12月20日(日曜日)
絶好のダイヤ日和と言いたい所でしたが、富士山方向は白い雲に覆われて富士山の姿は見えず。
ギリギリまで立川か八王子か、迷いました。
小宮公園辺りは撮れる確立が高く、昭和記念公園はいつも撮れず・・・
小宮公園に決めて、車で出発
何となく、富士山の左稜線が見えるような、見えないような・・・
でも、神様は味方してくれました!
太陽が沈む頃には雲が無くなり、山頂のギザギザが現れました。
大きめダイヤです!!
最後は白山岳の左窪みに沈みました
夕焼けワンちゃんがかわいい~~
いつまでも見ていたかったのですが、駐車場の閉門時間が迫っていたのでこれでおしまいです。
(Nikon D750 TAMRON70-300mm)
今回の場所には偶然Kmoriさんが先にいらしていて、ご一緒することが出来ました~
それも私達3人だけの貸切状態
後半シーズン5個目、通算62個目の、嬉しい大粒ダイヤゲットです
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玉川上水散策、暗渠の下流部は最後の行程、笹塚駅まで。
和泉給水所を北に曲がると、
こんな場所に出ます。
淀橋浄水場への新水路です。
明治31年(1898)淀橋浄水場の建設に伴い、玉川上水は現在の和泉給水所の所で分岐して直線で淀橋浄水場(4.2km)へ
導くための新水路が建設されました。
新水路の用地は途中、低地を通過するため、築堤(浄水場建設の残土を使用)され、
その上にコンクリートの水路が造られ、自然流下方式で淀橋浄水場に水が送られました。
新水路には木橋が架けられ、淀橋浄水場を基点に「第一号橋」から「第十六橋」までありました。
四谷大木戸までの旧水路はそのまま残され、幡ヶ谷分水は三田用水などの水が流されていました。
その新水路は地震にもろかったのです。
大正10年の龍ヶ崎地震、大正12年の関東大震災で、土手は崩れ、水路の一部が決壊、周囲は大洪水になったそうです。
関東大震災時には復旧に13日かかっています。
旧水路のほうは被害が無かったそうです。
脇の細い道をグルッと抜けて大通り(環七通り)を渡り、代田橋駅付近へきました。
少しの距離ですが、水が流れています。所々でボコボコと水が湧いているのが分ります。
ゆずり橋(第一号橋)です。
高低差があり、橋も左右の高さが違います。
大原橋
環七に架かる橋、欄干が残っています。
真っ白い欄干は珍しい。
環七を渡るのは地下道で。
稲荷橋近くの稲荷神社
見上げると大きなイチョウの木。銀杏の実の臭いが漂ってました~
稲荷橋
また水が流れています。
ゴール間近~
幡ヶ谷分水跡
宝暦年間(1751)頃 分水口 : 4寸坪(2寸四方)→20.25寸坪(4.5寸四方)
第二号橋上流左岸で取水、分水路は北上した後、甲州街道に沿って東から西へと逆流し、
環七と交差する大原交差点付近で萩久保からの流れ・神田川笹塚支流に合流し、幡ヶ谷田んぼに使われました。
玉川上水とは逆方向に流れていたことから、「逆さ川」とも呼ばれています。
※神田川笹塚支流
萩久保から流れる小河川で、渋谷区笹塚、幡ヶ谷、本町を経て、新宿区西新宿で神田川の菖蒲橋袂に流入。
中央の丸い穴は下見の時に気になっていましたが・・・
たぶん、神田川からの排水ではないかとのことです。
南ドンドン橋の親柱
京王線高架工事の際に、撤去され、親柱のみが残っています。
水路はここで大きく屈曲し、水が堤にあたる音を「ドンドン」と表現した橋名です。
笹塚駅に入線した緑のラッピング車両を見ながら、ここで解散となりました。
次回はいよいよ最後の行程です。
昨日(12月20日)のトータル歩数13200歩、脂肪燃焼量27.2g、総消費カロリー1744kcal
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