ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

日本文字の多様な表現

2021年03月11日 | 日記

 我が家の椿=新曙光の花

 以前、高尾山の梅見からの帰路、周辺界隈を歩いている時、変わった文字の道路標識に出会ったことがある。「椚」という字である。地名であることは明らかだが、見たことも無い字でもちろん読めない。帰宅後調べたら「くぬぎ」とある。えっ、くぬぎは木偏に楽しい、櫟と書くのではなかったのか。こんな字があるのか。
 樹木の名や魚の類の漢字・宛字は、いろいろであるから読めなくて当然だが、その宛字が一種ではなく、いくつもあるとは思いもよらなかった。
 そんなことがあって、たまたま柳田國男の著作を読んでいたら、国木田独歩のことが出てきて、独歩の姓はもとは椚だったというのである。椚という字はクニノキという意味で、薪炭の材料となる貴重な樹木なので、国の木として大事していたことに由来する字だという。しかし漢字では、このような字はなく、いわゆる国字だということを伝えたら、独歩が椚から国木田に変えたというのである。
 今、独歩をネット上で調べると、本名が国木田になっている。
 国字というのは地名などに多く、例えばアイヌ語由来らしき言葉はたいがい国字や略字、宛字が当てられている。そんなことを思い出したのは、「方言漢字」という本を読んだからである。これは筆者が全国の特異な地名を訪ね、実際に表記されている看板などを巡って歩き調べたもので、地方独特の漢字表記を「方言」と呼べるのではないか、ならば「方言漢字」と命名したい、とした本である。
 印象深い例はいくつかあるが、例えば第二章の東北地方を扱った箇所で、全国でここでしか見ることのできない「ホトケ」という漢字のことが紹介されている。ホトケは「仏」か「佛」であるが、この地域では、人べんに旁が西を書きその下に国と書く。一つの国字だが、どういう経緯でこの国字ができたのか、色々想像がよぎるのである。芥川に「西方の人」という作品があったことも思い出す。
 そのほか、多数の独特な地名を調べ歩いている。私は地方出身だが、子供の頃なじんだ出身地周辺のことなどが思い出される民俗学的な本である。

 ところで、日本語は世界に類例のない表音・表意を併せ持つ言語である。カタカナやひらがなで音を表記し、漢字で意味を表現する。この言語のおかげで、明治以来、多数の西洋文化や先進的な科学的知識が翻訳できた。今でも翻訳が最も盛んな国だと思う。この日本語の特質を、あらゆる側面から考えても蔑ろにしたくはないものだ。【彬】

  笹原宏之「方言漢字」角川ソフィア文庫

 

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