ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

雑司ヶ谷七福神

2012年08月13日 | 日記

都電で旅をしました。
1日乗り放題で大人400円です。
この絵は、雑司が谷七福神のひとつ、観静院の弁財天です。(眞美)

 

 

 

 

 

 

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塩の道の馬ぐつ

2012年08月13日 | 日記

信州・塩の道での馬靴  稲藁を束ねて土俵のような丸い枠を作ります。くつ底も藁です。それを撚った荒縄で縛り、馬の足に履かせ括ります。

 

 日本では明治になるまで馬の蹄に蹄鉄を打つ知識がなかった。時代劇等で馬がパカパカ走っているが、当時、蹄は馬自身の爪であるから、強く走ると爪を割るので映画のようにはいかない。だから運搬など長距離の利用の際には馬にくつをはかせた。くつと言っても藁で作った粗末なものだ。草鞋である。特に冬場は凍って足場がすべるので、馬ぐつは欠かせなかったようだ。

 イザべラ・バードというイギリス婦人が明治の初期に東北地方を旅行した際、馬に蹄鉄がないことにびっくりしたことが記されています。たしか、轡もなかったはず。日本では馬の利用が進んでいなかったのです。

ヨーロッパでは馬の活用(騎乗し戦闘する)が盛んだったために、鞍、轡、蹄鉄などの用具が発達した。道具や技術というのは、危険であれ、必要があってはじめて発達するのです。現在、ヨーロッパの高級ファッショングッズは、革製品に代表されるように元は馬具メーカーだったはずです。

 北アルプスの登山口で有名な長野県の大町には、かつて塩の道の中継点としていくつもの塩問屋があったらしく、現存する一軒を「塩の道博物館」として保存しています。ここに馬ぐつが展示してあります。小生も初めて見ました。

よく出来ていると言えばそうなのだが、蹄に鉄の輪を打つ知識があったならば……と思わずにいられない。鉄は早くから生産されていたのですから。【彬】

 
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残暑御見舞い

2012年08月13日 | 日記



残暑お見舞い申し上げます。
四谷の外堀公園で、とかげの子供をみつけました。
シッポが青く光っていました。(眞美)

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諏訪大社・カジノキの神事

2012年08月11日 | 日記

本殿前のカジノキ。神紋として植えられている。

カジノキの葉。桑と似ています。柔らかな細かい鋸歯があります。

諏訪大社に参詣しました。4社あるうちの、前宮、上社の2社。
欅、樅、杉等の大木に守られた社殿は、多分、往古からの雰囲気を残しているのだろう。空気が清澄だった。
小生、お賽銭もあげず、信仰心もないものだから、歓迎されざる訪問者に違いなかった。
ところで、この神社についてはほとんど知識がないのに、考えさせられることが2点あった。

1つ目は、梶の御紋のこと。
上社の境内の中央に梶の木が植えられ、この木の葉形が神紋となっています。
梶の木というと、名字に梶をつける人はたくさんいます。梶本、梶原、梶木、梶井などなど。しかし、私たちは梶という木にそれほどなじみがありません。
いったいどんな木なのだろうか。植物図鑑等を調べると、大木になるようで、桑の木の仲間らしい。実は食べられる。
こんな木が、なぜ神様と関連があるのだろうか。
梶の木についていろいろ調べると、麻やコーゾのように繊維から布を取るという。そして梶から取った布を「タエ」というそうだ。辞典によると〈栲〉と書く。言わずもかな、古代の織布シロタエのタエです。
前宮の現人神(大祝=男神)が地位に就くときに、梶の文様のついた袴を与えられたとされています。こうした由緒があるわけです。諏訪神社の元は、出雲の大国主命とされていますから、畿内の大和に対して、日本海文化ですね。さらにたどると、このタエは日本独自のものではなく、南方ポリネシア群島では、タパといわれ、ごく普通の衣類だそうです。

特異な神社とされる諏訪も、古い時代からの複合であることがよくわかります。

これは、諏訪大社前宮の賽銭箱。真ん中に神紋のカジの文様が浮き彫りにされています。この神紋を支えるプレートは、踊りくねるような勇ましい木目を見せる欅の一枚板。また周囲の枠木はいずれも柾目の檜で、すべて白木です。手入れがよくないのか、全体にくすんでいて、左下は鉄の支えの応急処置が施されています。そしてさらに肝心な神紋は、丸い枠が折れ落ちて放置されていています。前宮は廃れているのです。

【御柱について】

2つは御柱のこと。参詣前は御柱とは1本だと思っていたのだが、これが社を囲む四方、つまり4本もありました。びっくりです。

1本だと神の依り代という意味かと思われたのだが(そういう解釈が多いと思う)、4本だと明らかに違います。
4本ということは、四囲を囲うという意味ですから、これが神域であり、この範囲が神様の住まいだということに
なります。この柱を住民総出で町内引き回すわけですから、住民が神様の住まいを造ってあげると言うことなのではないでしょうか。
ここの神様は、大国主命(出雲の神様)を元にしていまして、系図からして、一地域に不動な神様ではなく、かなり移動性の強い神様です。
そこで、御柱を建てて、この諏訪地方に神様を封じ込めるという意味があったのではないだろうか。 

正誤は別にして、こんなことを思った次第です。【彬】 

 

 

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暑中お見舞い/團十郎

2012年08月07日 | 日記

平成24年8月7日 立秋、今日から残暑見舞い

『團十郎』

歌舞伎でなく朝顔のお話し。
先月、七夕に入谷鬼子母神の朝顔市にいってきた。
手ぬぐいをきりりと締めたはっぴ姿のおねぇさんにことしのお勧めは『團十郎』とのことで一鉢買ってきた。
花色がいわゆる「團十郎茶」、二代目團十郎が『暫』の主人公で素袍<すおう>に使い柿渋色(柿色)を市川一門の色としたそうな。日記絵ではへただが天辺の向こうを向いた一輪。
市川一門いまは成田屋・十二代目團十郎、先日マスコミに騒がれたのが息子の市川海老蔵。
役者色、他では二世瀬川路考の路考茶、初代尾上梅幸の梅幸茶<ばいこうちゃ>(鶯色と薄茶の溶け合ったような色)等々あるらしい。各茶微妙に違う、こんなに種類を識別できるのは日本人が世界に誇れるが、西洋人にはこの違いが分かるかなあ。
朝顔市にはセオリー通り花の咲く早朝、蕾の多いものをと心がけてはみたが、買った時は12センチくらいの大輪だったのが、うちにおいていたら小さくなって??5、6センチ、なんともだまされたような。
一度暑さでだめになりそうだったが米のとぎ汁で復活、八月になって小さいながらも秋近しと毎日咲いてくれている。(か)

 

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