赤い実をつけたソヨゴ
少子高齢化というのは、子供が少ないのではなく、高齢者が多いことを言うのではないか、と最近思うようになった。
そこで自然界の摂理は、高齢者の撲滅のために、コロナ菌を放出したのではないのか。感染すると重症かから致死に至るのは、高齢者だ。健康な年配者には、外出を控えるようにと部屋に閉じ込め、遮断する。こうして年寄りの出番はなくなる。
こう責め立てられると、高齢者は周囲との接触をたたれ、活動範囲が狭くなるので、老衰が進む。歩かないから、膝が痛い、腰が痛い、となる。そして対人関係が疎くなるので、脳の老化も進む。ネット上で活動しようにも老人にはデジカル化した現代社会に対応する術がない。高齢者にはやれやれのコロナ禍である。
私は冗談を言っているわけではない。現に私の同級生たちは、コロナ禍で身動きが取れず、急速に老け込んでいる。
拍車をかけるかのように、言論や思索に関わる分野でも、高齢者排除が進んでいるらしい。池内恵氏は所謂氷河期世代を境に思考の断層が起きていると指摘している。かつてのイデオロギー中心の思索から断絶した世代の研究者たちが主流になって、20世紀の出来事が全く飛んでしまっていると言うのである。「前世代の先輩たちがいつの間にか姿を消していった──氷河期世代と世代論」 池内恵
「人新生の資本論」(斉藤幸平)などがベストセラーになっているのを見れば、明らかもしれない。今ではなんでも新である。岸田首相も新資本主義などと言う。さて、私たち高齢者は素直に引き籠ることを、よしとしたものやら否や。【彬】