茨城県北部の某市から東京都小金井市に戻り、十日ほどたった四月下旬のある日、自宅近くの玉川上水沿いの遊歩道でランニングの練習を再開した。ランニングは大切な趣味であるが、自然の緑の中にいることそれ自身も無上の喜びである。
茨城にいた当時のランニング練習コースは、山、林、田んぼや畑を通る道ばかりで、空にはタカ、トンビが飛び、水田にはサギ、カモなどが遊ぶ自然のど真ん中であった。大きな自然の中に独り走ることで自己の存在を感じていた。そんな眼から見ると、玉川上水の自然は箱庭のようなものだが、植物や花の種類が多く、楽しい。
国木田独歩の「武蔵野」の中にも玉川上水沿いを散策する楽しみが書かれている。今のJR中央線の武蔵境駅で降り、上水にかかる境橋に行き堀に沿って上流に向かって歩いた。季節は夏。農家の人には変わった人と映ったようだ。明治三十一年というあちこちに自然が残っていつ時代にあっても玉川上水の自然は文学者の感性に触れるものがあったのだろう。
人間にとって生活の中に自然の緑がないと息苦しくなる。また自然の少ない環境にある人には鉢植の植物や盆栽があるだけでも癒しになるだろう。
私が東京に戻り、玉川上水を走った時、これでやっと自分の家の庭に帰ってきたという安堵を感じた。だが、まだキンラン、ギンランの花は咲いていなかった。この花はここ以外では私は見たことがない珍しい花だ。来月になれば見られる。 4月20日 岩下賢治
(注)玉川上水=江戸時代の1653年に江戸の飲料水確保のため築かれた人工の水路で、羽村市から四ッ谷まで43キロある。私の知る羽村から三鷹までは堀の姿を残し上水ベリには雑木林が残る。