よし坊のあっちこっち

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我が街アトランタ(9)共存と繁栄の町

2018年09月17日 | 風と共に去りぬ の アトランタ
南北戦争によって灰塵と化したアトランタの再建で、共存共生を目指した白系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人。白系の代表格はアレン家、アフリカ系はダブス家である。

アレン家のはテネシーをルーツとし、その後テネシーに近いジョージアのダルトンへ移住する。ここで生まれたアイバン・アレン・シニアが南北戦争後にアトランタで起業、その息子のジュニアがビジネスを発展させると共にアトランタのビジネス界で重要な役割を果たしていく。そして1962年~70年までアトランタの市長を務める。

一方のダブス家のルーツはウェスリー・ダブスにある。ウェスリーはジョージアの白人大地主ダブス家の奴隷であったが、奴隷解放後に主人名のダブスを苗字として自由人としての一家を形成する。教育熱心で初代ウェスリーから数えて3代目以降は全員大学へ行かせている。数えて4代目の娘アイリーンと結婚したメイナード・ジャクソン・シニアとの間に出来たジュニアが1973年南部大都市で初のアフリカ系市長となった。

期せずしてほぼ同時期にアトランタをリードしていく役割を担ったのである。彼らを含めた有名無名の人々が肌の色を乗り越えてアトランタを南部第一の都市に押し上げていった躍動感を感じる。

アトランタの繁栄の源は何か。第一に、地理的優位性である。かつて町の名前が起点終点を表すターミナスと称していたように、鉄道のハブであったことで多くの人、モノ、情報が流れ込んだ。これがビジネスの原動力となり、デルタ航空を筆頭にコカ・コーラ、世界最大のホームセンターであるホーム・デポなどを輩出するに至った。

第二は気候であろう。アメリカ諸州の中では極めて気候が安定している。西海岸は山火事と地震のリスク、北に行けば大寒波、東海岸沿いは時折ハリケーンのパンチを食らう。テキサスからフロリダに至るメキシコ湾沿いの州は日本で言うところの台風銀座である。内陸の中西部はトルネードがやってくる。小さな災害が無いわけではないが、アトランタを含むジョージアはこれらの災害が極めて少ない。災害がこの州を避けて通って行くような感じである。この恩恵がもたらすマネー効果は大きい。ジョージアの次に少ないのがサウス・カロライナではなかろうか。

そして第三は、今まで述べてきたように、かつて南部奴隷州のひとつに過ぎなかったジョージアが南北戦争敗退を機に、古い南部オールドサウスから新しい南部ニューサウスを目指すために人種差別よりビジネスによる経済繁栄を優先させるという知恵がアトランタの白系とアフリカ系の間に働いたことである。このことが南部においてアトランタを独特の地位に押し上げた。

アトランタに降り立ってから23年が過ぎた。食事に工夫がいるが、暮らしやすいことだけは間違いない。妻と話をしている。日本に帰る時期は寿命が尽きるちょっと前がいいな、と。さて、そう上手くいくだろうか。神のみぞ知る、である。