玉川上水探索、続きです。
高速道路脇を歩いて行くと、築地本願寺和田堀廟所の前に来ます。
ここでトイレをお借りし、お墓参りをしました。
関東大震災で焼失した築地本願寺の墓地を移転したもので、
昭和20年5月25日、今度は空襲によって類焼しましたが戦後に再建されました。
この廟所には著名人が多く眠っています。
樋口一葉・佐藤栄作夫妻・水谷八重子・古賀政男・服部良一さん・・・など。
樋口一葉さんのお墓へお参りしました。合掌
築地本願寺と明治大学キャンパスは塩硝蔵地跡に建てられています。
塩硝蔵は62,000平方メートル、江戸幕府の鉄砲弾薬等の貯蔵庫でした。
明治維新の際、官軍に接収され、弾薬は上野彰義隊や奥州諸藩の平定に使われました。
その後、兵部省を経て陸軍省和泉新田火薬庫として再開されましたが、大正末期に廃止。
明大橋
明大和泉キャンパス正門横に欄干が残っています。
ここから先、井の頭通りまでが玉川上水公園です。
真っ直ぐが玉川上水ですが、右の甲州街道から線路を見ます。
井の頭線上を渡る2本の管が見えました。
昭和8年(1933)、井の頭線(帝都電鉄)が玉川上水の下に敷設され、
素掘りだった玉川上水はコンクリートの水路に改修され、井の頭線の上を渡って流れていました。
昭和41年、暗渠化によってさらに様変わり、
今のように、玉川上水と朝霞浄水場からの2本の太い管が地上に姿を現しました。
因みに上の茶色いのが直径2.4mの朝霞浄水場からの送水管、下が(よく見えませんが)直径1.8mの導水管です。
明大橋に戻って、玉川上水公園へ向かいます。
上が送水管、下が玉川上水の導水管。 下見の時にはこちらからだけしか見ませんでした。
この下を管が通っています。
玉川上水公園で昼食。
私達は大先輩のUさんご夫妻の隣でお話を伺いながらおにぎりを食べました。
八十代のご夫妻、私の親世代くらいですが、とてもお元気で歩いていらっしゃいました。
久右衛門橋(柱には久左衛門橋と表示) ?
井の頭通りと交差する場所に来ました。
井の頭通りを渡った、和泉給水所のフェンス前に「井の頭街道の碑」があります。
昭和13年(1938)建立。
碑の裏側に、昭和初期当時の総理・近衛文麿が内閣への往復の際に通った無名の水道道路に
『井の頭街道』と命名した由来が刻まれています。
井の頭街道は、境浄水場(武蔵野市)から代田橋駅前の和田掘給水所(世田谷区)に至る11kmの水道道路。
かつては車両の通行は不可でしたが、昭和12年に道路として開放されました。
現在は「井の頭通り」と名称が改められています。
甲州街道と和泉給水所の間の狭い歩道を歩いて行きます。
黄葉したイチョウが輝いていました!
給水所の東詰めを左に曲がります。
続く
昨日(12月16日)のトータル歩数6003歩、脂肪燃焼量27.1g、総消費カロリー1921kcal
昨日は朝のウォーキングだけ。
天気が良かったので、年末の大掃除第一弾。寝室の掃除と全布団カバー洗濯と布団干し。
ベッドマットをずらしてベッド下の掃除など。
毛布カバーの洗濯が一番大変・・・ウールの毛布は毛玉が沢山でて埃だらけになるので、
(今回は忘れずマスク着用と窓全開で。)掃除機をかけながら大奮闘
冬の貴重な晴れ間
お陰でサッパリ!布団もフカフカ、鼻も喉も大丈夫。気持ち良く眠れました~
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