沈丁花
コロナのせいか、このところ目立ちたがり屋が絶えない。
森オリンピック組織委員会会長の発言を巡って、大会ボランティアを辞退するというのも、その一つである。辞めるのは森喜朗氏に対する抗議だという。またその抗議を正当に扱ってくれないと言って、新聞沙汰にしている。辞めたいのならサッサと辞めたらいい。誰も咎め立てしないはずだ。
オリンピックの運営にボランティアの活動が注目を浴びるようになったのは、ロンドン・オリンピックからである。ご存知のようにオリンピックの種目が多種多様になり、運営に多くの人員が必要になったために、ボランティアの協力が不可欠になったためである。
東京オリンピックにはたくさんのボランティアが応募した。最終的には抽選になったほどである。ボランティアは余っている。
問題なのは、なぜボランティアに応募したのかということ。単にオリンピックという聖域に名を連ねたいのだとしたら思い違いも甚だしい。オリンピックを成功裏に開催したいと願ったはずなのだから、森喜朗さんがどうであろうが、最後までその考えを全うすべきだ。それがボランティア=志願という意味だろう。
同じことだが、聖火リレーを辞退する人が相次いでいる。ある演歌歌手の場合は、スケジュールが合わないからという。とんでもない思い上がりである。一度了解したことなのだから、最後までやり遂げるというのが人としての責務であろう。調整できないスケジュールなどないはずだ。
いずれも、コロナからの波及。村上春樹風に言えば、「やれやれ」である。【彬】