朝、新聞を見ていたら、遠い昔の写真に気がついた。ベトナム戦争真っ只中の1970年5月4日、アメリカの大学で軍が学生デモに発砲、死者を出した事件だ。日本でもアメリカでも反戦運動が盛んで、当時それに関連する色々な事件が起こっていたが、「ケント」もその一つである。
遠い昔の話だが、この写真は見覚えがある。当時、TimeかNewsweekにも出ていたはずだ。今の日本の若者に、「反戦」の言葉を投げかけても、「それって何」と馬鹿にされるのがオチだろう。当事国のアメリカでも、年とともに風化していくのは避けられないのだが、この大学は、この事件を歴史に残すことにした。
オハイオのアクロンという、昔、タイヤ生産で有名だった街から東へ10マイルの所に、Kentをいう郡がある。ここに、州立のKent Universityがある。1970年、ベトナム戦争に壁壁していたところに、時のニクソン大統領がカンボジア侵攻を決めた為、ケントの学生がデモを張った。軍(National Guard)が出動し、それ程過激でもなかったデモ隊に発砲し、4人が射殺された事件である。この出来事を歴史に刻む為に、National History Siteに申請、認められたと言う。通常、History Siteに認められるのは、50年以上経ったものが対象になるらしく、例外中の例外と言える。それだけ、意義が大きいという証左なのだろう。
遠い昔の話だが、この写真は見覚えがある。当時、TimeかNewsweekにも出ていたはずだ。今の日本の若者に、「反戦」の言葉を投げかけても、「それって何」と馬鹿にされるのがオチだろう。当事国のアメリカでも、年とともに風化していくのは避けられないのだが、この大学は、この事件を歴史に残すことにした。
オハイオのアクロンという、昔、タイヤ生産で有名だった街から東へ10マイルの所に、Kentをいう郡がある。ここに、州立のKent Universityがある。1970年、ベトナム戦争に壁壁していたところに、時のニクソン大統領がカンボジア侵攻を決めた為、ケントの学生がデモを張った。軍(National Guard)が出動し、それ程過激でもなかったデモ隊に発砲し、4人が射殺された事件である。この出来事を歴史に刻む為に、National History Siteに申請、認められたと言う。通常、History Siteに認められるのは、50年以上経ったものが対象になるらしく、例外中の例外と言える。それだけ、意義が大きいという証左なのだろう。