よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

映画三昧ーOn Wings of Eagles

2014年07月24日 | 映画
1978年から79年にかけて世界を驚かせたイラン革命が起こった。そして、革命後の混乱の中で、イランのアメリカ大使館人質事件が起こる。この時の6人のアメリカ人の脱出事件は一昨年のベン・アフレック主演のARGOに描かれて記憶に新しい。あの映画も出来の良い映画だった。

そして、もっと大掛かりな救出劇がイラン革命進行中に起こり、これを題材としてケン・フォレットがノンフィクションを出した。まだ日本に居る頃買い求めて読んだ記憶がある。この本は1986年アメリカでTVムービーとしてドラマ化された。5時間の大作である。主演はリチャード・クレンナとバート・ランカスターである。95年にアメリカに来てテレビでの映画放映を観まくっていた時にこの映画に出会った。

事件は革命進行中の最中、テキサスの企業EDSの現地社員二人が拘束、投獄され、社長のロス・ペローは時の政権と掛け合うのだが埒が明かず、ベトナム戦争で活躍した特殊部隊の退役将校アート・サイモンに救出を依頼するというもの。国が動かないのなら自分で守る、アメリカの真骨頂を見る思いである。しかも、救出には社員も参加、銃火器の訓練も含め実践さながらのシミュレーションを行っている。「自分の事は自分で守る」精神が大西部開拓以来根付いているのだろう。全員無傷で凱旋した。

ロス・ペローをリチャード・クレンナが演じている。この渋い演技をする役者に最初に出会ったのは、テレビで「スラッタリー物語」のタイトルで放映された政治ドラマであった。地方の政治家ジェイムス・スラッタリーとその仲間達の活躍ドラマである。クレンナは戦艦サン・パブロ、暗くなるまで待って、ランボー等でお馴染みだが、やはり、ジェームス・スラッタリーのクレンナは忘れられない。カーク・ダグラスと人気を二分していたバート・ランカスターは、こういうアクション物では真にどっしりとして頼れる役柄が途轍もなく良く似合う。

映画三昧 - ゴジラ2014

2014年06月08日 | 映画
観に行く気はなかったのだが、ワイフが観たがっているのと、ハリウッド版ではあるが、かなり原点に帰ったと聞いたので重い腰を上げた。腰が重かった最大の理由は、98年頃封切られた初めてのハリウッド版ゴジラのショックが大きかったからだ。あれは酷いゴジラ映画だった。ゴジラ映画というより、ジュラシック・パークシリーズのスピン・アウト的作品である。当時封切りに先立つプレミアで初めてゴジラの姿を観た招待客の東宝の連中が、思わずため息を漏らしたと聞いているが、さぞがっかりしたのではないか。

本家ゴジラには二つの特徴がある。ひとつは、ゴジラが登場するシーンには必ず前奏曲が流れる。「ジャジャジャン、ジャジャジャン、ジャジャジャン」という例のメロディーだ。これが流れるといよいよ真打登場となって、戦いが始まる。もうひとつは目だ。獰猛な顔と鋭い目なのだが、ほんの少しだけ目に愛嬌があるのだ。

さて、本筋の映画のほうだが、ハリウッド版にしては中々の出来で、確かに原点回帰が見られる。何よりもズンドウ短足の本来のゴジラ体型でホッとする。顔も愛嬌が無いが合格だ。例のメロディーが無いのが残念と思っていたら、最後にちょっとだけ流れたとワイフが言う。聞き逃してしまった。

俳優も渡辺謙は別として、English Patientでオスカーを取ったフランスのジュリエット・ビノッシュ、Good Night,Good Luckでノミネートされたデイビッド・ストラザーンが出ていて、結構な役者を揃えている。

唯一いただけない点は日本の舞台になった原発の町の名前がJianji La。どこからこんな名前を引っ張ってきたのか分からないが、これは現代でも西洋人が東洋を眺める時に出てくるイメージなのではないか。東京的エキゾチックなイメージの代表でもあるShangri Laシャングリラに連なる発想のような気がしないでもない。

原発がアメリカで普及している型なのだが、これはフクシマに対する配慮なのか、それとも欧米的発想から単にそうしたのか。

全体的に出来上がりは良かったのではないか。強行収入も予想以上だそうで続編決定らしいので、次回はどんな怪物が敵役で出てくるか。


映画三昧 - Captain Phillips

2013年12月21日 | 映画
トム・ハンクスの久しぶりの熱演を観た。この俳優はつくづく上手い役者だなと思う。

実際に起こった、ソマリア海賊に襲われたアメリカの商船の救出劇を、拉致された船長、Phillipsの回想本を元に映画化された作品だが、スリリングな映画のテンポとトム・ハンクスの演技が観るものを引き込み、二時間超の映画を飽きさせない。

「Cast Away」で、極限状態に置かれた人間の生への渇望を一人芝居で演じた時と同じように、今回も拉致での極限状態での戦いを見事に演じていた。とりわけ、無事救出されてからの最後のシーン、医務室で簡単なメディカルチェックを受けるシーンの演技などは出色物であろう。

もう直ぐノミネート作品が公表されようが、本作品と彼の演技は恐らくアカデミー賞ものではなかろうか。一見の価値がある作品だ。



映画三昧 ー Like Someone in Love

2013年06月27日 | 映画
日本映画で英語のタイトル? しかも監督が外国人。なんだこれは?そして何よりよし坊を惹きつけたのは、そのタイトル"Like Someone in Love"だ。日本映画と言っていいのか、それとも外国映画か。いや、この際そんなことはどうでも良い話だ。

Like Someone in Loveは言わずと知れたジャズのスタンダード。エラおばさんの歌が好きだし、演奏ではビル・エバンスのピアノが心地よい。

キアロスタミと言う監督が日本を舞台に日本人のみで現代日本の世相の中のありきたりの風景の一片を24時間の流れの中で上手に切り取っている。デートクラブで働く女子大生、ストーカー的なボーイフレンド。そこに人生の最終コーナーに差し掛かった老人が割り込んでいく。

老人は今宵、壁に掛けた肖像画にも似た、そして亡き妻の面影もありそうな女子大生を買う。と言っても生々しい性的はけ口を求めている風だはない。そう、手作りの料理と上質なワインで、静かに語らいたいのだろう。誰かを恋しているような、少しときめいた気分で。Like someone in love。部屋にはジャジーなボーカルで”Like someone in love”のフレーズが流れる。憎い演出だ。

前半の「静」に対し、後半は一挙に「動」となる。嫌気が差しているボーイフレンドとのトラブルで老人に助けを求める女子大生。放っておけない老人。そして、その日が明ければ、三人の夫々に、又同じ日常が戻って来るに違いない。

余韻の残る作品だ。

映画三昧 ー 朱花の月

2013年04月03日 | 映画
河瀬直美監督の「朱花(ハネズ)の月」を観た。彼女の作品は映画というものを毎回再認識させてくれる。あ~、これが映画だな、と。

奈良出身の河瀬は、今回も奥飛鳥の美しい映像を切り取って我々に見せてくれる。冒頭の奈良の山々の遠景の、その大和三山を女と男に見立てた語りは、この映画の物語の枠組みを暗示してくれる。一人の女を巡る二人の男。夫との日常性に厭いた女は、もうひとりの男が突きつけてくれるかもしれない”略奪”と言う非日常性をひたすら待つが、曖昧模糊とした関係が続くだけで、一向に非日常性は訪れない。女の祖母の嘗ての恋をフラッシュバックさせ、この恋が成就しないことを予感させる。

「男が始め、女が終わらせる」。誰の言葉だったか覚えていないが、頷ける言葉だ。恋の始まりは男が仕掛けるが、女と違い、男は優柔不断だ。終わらせる時が来てもズルズルと煮え切らない。男は自分から決断するのを嫌がる動物だ。だから、終わらせるのはいつも女と相場が決まっている。

女は究極の手段でこの恋を終わりにする。女の情念が大和三山を彷徨っているかのようだ。

二時間前後の中でテーマを完結させる映画は、テレビのドラマとは大きく違う。テレビのドラマは連続物にしても単発物にしても、多分に説明的、記述的である。だから観客も素直に筋を追うだけでよい。もっと露骨に言えば、ただ受身でいればよい。その証拠に、テレビのドラマは画面を観なくても声だけ聞いていれば最後まで筋も分かる。たまに、映像なんか要らないのではないかとさえ思う。映画の方は、物語の展開の中で、情景描写だけで観客に何かを語りかける部分があったりして、文章で言えば行間を読まないといけない箇所が頻繁に出てくる。又、時として映像美に魅了されることがある。切り取られた映像が何かを語りかける。だから、画面から離れることが出来ないのだ。こういう事はテレビのドラマでは味わえないところだ。映画の面白さがそこにある。

映画三昧 - ARGO

2013年02月08日 | 映画
ベン・アフレック監督主演の話題作「ARGO」を観た。1979年のホメイニによるイラン革命の最中に起きたテヘランのアメリカ大使館占居人質事件の裏側で極秘に進んでいた6人の大使館員の救出劇があったとは思いもよらぬことである。

ベン・アフレックが演ずる元CIAのエージェント、トニー・メンデスが着想した「カナダ人映画撮影クルーに扮しての表玄関テヘラン空港からの脱出」には、ハラハラしながらも、思わず唸ってしまう。アカデミーにはノミネートされなかったが、ゴールデン・ごローブでノミネートされ賞を獲ったのは喜ばしいことだ。

イラン革命前後に起きた同様の事件にEDS社員拘束事件がある。1978年、イラン革命へのうねりが高まる中、ロス・ペロー率いるテキサスの有名IT企業EDS社の社員が突然逮捕される。社員を救出する為に、ペローは私財を投じて救出チームを編成、直接の救出の指揮を退役軍人ブル・サイモンに委ね、見事成功する。この事件は実際のオペラーションに携わった人々からのインタビュー情報を元にケン・フォレットが「On Wings of Eagles」というタイトルで物している。そして、この本をベースにバート・ランカスターとリチャード・クレンナ主演の5時間のTVムービーが作られている。アメリカに来た当初、TVで放映されていたので録画して観た覚えがあり、久しぶりにVHSを引っ張り出してレビューしてみようと思う。

映画三昧 ー Zero Dark Thirty

2013年02月04日 | 映画
UBL、オサマ・ビン・ラーディンのハントの結末までを描いた話題の作品である。

CIAの女性分析官(たぶん、よし坊が読んだピーター・バーゲンのManhantの中に出てくる、Roseではないかと思うのだが。もちろん、このRoseも変名である)の目を通して、ビン・ラーディン殺害までを淡々と描いている。

ビン・ラーディンの遺体をアフガンの米軍基地に移し、女性分析官がビン・ラーディン本人であることを確認、基地より本国へ確認の暗号”ジェロニモ”が発信されて事実上映画は終わる。よし坊の興味はエンディングだ。どんなシーンが来るのか。最も頭に浮かびそうなのが、全米に知らせるためにポディウムに向かう大統領の後ろ姿を遠映しにするもの。しかし、女性分析官の特別専用機ともいえる軍用輸送機に乗り込むところで終わる。このエンディングでホッとした。パイロットが言う。「アンタの行きたいところへ飛んでいくぜ」。アメリカ映画のノリがここにある。

アメリカの映画には、事実を題材としたものが多い。しかも、事件や事故から比較的短時間、長くても5年くらいで映画化されているのではないか。日本にもそういう映画はあるが、総じて、すっかり忘れた頃に映画化されたりするように思えてならない。もし、そうだとすると、その違いは何か。

二つあるだろう。ひとつは、アメリカ人がアーカイブする、記録保存するマインドが強いということだ。ハリウッドが世界の映画界に君臨しているのは、膨大な過去の映像の保管があったからこそだろう。もうひとつは、アメリカ人の気質とは裏返しの日本人気質というか、そのメンタリティにあるのではないか。日本人は不幸な事件や事故に触れることには情緒的にネガティブだからだ。なんだか、アメリカ人はほとぼりが冷ないうちにやり、日本人はほとぼりが冷めてあまり文句が出ない頃を見計らってやる、そんな気がする。ま、どちらが良いという問題ではないのだが、文化の違いは面白い。

映画三昧 ー 樋浦勉と”ごんたくれ”

2013年01月18日 | 映画
映画やドラマは、主役を誰にするかも重要だろうが、無視出来ないのが脇役である。

脇役の方もいろいろだ。人気抜群ひっぱりだこで、あれにも出てる、これにも出てる、と出ずっぱりの方もいる。あまりに露出度が高いと、食べ過ぎの感ありで、食傷気味になるのは仕方がない。反対に露出度は低いが、地味に頑張っている脇役さんも多い。

そのひとりに、樋浦勉がいる。たまに映画やドラマで彼を見かけると、あの”ごんたくれ”も元気に頑張ってるな、とホッとするのだ。

彼の顔を鮮烈に焼き付けた映画がある。大映映画の「ごんたくれ」で、1966年封切りとある。以来、名前は知らなかったが顔は忘れなかった。

そもそも、この映画は雷蔵か勝新映画との併映だったはずで、これを目当てに観に行った記憶は無い。だから宇津井健と吉行和子が主演であることも全く記憶に無いのだ。夜間高校で不良視されていた、はみ出し者の”ごんたくれ”共を熱血教師がまとめあげて無事卒業させる映画なのだが、樋浦勉は、そのリーダー格を演じていた。

あの顔は敵役だから、その後はあっちで斬られ、こっちで殺され。その勉ちゃんも歳とともに、最近ではいい爺さん役で出ていたりして、なぜかホッとするのである。

映画三昧 - 007 James Bondの世界

2012年11月19日 | 映画
007最新作のスカイフォールを観て来た。ダニエル・クレイグの三作目だが、相変わらず息もつかせぬ展開であった。ボンド映画は、ダニエル・クレイグになってから最もハードボイルドな味付けになっているような気がする。それにしても昼間11ドルが早朝割引だと6ドルだから、まことにもって得をした気分にさせてくれる。

それにしてもボンド映画誕生から50年とは大したシリーズだ。日本映画だと「男はつらいよ」がよく続いたものだと思うが、こちらも負けてはいない。ショーン・コネリーのドクター・ノーを観たのが中学か高校の時だから、15~6から観始めて今はもう65だから、なんだか化け物的存在の映画である。

面白いもので、役者が好きになると、その作品を観たくなるのがファンだろうか。上の娘などは007の何処が面白いの?という感じだったのだが、どこでダニエル・クレイグに惚れたのか、カジノロワイアルから観始めている。12月に日本は封切るそうだが、早速観にいくそうだ。

初代のショーン・コネリー作品では、「ロシアより愛を込めて」がイチオシで次が「ゴールド・フィンガー」だろうか。3代目のロジャー・ムーア作品になると、コメディーの味付けがより強くなってきたように思う。「ムーン・レイカー」なんかは面白かった。4代目のティモシー・ダルトンでちょっとハードボイルドに戻した感はあるが2作で本来の舞台にさっさと戻ってしまった。ブロスナンも4作撮ったが、やはり長期間ボンドのイメージが付き纏うのは役者として考えさせられるのだろう。とすれば、ダニエル・クレイグも今回で最後かもしれない。

ボンド映画と言えば、コネリー映画の時に「二度死ぬ」のタイトルで日本が舞台になったが、ボンド映画の中でも評価は高い。日本人からみれば残念なのはボンドが花婿になって日本流の結婚式をあげるのだが、”日本と言えばフジヤマ、ゲイシャ”の戦後初期を代表するイメージに近く、違和感が残る。もちろんガイジンには知る由も無いが。

今作でジュディ・デンチのMが死に新しいMが誕生、併せてQも新しくなった。次回作はクレイグがやるのか、Newか、ひとつの興味ではある。

RAIZO - ある殺し屋

2012年10月08日 | 映画
仕掛針で始末する。言わずと知れた殺し屋、藤枝梅安のトレードマークである。時代劇の定番のひとつで、あのテレビの人気シリーズ「必殺」も始まりは梅安だった。

時代小説の時代劇、池波正太郎の手になるこの闇のヒーロー藤枝梅安は、それ以降も何人もの俳優によってドラマ化されてきたが、ちょっと待て。池波正太郎のちょっと前に、既に藤原審爾の手によって、現代劇の世界で針を使った闇の仕掛人を世に送り出している。発想という点からみても価値のある題材だし、その原作を基にした「ある殺し屋」と「ある殺し屋の鍵」も映像の世界では価値のある作品、エポックメイキングな作品ではないかと思う。

前作では料理屋の主人、後作では踊りの師匠と、なんの変哲も無い正業を営む。そして、現代劇では何の変哲も無さそうな雷蔵、その雷蔵がファンにはたまらなくよいのだ。

女優陣では、野川由美子が、歯切れのよい、オキャンな役どころで良い。この女優にはこういう役が良く似合う。久しぶりに昔の佐藤友美に出会えるのもいいもんだ。

二作とも良いが、どちらがより好きかと言われると、二作目の「鍵」の方だろうか。特に最後のシーン、コインロッカーの金を取り損ねるシーンだ。カメラの望遠レンズで、人ごみの向こうのコインロッカー50番を見る。警官が扉を開け、大金を確認する。「こんな事もあるか。次がまたあるさ」とでもいう顔で、鍵を放り、フェイドアウトする雷蔵。