シクラメン
大阪や各地の自治体から教育の無償化の動きが活発になっている。国政レベルでも少子化対策の一環として、高校や大学の授業料の無料化が検討されているようだ。学習や勉強することには相当な費用がかかる。日本がまだ貧しかた頃は、高等教育を受けることは裕福層の特権だった。だから無償で勉強ができると言うのは、素晴らしいことには違いない。
日本国憲法では、教育は国民の義務だとされている。義務なのだからあらゆる便宜が図られて当然だ。とは言え、教育ほど費用がかかるものはない。だから無償の線引きをどこで引くかが問題となってくる。
形式ばって言えば、これは、義務教育の範囲をどこで引くかと言うことになる。現在、小学校から中学校まででが義務教育となっていて、それ以前の幼児期、および高等学校は、その範囲を超えている。無償化はこの範囲をどこまで広げるかの問題なのである。義務なら当然、無償化されるべきである。ならば大学までも義務とするのか。
また、教育に関しては、教育を受ける権利というのが定められている。教育を受けたいという人は誰でもが差別なくこの権利を享受できるのである。だから戦前、教育を受けられなかった老人が、年老いて小学校に入学するという人がいたりするのである。この権利と義務の関係をどう判断するかが、今、教育の無償化に絡んで問題となっていると言えるのではないか。
私は、無償化問題と同時に、現在の63制という教育制度を改める時期に来ている、と考えている。
現在の63制が制定されたのは、戦後の教育改革によってである。戦前は小学校とその上に高等小学校があり、そして中学校があった。この旧制中学校は裕福層の特権みたいなものだから、これを見直して、現在の63制に変わったのである。そうした変革を経た63制が、今や家庭環境の変化、食生活や情報環境の変化、都市化などにより、勉学に見合った制度とはとても思えなくなっている。日本が見本としたアメリカでは、プレスクール、プライマリースクール、セカンダリースクール、ハイスクールと、日本より細かい配慮がなされている。
制度が立ち遅れているために、都会では多くの子供たちが公立学校を避け、私立に通うようになっている。なぜ、公立ではダメなのか。受験のための塾だけでなく、英会話やスポーツ教室などの社会教育の場が活況を呈しているのである。この教育環境の変化を裏表なく受け入れるべきだと思うのである。
私は小学校を2つに分けた方がいいと前から述べている。1~3年生と4~6年生が同じ校舎で学ぶことに違和感がある。小学時代を6年ではなく、7年に伸ばすのも良いと思う。それに以前の幼稚園に相当するプレスクールが必須だと思う。登校拒否が起こるのは、新学年の体験によることが大きい。
なお、具体的に言えば、給食。低学年の食べ物と高学年の食べ物が、同じでいいわけがない。運動会など体力に相当な開きのある行事を、全学年で行うことは無理である。同世代の、同じ興味関心を持った子供同士で教育を受けられるようにしたい。そうすることによって教育の無償化は一層効果的で、皆が納得できるものになると思う。
現在の制度での無償化は、公立と私立の違いにどう対処するのかを含め、課題が多い。
無償化の問題より前に教育制度を検討すべきである。【彬】