ビワ
少子化との関連か、出産費用の公費負担が国会などで政策論議に上がっている。
出産は病気ではないから、健康保険の対象外で、多額の費用がかかるという問題提起である。病気ではないが、特別な身体的・精神的事態で、現実に医療の対象となっているのであるから、公費負担は当然だと思う。
ところで、少子化だが、これは国力の低下を招くという考えが一般化しているように思う。本当だろうか。以前、私は少子化は良いことではないか、と述べたことがある。日本の人口は江戸末期で3,000万、敗戦期で8,000万だった。戦前、産めよ増やせよとの国家的号令のもとにあったが、1億は超えなかった。ところが戦後はみるみる間に1億超えである。これほど増えたのは、個々人の生活が豊になったからである。
しかし今の少子化は生活の困窮、貧困のせいではない。技術革新の恩恵で、生活レベルが圧倒的に向上し、私たちの生活スタイルが全く変わったからである。
学歴の向上、女性の社会進出、結婚の高齢化が急速に進んだ。その結果、共働きが増え、育児は保育園など社会制度に依存するようになった。この経緯をたどれば少子化は当然である。
少子化はGDP=国民総生産の低下を招き、国家予算の縮小を来たし、結果として防衛や国家的プロジェクトなどの巨大事業が萎縮、世界の技術進歩から遅れをとるのではないか、とされている。国家の視点から見れば、確かにそうなるだろう。アメリカや中国の状況を見れば、明らかだ。だが、個人のレベルで見れば、一人当たりの国民所得は減少するわけではない。むしろ労働効率が上がり、個人所得は増えるだろう。人口も地方分散型から幾つかの極に集中し、上下水道や電力などが効率的に共用できるようになる。その上、資源が節約され、今日問題になっている温暖化など環境負荷が軽減されるだろう。
昔、中国が人海戦術として行っていた経済活動は、これからはロボットが代用するにちがいない。ひょっとすると出産も人工の胎盤で行うようになるかもしれない。
少子化をマイナス面だけで捉えることはあまりいいことではないように思う。
どんなことでもそうだが、国家という仕組み、国家の頂点からものを判断するのではなく、私たち生活者一人一人の立場で判断することが重要であるように思う。【彬】