花見をしました。その時の画像です。
新しい元号が発表された。様々が感想が飛び交う中、私は作家の柳美里のコメントに強い感銘を受けた。
ツイッター上で、彼女は次のように言っています。
令和の考案者だと報じられた国文学者の中西進さんと2010年6月に札幌で対談しました。「万葉のこころを未来へ」というシンポジウム。わたしの他には、作家のリービ英雄さん、楊逸さんがパネラーでした。
アメリカ人であるリービ英雄さんは「Manyo Voices in the World」というテーマで、中国人である楊逸さんは「アジアの想像力・中国の詩と万葉集」というテーマでスピーチを行いました。中西進さんからわたしに与えられたテーマは「民族詩をめぐって」でした。
中西進さんからのオーダーは非常にハードルが高く、万葉仮名の原典である「郷歌(향가)」と、朝鮮固有の定型詩「時調(시조)」について、万葉集と比較しながら語りなさい、というものでした。
しかも、直前に中西さんが楽屋にいらして、時調と郷歌を朗読してほしい、と言うのです。万葉集と通底している響きを聴かせたい、とーー。
わたしは顔面蒼白になり、朝鮮語を話せる友人に電話をかけました、古語なので発音が難しいのです。
対談としては史上最大の難関でした。朗読を終え、おっかなびっくり中西さんの顔を見ると、中西さんは朝鮮半島動乱で、百済、高句麗が滅亡すると、多くの人たちが半島からこの国にやってきた。額田王、山上億良、柿本人麻呂ら渡来系の歌人たちは、万葉集において大きな影響を持ったと話されました
渡来人たちが通訳を介して話していたという記録はないので、当時は別の国の言葉というほどの違いはなく、地域言語(方言)くらいの差だったのではないか。国境もない時代に、半島からの移民の流入による文化交流の中で誕生したのが万葉集である、と中西進さんはおっしゃり、私はとても励まされました。
ああ、「在日文学」の先輩たちは、万葉集の中にもいるんだ、とーー。
わたしは、わたしの作品の中で美しい日本語を奏でよう、とそう思いました。
令和、良い元号だと思います。万葉集を読み直します。
以上
私は元号というものにそれほど重きを置いていないが、以上のコメントにある豊穣な日本文化については、誇って良いのだと思う。古典の研究者はもちろんのこと、在日の優れた作家たちの、奥深い知性にも敬意を表したい。【彬】