よし坊のあっちこっち

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東京五輪 そこで考えた

2013年10月01日 | いろいろ
一生でオリンピックのようなビッグイベントを二回も味わえ(そう)な事は中々ないのだろう。それにしても、今回東京に呼び込んだ日本のプレゼンは大変興味深く観た。オリンピックは都市のイベントではあるが、国のイベントでもある。国のバックアップと世論の盛り上がりが無ければ呼び込みは難しい。その意味では、政権が自民党に戻って良かったの一言に尽きる。今も民主党政権が続いていたら・・・。何も起こらなかったであろう。プレゼンターも含め招致に尽力した人たちは皆功労者に違いないが、最大の功労者は、やはり石原慎太郎だろう。前回は逆境の中で招致出来なかったが、沈下しっ放しの日本経済の浮揚策のひとつとして、彼が花火を打ち上げた意義は大きかったと言うべきだろう。政治家とは何を考え何をしなければいけないか。日本の中心東京が活況を呈すれば、必然的に地方へ波及する。それが分かっていて何も手を打たない政治家は不要である。

1964年の東京五輪。今でも鮮明に覚えているのが二つある。マラソンと棒高跳び。マラソンは独走のアベベと競技場での円谷とヒートリーのデッドヒート。目に焼きつく光景だった。棒高跳びはなかなか勝負がつかず、夜遅くまで続いた。オリンピック開催以来金メダルを取り続けるアメリカが敗れ去るか否か。そして、死闘を制したのはアメリカのフレッド・ハンセン。アメリカの金を守ったのである。

よし坊はラッキーだ。1995年、会社命令でジョージア・アトランタに赴任した。翌年はアトランタオリンピックの年であった。地元ということで、ワイフとよし坊はサッカー決勝のチケットを手に入れ、会場であるUGAキャンパスで、アルゼンチン対ナイジェリア戦を観る事になった。シートがナイジェリア側ということもあって、ナイジェリアの小旗を手に応援。3-2で強豪アルゼンチンを破る快挙であった。そしてマラソン。家族4人で有森への応援だ。ジョージアが、そしてアトランタが最も輝いた年だ。

7年後が東京五輪。帰れば競技場に行かなくても、日本と言う意味での地元開催の臨場感は味わえる。まだ歳もいける。それまでにはワールドカップもある。まず、来年のブラジルW杯。さすがにアメリカからでも遠いのと、既に懸念のニュースとなっている宿泊不足問題。これはテレビで観た方がよさそうである。2016年のオリンピックもしかり。

2015年はカナダで女子ワールドカップがある。これは行かなくてはなるまい。行くなら車がよい。その頃まだ娘がNJに居れば、そこを拠点に動ける。早々とそんなことを考えている。そして、次なる期待は、女子ワールドカップをなんとしても日本でやってほしいのだ、2019年に。ナデシコが優勝した意味は重い。ゆめゆめ日本開催が日韓共同なんてことにはならないよう願いたい。