2005年12月7日 「難民の子供達に愛の灯を」点灯式
2005年12月3日 鴨場接待
2005年12月23日 天皇誕生日
2005年12月24日 日本学生科学賞中央表彰式
2006年1月2日 新年一般参賀
2006年1月10日 講書始の儀
2006年1月12日 歌会始の儀
2006年1月20日 世界のキルトフェスティバル
2006年1月22日 トリノ五輪選手団結式
2006年1月25日 「書の至宝ー中国と日本」鑑賞
2006年1月27日 芸大美術館で「世界遺産からのSOSアジアの危機遺産からのメッセージ」
2006年2月7日 紀子妃のご懐妊がスクープされる
2006年2月2日 大阪訪問
2006年2月7日 国会中継中に流れた速報
メモを見て驚く小泉首相
街頭の速報
イタリアの新聞
号外
2006年2月8日 結核予防婦人団体中央講習会へ行くための車中で
結核予防婦人団体中央講習会
両陛下へ報告に
2006年2月11日 「全国学校ビオトープコンクール」開会式
2006年2月 TIME表紙
AERA 2006年2月20日号
「皇室 紀子様秋篠宮家の決意 人格否定発言を批判した時から準備 「3人目のお許し」を出した天皇家の意思・ 東宮 雅子妃はどうなるのか 離婚説まで取りざたされていた中ご病気回復のきっかけになるだろうか」
週刊現代2006年2月25日号
「懐妊発表秋篠宮妃、笑顔を 揺れる天皇家と小泉 皇太子VS秋篠宮「皇位継承で対峙する」 小泉純一郎は皇室観ゼロ呆れた資質 三笠宮寛仁親王「天皇に皇室典範改正の意思なし」 緊急200人アンケート半数近くが女性天皇と女系天皇の違いがわからない 皇室典範問題は「紀子妃懐妊」でピリオド沈む小泉 昇る安倍」
紀子妃のご懐妊スクープは秋篠宮家にとっても突然のことで、笑うに笑えない状況でした。一体誰がスクープしたのか?
もしあと数時間遅かったら、「女帝」決定だった緊迫した時期に国会に激震が走ったことは言うまでもありません。
あの時スクープした人、総理にメモを見せる決断をした人は表彰されていい。
国会に男性が多いのも幸いで、自分らのせいで流産されたら怖いんだなと可笑しかった。
紀子様は子ども好きなので、あの時は愛子様に皇位が行くの決まリそうだからこそ遠慮なく第三子を御懐妊なさったんだと思います。
高齢出産で全治胎盤になられて、まさに命懸けでご出産されたのに、一部では、雅子様に対しての嫌がらせだとか(雅子様も泣き腫らした目で人前に出たりして)、天皇の母を狙ってしたたかだとか、たくさんの腹立たしい言葉があったことを、今も忘れません。
嫌がらせに命をかけるなんて、どんな思考回路⁈
もともと秋篠宮家の後継として第三子をお望みだったのです。願いとしては至って自然です。
それが、東宮家にお生まれでないからとご遠慮し(するように言われて)、いよいよ皇統に不安が〜となってからお許しが出たとか。ひどい話です。
にもかかわらず、親王様のご誕生!
皇祖神は愛子様をお認めにならなかったということですよ。
いまや、ご立派になり頼もしくなった悠仁様。
皇室唯一の希望なのですから、明るい未来をお姉様の闇で曇らせないよう、一刻も早く眞子様の問題を解決していただきたいものです。
それらの偽りの情報にも、一切反論しないで、皇族としての公務を休まず務められた。毅然とされています。
それに引き換え、ろくに公務を務めず、サボりにサボっている人もいる。祭祀は、都合のいい「お慎み」と言って全休です。舐めているとしか思えない。
悠仁さまを健やかで凛々しく心豊かに育ててくださいました。国民として紀子さまには、感謝の言葉しかありません。
母親として苦悩されている紀子さまが、望む良い方向に行く事を祈っています。