都電で旅をしました。
1日乗り放題で大人400円です。
この絵は、雑司が谷七福神のひとつ、観静院の弁財天です。(眞美)
信州・塩の道での馬靴 稲藁を束ねて土俵のような丸い枠を作ります。くつ底も藁です。それを撚った荒縄で縛り、馬の足に履かせ括ります。
日本では明治になるまで馬の蹄に蹄鉄を打つ知識がなかった。時代劇等で馬がパカパカ走っているが、当時、蹄は馬自身の爪であるから、強く走ると爪を割るので映画のようにはいかない。だから運搬など長距離の利用の際には馬にくつをはかせた。くつと言っても藁で作った粗末なものだ。草鞋である。特に冬場は凍って足場がすべるので、馬ぐつは欠かせなかったようだ。
イザべラ・バードというイギリス婦人が明治の初期に東北地方を旅行した際、馬に蹄鉄がないことにびっくりしたことが記されています。たしか、轡もなかったはず。日本では馬の利用が進んでいなかったのです。
ヨーロッパでは馬の活用(騎乗し戦闘する)が盛んだったために、鞍、轡、蹄鉄などの用具が発達した。道具や技術というのは、危険であれ、必要があってはじめて発達するのです。現在、ヨーロッパの高級ファッショングッズは、革製品に代表されるように元は馬具メーカーだったはずです。
北アルプスの登山口で有名な長野県の大町には、かつて塩の道の中継点としていくつもの塩問屋があったらしく、現存する一軒を「塩の道博物館」として保存しています。ここに馬ぐつが展示してあります。小生も初めて見ました。
よく出来ていると言えばそうなのだが、蹄に鉄の輪を打つ知識があったならば……と思わずにいられない。鉄は早くから生産されていたのですから。【彬】