香淳皇后31歳。ふくいくとしたお顔立ち。
38歳。時は戦争中。
30代の美智子妃は帽子をわざと後ろにかぶるのが定番。
「帽子のつばがぶつからないように」「顔をちゃんと見れるように」との
気遣い。普通のジャケットもお召だったのね。
でも、髪はすでにかもじ・・・かな?
まさにオードリー。
最強の妃殿下だったろうなあと。
こんな方がお母様だったら娘は大変。あ・・・紀宮さまね。
同年代の紀宮
紀宮の服は植田いつ子さんの作品が多く、非常に可愛らしいデザインで
私は好きでした。
ただ年齢のわりには落ち着き過ぎているようなきらいはありましたよね。
結婚式のドレスはクラリススタイルで生地は最高級・・・・というのはわかるのですが
殊更に「シンプル」を目指す内親王に「なんでそこまで」と思った事も。
今もって地味な服装が多い黒田清子さん。
好みがそうじゃ仕方ないけど。
雅子妃29歳
伊勢参拝でけつまづく。こういう事がどんどんトラウマに?
キャリアウーマンを装うのが好き。
ベルギーではロイヤルブルーを着て顰蹙。
30代の雅子妃は「マサコ・レッド」と呼ばれるベルベッド地の赤が有名。
一色に拘るところがもうすでに・・・・・
この頃は「お子様のプレッシャー」とか言われていたんでしたっけね。
雅子妃38歳。漸く愛子内親王に恵まれて「感動」したのか涙が・・・
服装は普通・・・・というより軽め。
紀子妃29歳。この頃はまだ華やかなお洋服で顔もはればれとしていた。
紀子妃33歳くらい。まさに「妃殿下」
徐々に落ち着いた服になる紀子妃殿下。
とてもお似合いのスーツですけど、本来はもっと華やかでもいい筈。
皇太子妃と宮妃の違いはあれど、皇后陛下が突出して華やかだった事が
わかります。
「美貌が役に立つ」と思ったエリザベートそのままですよね。
紀子妃の定番。パステルブルー
目の保養、心の栄養をいただきました。(一部を除き・笑)
それにしても改めて思いまするに。
「皇室」というのは、本来、マスコミのとても大切な「取材対象」だったのですよね。主にお写真の華やかさと、ご家庭の温かさと、こころがほっこりするエピソード。
そして、ご衣裳のすばらしさ。
「さすが……皇室の方々ってステキだわぁ♪」と、我々一般庶民に夢とあこがれを持たせてくれる存在でした。
昭和の時代はずっとそうでした。
今は、わずかの方々を除き、記事を見ても、写真を見ても、胸が悪くなることの連続。
それに、昔は、記事と文章が連動していたけど、今は文章と写真がばーらばら。読んでて、頭がグルグルしてきます。無理やり感満載なんだもんよ。
東宮一家だけかと思っておりましたが、最近は天皇皇后両陛下の文章も、ちょっと、ちょっとちょっと、になってきつつあります。残念です。(私は今さらのご年齢で、べたーんとくっついたお二人の姿を見たり、天皇陛下が杖がわりになっている写真を見ると、これまた目をそらしたくなってしまいます。お似合いでないファッションの数々も)
比較シリーズ。
機会があったら、もっとどんどんやってくださいませ!
ちなみに「筆頭宮家」と、「元筆頭宮家」ということで、常陸宮、特に華子様のお写真も、いつかお願いいたします。華子様のお写真は、本当にちらっとしか目にすることができないのですが、この方こそ、本当に「ザ・プリンセス」そして「ザ皇族」。
婚約中の乗馬のお姿なんか、見事でした。
毅然とした態度、凛としたお姿。この方も生まれながらのお姫様なんだなぁと思います。
お若いときから、美智子様の妖しいまでの(?)あでやかさの影に隠れ、お子様もおられないことから、メディアの取り上げが少ないのがとても悔しい思いです。
そんな着飾る事が好きな女性が自分の娘(長男もですが)のシンプルな格好に何も言わなかったのでしょうか??
意外と物を言う美智子様なら『サーヤ、ちょっとお洒落してみない?』と言いそうだけど、そんなのが無かったのなら、やはり表面だけの方だったのかなと思ってしまいます。
やはり女性として生まれたからには美しく、男性として生まれたからには格好よく決めたい、と思うだろうし、親は子に願うのでは?
清子様はシンプルなのが好きで、周りからすれば地味に感じるかもしれません。でも外側だけではなく内面からの美しさが出てます。
いくら持て囃されても、それは一時の若くて美しく時代なだけで、老いていくと外側だけでなく内側からの美しさがその人の人間性を表していくのです。
美智子様、悲しいですよ
慈愛に満ちた香淳皇后様が、美智子様より子供のころから大好きでした。だから、美智子様をいじめていると聞いた時、本当に悲しくて、あんなに優しそうなで偉い方でも、嫁姑になると違うのかしらと思っていました。我が家も祖父母同居でしたので、、、皇室と下々の嫁姑とは、違うかもしれませんが、、しかし今は、香淳皇后様が一方的に悪かったのではないと、色んなブログを読んで分かりました。そりゃあ、きちんと教えても、我が道を行かれたら、誰だってムカつきますよね。いくらおっとりの育ちの良い姫君でも、1回ならともかく、何回もされたら、わざとされてると、相手に思われても仕方ない事だと思います。しかし自分がしてきた事を、今息子夫婦にされているのを、気づいておられるのでしょうか?分かっているから、何も言えないのでしょうか?
*すみません。色んな方のブログを読んで、私なりに思っている事を、書かさせてもらいました。ふぶき様の考えに合わないと思われたら、削除して下さい。
美智子さんの写真を改めて眺めてみると、自己顕示欲の大変に強い人だというのが
よくわかります。私たちが多少の違和感を感じつつも見ようとはしなかった部分ですね。
目つきのきつさ、姿勢の悪さ、若い時から目立ちます。
これでは心身ともに健康とはおよそ言い難い。
美智子さんを眺める陛下のお顔、これも見たくなかったものです。
受洗の真偽、入内の経緯についても背景が明らかになりつつあるようですが
いずれにせよ、美智子さんが皇室の伝統をことごとく破壊していることは明白。
皇太子の婚約会見の時に、わざわざ美智子さんの関与を問う質問が出て、皇太子が否定していましたね。これも違和感ありました。皇室どころか旧家の嫁など絶対に務まらない雅子の
ような人が皇太子妃となったのも美智子さんの強力な後押しがあったということなのでしょうね。そして今、高齢になった美智子さんの暴走を誰も止められない現実をみて慄然としています。
工藤美代子さんの著書で認識を新たにしました。強いお姑さまである貞明皇后さまに良く仕え、戦中戦後の難しい時代の昭和天皇をお支えした皇后さまです。
それに、今上がお手元でお子さま方を育てられたのが美智子さまの皇室革命てきに言われることが多いですが、半藤正利さんの著書で昭和天皇と香淳皇后もお手元でお子さま方を育てることを望み、叶わなかったことを読み、あれ?と。美智子さまの皇室革命のように言われていることのなかには香淳皇后をはじめ歴代の皇后さまが望みながらも果たせなかったことが多いのではないかと思うようになりました。
あと、香淳皇后には馥郁として、おっとりとして、どこまでも柔らかい包容力のようなものを感じます。今はなかなかこういう美しさは見られなくなりました。どこか頑張りが伝わってしまうというか。
強いて言えば、眞子内親王がその系譜に連なるでしょうか?
美智子様は本当に華やかでいらっしゃいました。美しさも他の候補でいらした方よりもはるかに・・。ご運の強さは第一子に親王様をあげられたことです。陛下と浩宮さまこそが美智子様の支えだったのですね。
そして雅子様です。我が国はなぜこのような女性を皇后にいただかなくてはならないのでしょうか。何かの罰ゲームとしか思えません。
良し悪しはともかく、主婦の引きこもりの典型などと揶揄される存在はどうなんでしょう。
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e6%80%a5%e5%a2%97%ef%bc%81-%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%96%e3%82%8b%e3%80%8c%e3%81%b2%e3%81%8d%e3%81%93%e3%82%82%e3%82%8a%e4%b8%bb%e5%a9%a6%e3%80%8d%e3%81%ae%e5%ae%9f%e6%85%8b%e5%bd%bc%e5%a5%b3%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%82%92%e8%bf%bd%e3%81%84%e3%81%a4%e3%82%81%e3%82%8b%e3%82%82%e3%81%ae%e3%81%a8%e3%81%af%ef%bc%9f/ar-AA9beFc?ocid=LENDHP#page=2
ふぶき様、
香淳皇后のお写真、本当の姫君とは、こういう方だったのかと、心洗われる思いで拝見しました。
夫君をお支えになる、控え目な方だったのでしょうね。
決して、さかしらに、差し出がましく、「わたくしが、わたくしが」とはおっしゃらない方ですが、確かな存在感のある方だったと、子供心に覚えています。
我がちにしゃしゃり出ずとも、皆様に重んじられ、敬愛されておられました。
美智子様や、雅子夫人とは大違い。
二人とも、逆立ちしても、足元にも及びますまい。
まだ小学生だった私も、四十路を過ぎて、香淳皇后の包容力と、かつての本当の姫君が普通に身につけていた賢さが、しみじみと分かるようになりました。
紀子さまが、よく似た賢さを身につけていらっしゃるようで、この方に、早く、国母におなりいただきたいと、改めて思いました。
何故か、文仁親王や紀子妃のあらぬ話を振りまく輩から聞いたのが、最初でした。
私の育った周囲では、「苦労なしに皇室で勤まる筈も無し。痩せるほど頑張っていらっしゃるのだろうよ。大変だなあ。」との考えの人が、殆どだったと思います。
それなりに判断力も付いてから、此の噂話を聞いた時には「皇室を馬鹿にしとらんか?」の感が大きかったのです。それは幸せだったと思います。
私の中で皇室は皇室であり続けたからです。
点と点が繋がって、今は判ります。日本毀損、皇室貶め、日本人を根無し草にしようとする勢力の謀だと。
虐めたということは、なかったのではないかと思えるのです。
人を虐めるということは、並の人間でもそうそうできることではありません。
注意されたことを、虐められたとの取り方もありましょう。
手袋の件も、手違いであったとか
羽田空港での、お見送りの際の無視などは、偶々の映像の撮り方であったのかもしれないし
その場で、香淳皇后さまが急がなければならない事情がおありだったとか。
香淳皇后さまの、高貴なお育ちの良さ、昭和天皇の仕え人であるご自覚、おおらかさ等々ふくよかなそのお姿から、その様な意地悪さが見えてこないのです。
悠仁親王誕生直後の天皇陛下のお言葉。
週刊新潮2006/9/28号です。
「美智子も親王の誕生を大変喜んでおりますが、
美智子はやはり皇太子の系譜に皇統を継がせたいと申しているんですよ。」
この言葉に、これが天皇皇后両陛下のご意志なのだと思いました.。
皇后さまがご自分を、国民に優しく慈しみ深く慎ましくと、刷り込んでおいでになられたお姿こそが
皇室を毀損する使命の為の、まやかしであったのかもとさえ思えてしまいます。
昨今の、ご言動、お振る舞いから
・・・馬脚を露されましたね皇后さま・・・と
不遜を承知で申し上げます。