両親は、私の喜びを自分のことのように喜び、私が困っているときは自分のことのように悩み、親身に相談に乗ってくれるような、私がどのような状況にありましても、一番近くで寄り添ってくれるかけがえのない有り難い存在でございます。
これまでたくさんの愛情を注ぎ育ててくださったことに深く感謝しております。
また、両親と話をしておりますと、豊富な知識や経験に驚かされることが多々ございまして、また、両親の物事に対する考え方や、人との接し方などからは学ぶことが多くございます。
両親との思い出といいますと、やはり私の学校の長期休みに出掛けた旅行のことが真っ先に思い浮かびます。
どの旅行も非常に思い出深いものでございますけれども、静岡県の下田市にある須崎御用邸に行き、海で泳いでいる時に、綺麗なお魚の群れを発見して皆で観賞しましたり、また、須崎はほとんど波のない穏やかな海でございますけれども、サーフボードを浮かべて、そこに3人で座る挑戦をして、見事全員で落下した思い出など、お話しし始めると日が暮れてしまうかもしれません。
20歳の女性がこんなにご両親を讃えるものだろうか?と。これは全部雅子さんが書いた文章なのでは?
「私の喜びを自分の事のように・・」の件はうざい親にしか見えません。
こりゃ親がいないと生きていけません宣言みたいですよね。
「かけがえのない」「ありがたい」まで行くともう・・・どんな親子なんだ?と。心配になります。
といいつつ突如敬語が出てきて「育てて下さった」と始まる。
陛下 → 父 → 両親 普通は「父に関しては「母は」というけれど「両親」といっしょくたにしているのが不思議です。
知識豊富・経験豊富・物事に対する考え方、人との接し方・・・こんな完璧な両親いないですわ~~~
で、「下田の御用邸」も変だって。何でわざわざ「静岡県の」ってつけるの?これって自慢?
「あんた達がいけないプライベートビーチで海上保安庁の船が見守る静かな海でサーフボートに3人で乗って見た」みたいなどこのボンボンだよ?って話で全然笑えません。
こういう事を「ユーモア」とみるお母さまの考え方がゆがんでいるんじゃないですか?人が持ってないものを持っている喜びしか感じません。
日頃から、家族では、その日にあった出来事などいろいろな話をいたします。
最近では、北京オリンピックやパラリンピックを観戦して、その試合の様子について話したり、感動を共有したりいたしました。
アスリートの皆さんのひたむきに競技に打ち込まれる姿や、夢の舞台を最大限に楽しもうとされる姿には、たくさんの感動や希望、そして勇気を頂きました。
また、両親と一緒に、飼っている犬や猫と触れ合う時間も、私の心安らぐ時間になっていると感じております。
これからも、ペットを含め、家族で過ごす時間を大事にしてまいりたいと思っております。
北京五輪の「天皇」の懸念によって突如国中が「五輪反対」に傾き、雅子さんは開会式ボイコット、天皇は「祝い」を止めた・・といういきさつがあるのに、呑気にテレビで応援していたのかと思うと妙に腹が立つ。
天皇の誕生日会見でも同じような不愉快さを感じたものでした。
飼っている生き物 → 飼っている犬や猫 → ペット どうしたらこんな風に文章が流れるのか。全然可愛がってないでしょ。
親子3人でカプセルの中で仲良しごっこをしているような恐ろしさを感じます。
続きまして、皇室の一員としての在り方をどのように学んでいるかということでございますけれども、私は幼い頃から、天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下を始め、皇室の皆様が、国民に寄り添われる姿や、真摯に御公務に取り組まれるお姿を拝見しながら育ちました。
両親 → 天皇皇后両陛下に格上げ
「皇室の皆さま」という言い方に違和感。皇族が同族に「皇室の皆さま」って言いますか?「宮家の方々」ならわかるけど。まるで外のひとみたい。
愛子内親王にとって不登校の時に延々と付き添いをしてくれた「母」の存在や適応障害で公務が出来なくて批判されてきた「母」の姿はまるきり見えなかったって事なんですね。
そのような中で、上皇陛下が折に触れておっしゃっていて、天皇陛下にも受け継がれている、皇室は、国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にしながら務めを果たす、ということが基本であり、最も大切にすべき精神であると、私は認識しております。
この文章も変。日本語学科でしょうよ。
「受け継がれている言葉に・・というのがあります」で切って「それが最も基本的な精神と思います」と繋げるべきなんです。
そもそも認識が違います。
皇室は「祭祀が一番」なんです。内親王の母君が全然やらない祭祀が最も大事なんですよ。「国民と苦楽を共にする」とかいいつつ御用邸生活を披露、緑ゆたかなところに住んで、プライベートビーチでサーフィンボードは真逆ですよ。
皇族の在り方は「国家の安泰を祈る」のが一番重要です。
「国民と苦楽を共にする」ということの一つには、皇室の皆様の御活動を拝見しておりますと、「被災地に心を寄せ続ける」ということであるように思われます。
先週で東日本大震災から11年の時が経過いたしました。
街には徐々に活気が戻ってきているようにもうかがわれますけれども、いまだに2、500人以上もの方の行方が分かっておらず、また、4万人近い方が今もなお避難生活を続けていらっしゃいます。
被災された方々の心の傷が癒えるのは容易なことではないと思いますし、また、時間を要するものであると想像されます。
そういった苦難の道を歩まれている方々に思いを寄せ続けるということも、大切にしていくことができればと思っております。
ちょいまてって思いませんか?
「苦楽を共にする」ことが何で「被災地に心を寄せる」ことなのか?
そもそも「思いを寄せる」ってどういう事なの?祈るわけでもないし、支援するわけでもないし、数字を覚えて「心を寄せる」だけが仕事と思っているならそれは間違い。上皇も天皇も間違っている事になります。
阪神大震災もあれば中越地震もあるんだよ~~東日本大震災だけじゃないんだよ~~
また、皇室の皆様は、歴史であったり、生物であったり、児童文学であったり、様々な福祉活動に携わっていらっしゃったりと、御自身の関心のある分野を深めていらっしゃいます。
お一方お一方がそれぞれに専門とされるような分野をお持ちでいらっしゃって、その深い知識を公的なお仕事にも役立てられている御様子を拝見いたしますと、このような立場で研鑽(さん)を積むということの意義をお示しくださっているように思います。
そのほかにも、行事の際などに皇室の皆様にお目に掛かった折には、皆様の御所作や立ち居振る舞いをお側(そば)で拝見し、そのなさりようをお手本とさせていただきながら、少しでも皆様に近づくことができますよう、努力したいと思っております。
またも「皇室の方々」と。皇族でない人が作った文章なのでは?
せめて「皇嗣殿下には家禽の研究、妃殿下には手話の研究など」と具体的な文言を入れず、漠然と「皇室の皆さまは生物であったり・・・」変ですよね。一番さきに「陛下は水の専門家であり」くらい入れて上げればよかったのに?
みんな専門分野を持っているからなによ?ご自分にもライフワークがある筈では?
結果的に雅子さんが趣味が皆無。読書も芸術も何も知らないと言う事が、娘にも大きな影響を与えたと思います。
別に天皇に成るわけでもないので、後は愛子さまの納得行く男性とめでたくご結婚されることを心より願っています。
体験の少ない二十歳の女性にあれもこれもとてんこ盛りには請求しません。今のままで十分。少し欲を言えば親は自分より大抵早く死にます。先を想像して自分の人生を構築出来るような女性に成って欲しいです。構築しすぎてマァ眞子さまのように暴走するのも困り者ですが
国民に寄り添う~天皇一家以外は他には誰も使えない言葉です。早く、公務の姿をみたいです。
国民に披露するのですから愛子様一人で書いた文章では心配で親がかりだったのでしょう。
3ケ月間かけて文章作成し必死で丸暗記、練習を重ねて会見に臨まれたのではないでしょうか。
「皇室の皆様」の表現は変ですね。
愛子さまが御自身の長所について述べたのを聞き、私はハッとしました。いえ、私自身が自分の長所について考えた事などなかったものですから、、、己れの長所、短所を客観的に見つめ自己観察するのは大切な事かもしれないと自分を顧みた次第です。
親というものは子供が小さいときはこういう存在でしょう。そしてそういう親子一体のような関係から、徐々に子供が独立していき、依存関係を脱していくと思います。
成人の会見で、その独立への意思は全く見えませんでした。
ここのフレーズを聞いた時、他人でこういう存在をありがたいという話は聞いたことがあるけれど、成長した子供が親をこう言うのは奇妙な気がしました。
この親子は一生相互依存関係がなくならないのでは?
この方が嫁に行くのは無理だと思いました。
あっは〜!! 小和田が作った文章か!!
幼稚園か小学生かと思うくらいの遊ぶ話し、、。
お父さま、お母さまとべったり親子なのはよく分かります。
所々、飼っている生き物がペットという言い方になったり。
あれだけ時間あったのに、これならふぶき様にお直しいただくべきですね。
本当に賢い方は、内容はスッキリと具体的エピソードを混ぜて簡潔にお話しするものと思います。
だから印象に残るし、分かりやすく真実味があるのかなと思います。
感謝やありがたい、心を寄せるを多用しすぎて取り敢えずマシマシで入れときゃ優しく謙虚な人に映るって勘違いしてるなーと。
心を痛めていると、心が痛んでいる。
同じように見えますが、違いますね。
後者は、主役は自分。