暫くブログが途絶えていましたのは、よし坊とんでもない被害に遭っちゃいました。以下はその顛末記と教訓。
2日の夜は9時頃、日本からワイフに訃報が届いた。父親、95歳の大往生である。ついこの間のワイフとの電話では頗る元気な声だったそうだが。さて、ここからが大変。翌日飛行機に乗らなければ葬儀には間に合わない。時間的に営業しているのは時差がある西海岸、てな訳で早速旅行代理店に電話し、アトランターダラスー成田ー大阪のチケットを確保。終わったのが夜中の2時。これで寝れば寝過ごすこと間違いなしと、徹夜明けで、早朝一路空港へ。
大阪伊丹について、奈良天理行きのリムジンバスに乗ったまでは良かった。満席ではないが窓側は埋まっているので二人並びの席は無く、通路側の席にワイフと前後して座った。よし坊はパスポート、グリーンカード、日本の運転免許証が入ったポーチを目の前の前座席の背中にあるネットへ放り込んだ。隣を見ると、帽子を深めにかぶったアンちゃんがやや外向きに携帯でメールのチェックやらをやっている。おかしなもので、その時、コイツってどんな奴なんだろう、と限りなくモヤっとした何かが頭を過ぎった。
バスは伊丹を出て、第二阪奈をとおり、最初のストップ生駒でかなりの人が降りた。ワイフの横が空いたので席を移動。ここでよし坊は大きな間違いを犯したのであります。ポーチを置いたまま移ってしまったのだ。次の宝来バス停で何人かの人が降りたが、例のアンちゃんも降りて行った。その時、妙に荷物を抱え込むように降りていったのが頭に残った。そこで気がつくべきだったのだが、まさか取られるとは思ってないから気がつくはずもない。次の次が奈良。ひょいと後ろのネットを見ると何もない。アレ、ポーチどうしたっけ。記憶を辿っているうちに、アっ、ヤラレタ! そして奈良に着いた。念のため車内の人がバスの中を探してくれたがネットから落ちるはずもなく、ただ呆然として降りた。
JR奈良駅の横に交番がある。そこに直行、被害届け。おまわりさんが3人いたが、若いおまわりさんが応対してくれた。何せ一時帰国者でバスの中でやられたケースは初めてらしく、9時半くらいから12時近くまで調書作成に手間取った。
昔なら、よし坊が席を移る時、「もしもし、これ忘れてますよ」の一言の図だが、日本はかくも悲しい国になったのか、いや、はてしなく荒涼とした国になってしまったのかもしれぬ。よし坊の中で、日本がやけに遠くなった。
翌日、葬儀どころでなく、兎に角帰りの算段せにゃならぬ。朝一パスポートの申請だ。写真つきのID無いかときた。代表選手は運転免許証、しかも日本の。これ盗られてるわけで何にも無し。おもむろに、アメリカの運転免許証を出したら、係りの人困った表情だったが、「本省に問い合わせてみます」。他に何も無いので、結局これで代用することで決着、申請可となった。一週間後に下りると分かってまずはホッと一息。
次はアメリカ入国算段。領事館に電話、盗難紛失理由を説明、アメリカ本国へ問い合わせると言う。通常一週間が3日で確認が取れ、入国許可の手紙そ作成してくれた。これが160ドル。何でも金がついて回る浮世の習い。13日の飛行機予約も出来て、晴れてご帰還となった次第。
安全第一、ナリフリをかまっては居られない。今まで敬遠してきた、例のウエストポーチってやつ、腰に巻くと何とも不細工なのだが、帰りの成田で大枚2400円で購入、真新しいパスポートを入れて、あ~人生まだまだ色々ありそうだ、の実感。
2日の夜は9時頃、日本からワイフに訃報が届いた。父親、95歳の大往生である。ついこの間のワイフとの電話では頗る元気な声だったそうだが。さて、ここからが大変。翌日飛行機に乗らなければ葬儀には間に合わない。時間的に営業しているのは時差がある西海岸、てな訳で早速旅行代理店に電話し、アトランターダラスー成田ー大阪のチケットを確保。終わったのが夜中の2時。これで寝れば寝過ごすこと間違いなしと、徹夜明けで、早朝一路空港へ。
大阪伊丹について、奈良天理行きのリムジンバスに乗ったまでは良かった。満席ではないが窓側は埋まっているので二人並びの席は無く、通路側の席にワイフと前後して座った。よし坊はパスポート、グリーンカード、日本の運転免許証が入ったポーチを目の前の前座席の背中にあるネットへ放り込んだ。隣を見ると、帽子を深めにかぶったアンちゃんがやや外向きに携帯でメールのチェックやらをやっている。おかしなもので、その時、コイツってどんな奴なんだろう、と限りなくモヤっとした何かが頭を過ぎった。
バスは伊丹を出て、第二阪奈をとおり、最初のストップ生駒でかなりの人が降りた。ワイフの横が空いたので席を移動。ここでよし坊は大きな間違いを犯したのであります。ポーチを置いたまま移ってしまったのだ。次の宝来バス停で何人かの人が降りたが、例のアンちゃんも降りて行った。その時、妙に荷物を抱え込むように降りていったのが頭に残った。そこで気がつくべきだったのだが、まさか取られるとは思ってないから気がつくはずもない。次の次が奈良。ひょいと後ろのネットを見ると何もない。アレ、ポーチどうしたっけ。記憶を辿っているうちに、アっ、ヤラレタ! そして奈良に着いた。念のため車内の人がバスの中を探してくれたがネットから落ちるはずもなく、ただ呆然として降りた。
JR奈良駅の横に交番がある。そこに直行、被害届け。おまわりさんが3人いたが、若いおまわりさんが応対してくれた。何せ一時帰国者でバスの中でやられたケースは初めてらしく、9時半くらいから12時近くまで調書作成に手間取った。
昔なら、よし坊が席を移る時、「もしもし、これ忘れてますよ」の一言の図だが、日本はかくも悲しい国になったのか、いや、はてしなく荒涼とした国になってしまったのかもしれぬ。よし坊の中で、日本がやけに遠くなった。
翌日、葬儀どころでなく、兎に角帰りの算段せにゃならぬ。朝一パスポートの申請だ。写真つきのID無いかときた。代表選手は運転免許証、しかも日本の。これ盗られてるわけで何にも無し。おもむろに、アメリカの運転免許証を出したら、係りの人困った表情だったが、「本省に問い合わせてみます」。他に何も無いので、結局これで代用することで決着、申請可となった。一週間後に下りると分かってまずはホッと一息。
次はアメリカ入国算段。領事館に電話、盗難紛失理由を説明、アメリカ本国へ問い合わせると言う。通常一週間が3日で確認が取れ、入国許可の手紙そ作成してくれた。これが160ドル。何でも金がついて回る浮世の習い。13日の飛行機予約も出来て、晴れてご帰還となった次第。
安全第一、ナリフリをかまっては居られない。今まで敬遠してきた、例のウエストポーチってやつ、腰に巻くと何とも不細工なのだが、帰りの成田で大枚2400円で購入、真新しいパスポートを入れて、あ~人生まだまだ色々ありそうだ、の実感。