今月の例会では西武多摩湖線・一橋学園からJR中央線・三鷹駅までを歩きます。
歩く場所の再確認の為、5月に下見した時の。4回目は境橋の先から。
境橋から大橋までは、左岸にしか散策路がありません。
こんな場所に出ました。斜めの柵のようなものは『芥止め』
流れてきたゴミなどをここに留めて取り除きます。
案内板があり、「境水衛所跡」だと分りました。
今まで歩いてきた所にも、熊川水衛所跡、砂川水衛所跡、小川水衛所跡などがありました。
水衛所(水番所)は、江戸市中への水を確保するため、水番人が常駐していた場所の事で、
水量の確認・周辺の巡回・ゴミや落ち葉などの掃除をしていました。
境水衛所は、明治維新後、東京市水道局(現・東京都水道局)が管理することになり、
明治27年に水衛所と名を変えて引き続き職員が管理していました。
淀橋浄水場の廃止に伴い、昭和55年に廃止されましたが、
平成24年に跡地を散策路として整備されました。
下流にこんな場所があります。
右側の堰が、玉川上水
左は仙川分水です。
現在の仙川分水は、青梅街道の関町1丁目交差点付近までの焼く5kmが残り、
平成元年にはその間の清流が復活しました。
その先は、善福寺川と、暗渠により石神井川に放流されています。
フェンスで囲まれたこんなものがありました。何かしら?例会で確認です。
『10月11日追記:仙川分水の取水量を調節する調整弁でした』
次の橋は、
うど橋。昭和43年、通学路として地元の高橋氏が土地を提供して架橋。
東京の特産物・独活(うど)の発祥地であったことからの橋名。橋は漢字では読み難いのでひらがなのようです。
現在では全国第1位の生産量を誇っています。
この辺りは水面が上がってきていて、よく見えます。
独歩橋。
こんな道を歩きます。
桜橋手前左岸に、「国木田独歩文学碑」が建てられています。
この辺りは、独歩作品『欺かざるの記』や『武蔵野』にしばしば登場します。
桜橋。平成11年(1999)、武蔵境通りの拡幅に伴い、橋も架け替えられたが、
親柱は昭和6年以来約70年使用した旧橋のものが使われている。
桜橋を過ぎると、左側に小高い堤が続きますが、
ここは東京都水道局境浄水場です。
フェンス越しに中を見ました。
羽村の第3水門から村山・山口貯水池へ送られた水が、ここで浄化され、
和田堀給水所に導水した後に、都内(千代田・渋谷・世田谷区など)へ給配水されます。
完成は昭和8年で、21万㎡の広大な敷地です。
浄水場を見たのは初めて。これが各家庭に届く貴重な水の管理所なんですね。
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