渡すということ,これも,それを受ける先はありません。
そのようなことから,今,宮内庁として考えていることは,一旦全て皇太子殿下のお仕事を宮内庁の方で引き取って,それを整理をして,それで次に私がどのものをその後行っていくか,というのを検討しているところです。
おそらくそれはそう遠くないうちに,発表されるのではないかと思っています。
また,在り方については,公的な活動については,今お話ししたようなことについての了解を皇太子殿下と取った,ということです。
在り方というものについては,恐らく,今後もっといろいろ話をしていかなければいけないんでしょうけれども,分担というか,今の皇太子殿下と私のものというのは,ある程度こう今お話ししたように分かれるわけですが,例えば宮中で行われる行事等については,それは平成の時代にも,行い方が変わったり,今の両陛下が変えられたものもあるわけです。
そういうものについては随時話合いを,既にしているものもありますが,(今後も)していく必要があろうかと考えています。
 皇太子の6大行啓については一部秋篠宮殿下と信子妃が受け継ぐことが決定していますが、例えば「水の総裁」なんちゃらは天皇がそのままやりたいんでしょうね。しかし、皇太子の公務自体が少ないので、秋篠宮殿下がおっしゃるような大げさに宮内庁が全部引き取って云々はどうなの?って気がしますが。
 本当は「水」関係をばっさり宮内庁が切ることを期待しているのかとも思うのです。水関係は秋篠宮殿下も公務としてお持ちですので。
 秋篠宮殿下が総裁として行っていることを譲れないというのは男系男子がいない為でしょう。いずれ悠仁殿下が成人すれば譲っていけるかもしれませんが、それは60歳をとうにすぎた時の話。眞子内親王の今の状況では無理ですしね。
 果たして皇太子と話し合いが出来るのかしら?と疑問に思いますが。
問2 殿下にお伺いします。天皇陛下の退位まで5カ月となりました。この30年を振り返り,平成とはどのような時代であったと考え,象徴としての務めを果たしてこられた天皇陛下と支えてこられた皇后さまには,どのような思いを抱かれているのでしょうか。
 
秋篠宮:
平成も30年,かなり長い期間になります。それをこう振り返って総括するというのは,なかなか私にはできません。
例えば平成の初めの頃,私も日本にいなかった時期もありますし,例えばそういう時に,ニュースでベルリンの壁の崩壊であったりとか,そういうものを見て,驚いたことはあるわけですが,平成ということですので,日本のことになろうかと思います。そうすると,いくつか思い浮かびますけれど,例えば,バブルが崩壊して,経済の低迷といいますか,失われた10年とか,その後も含めて20年とか言われますけれども,ちょうどそのバブルの頃,それからその後でもって,人々の生活のパターンというのが変わったなというのは,私なりに何となく感じております。
また,これは大変残念なことではありますけれども,自然災害が非常に多かった。
震災もありました。そしてまた近年は,豪雨であったり豪雪もあります,台風などでも大きな被害が出ています。
そういう自然災害が,非常に多い時代だったなという印象があります。
あとこれは,恐らく1992年のリオデジャネイロのいわゆる「地球サミット」後になるのではないかなと思いますが,企業であるとか,もちろん自治体もそうですね,それから個人が,非常に環境というものに関心を持つようになり,それぞれが,環境に対してどういうことができるかというのを,真剣に考えるようになった時代だったのではないかと思います。
そして,いろいろなITの発達,これは,それこそ私などは,昭和時代はワードプロセッサですね,昭和の終わりぐらいですよね,で文章を作っていた。
それがいつの間にか,もういわゆるパーソナルコンピュータが普及する,そしてさらに,スマートフォンだいろいろと出てきました。
以前では考えられないぐらい,情報が入ってくるようになり,それからまた,海外と連絡する際も,極めて迅速に,それが行えるようになり,また例えば,海外の事情なども,容易に知ることができるようになる。
ある意味では,国の国境がボーダレスの時代になったなという印象があります。
私自身はまだ,追い付いていかないところが少しありますけれども,そういう時代だったなと思います。
そして,もう一つ挙げるとするならば,日本人が学術や芸術,それからスポーツなど様々な分野で目覚ましい活躍をしている時代かと思います。
 非常に率直に「災害が多かった時代」と言われていますし、情報化社会というものの捉え方も私達とそう変わりないということで、これを皇太子が自分への質問として受けた時、どう答えるか比較してみたら面白いと思います。
 
秋篠宮:
その次の両陛下のことについてですが,天皇陛下は即位以来,象徴とはどのようにあるべきかという,その象徴としての在り方について,常に模索し考えてこられ,そして,一昨年の8月に,今のお気持ちというものを表明されましたが,その中に全身全霊という言葉がありました。
まさしく,その全身全霊でお務めを果たしてこられたと,私は思います。
そして皇后陛下は,その陛下のお務め,それから立場を重んじ,更に宮中に伝わる伝統を守り継承してゆくことに心を砕かれながら,御結婚以来,非常に長い期間,60年近くにわたって陛下を支えてこられました。
これはなかなかできることではないと私は思い,お二方に深く敬意を表するところです。
そして,これは少し質問の趣旨から外れると思いますけれども,息子の立場として言わせていただければ,私は,20何年,一緒に過ごしていましたからですけれども,常に笑いのある,そういう温かい家庭を築いてくださいました。
そのことに感謝したいと思います。
 本来、平成への言葉としては色々あると思うんですよ。「皇室外交」やら陛下の健康問題やら。それをすっとばして「全身全霊」と「60年にわたり」に集約させて終わったというのは、秋篠宮殿下の心の中にはいい時代の両親が走馬灯のように駆け巡っていたのかと思います。
 これが皇太子なら「雅子と愛子を見守って下さり感謝しています」とかなんとか美辞麗句で飾るのでしょうけど、秋篠宮の中で両陛下は独身時代に同居していた部分で終わっているのかなと思いました。
コメント (1)
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