畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

山の畑を見上げたら

2024-12-18 04:04:07 | 自然

 水田の中の農道を歩きながら、見る風景。
遠く見えるはずの越後三山は、曇り空の中。水田には雪を冠ったすねの刈り跡。

 来た方向を振り返ると、大沢川にかかる橋の欄干が見える。
水田は、わずかにできた水たまりで、雪は縞模様に消え残っています。

 左側が農道ですが、2、3年前にアスファルト舗装されています。
誰の踏み跡もない雪に覆われた農道を、時には写真を写しながら歩き続ける。

 山を見上げます。まっすぐ上が我が家の山の畑になります。
山の畑と、我が家では標高差が140mありますが、積雪量はかなりの違いです。

 青空も見えています。陽の光を浴びた山の木々は光輝いて見える。
さて、もうすぐで魚野川の堤防に到着します。枯草で滑って転ばないように行きましょうか。
             (続く)
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雪の中を二人で散歩

2024-12-17 04:27:03 | 自然
 冬の魚沼は、散歩をするような天候にもなかなか恵まれない。
雪マークばかりの予報の中、午前中に珍しく日が差し始めて散歩に誘われる。

 この日までの最大積雪深は20㎝前後だったでしょう。
根雪にはなると思われるのだけれど、雨模様の日が続き積雪が増えないのは嬉しい。

 草に覆われて、川幅も狭くなって見える魚野川の支流「大沢川」です。
水田の中を流れる下流方は鴨撃ちが連日来る。上流の国道沿いは発砲できないのでカモが群れている。

 地平線が平らに見えるのが、魚野川の堤防です。
その向こうの山が、木々に積もった雪で全体を覆われ、関越自動車道も木に隠れて見えません。

 山の上の木沢集落は霧に覆われています。
左手の尾根に隠れているところに、いつも写真撮影に行く牛ヶ首展望台があります。
           (続く)
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チーズフォンデュ!

2024-12-16 04:07:06 | 食べ物
 夫婦二人の食事は、なんだか味気ないし、メニューに悩むこともある。
二人で相談の結果、久しぶりにチーズフォンデュをしようかと話はまとまった。

 結構使用感のあるフォンジュパンはなんとイタリア製。
冬に山の畑に登って、チーズフォンデュをやりたくて、長岡の店で取り寄せてもらった。

 以来、30数年は使い続けているのかな。
2つ購入したのでしたが、1つは中越地震の際に壊れてしまった。
チーズフォンデュの準備として、まじないのようなものですがニンニクをこすりつける。

 ガスコンロでチーズが溶けるまで加熱して、溶けたらテーブルへ。
テーブルの上には、電熱器を置いてフォンジュパンを載せます。ワイングラスは大小2つ。

 チーズと、パンが主材料。おっと、もちろんワインも欠かせません。
本場のスイスで食べたことのある、スベルベママには物足りないらしいが。


 先ずは、王道のパンからでしょうね。
変則的ですが、ウィンナーや芽キャベツなどの野菜も材料として準備しました。

 この日の具材の中で、秀逸だったのがこの「ウルイ」でした。
栽培山菜の一種ウルイは、生で食べたり茹でて酢味噌和えで食べたりします。
 それが、こんな風にチーズを絡ませても新鮮な味覚で驚きました。
夫婦二人で静かな夕食です。でも、二人で1本のワインが空かないなんて年齢を感じてしまいます。
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連載327「むくろっち」(その2終わり)

2024-12-15 04:23:10 | 暮らし
  
 高校に入学したら、長髪OKに。ただし、制帽は必ず着用の校則。

     むくろっち(その2終わり)
         
 他にもこれはあだ名だが「味噌玉」なんて呼ばれた子供もいた。今は「味噌玉」などと言っても分からない人が多いだろう。昔は田舎では味噌は自家用として、大豆の栽培から始めて味噌に仕立てていたものです。春先に庭先の釜土に大鍋を掛けて大豆を茹でる。茹で上がった大豆は大型の引きつぶす機械の大きな受け口に入れてハンドルを回す。すると、円筒状の口に沢山の穴が開いていて、そこからにょろにょろと出てきたのだ。

 これを円錐状に丸めたのが味噌玉。熱々の味噌玉はムシロの上で熱を取るとともに、形を作って固まるのを待つ。固まったら、藁などで縛りあの頃だったら、囲炉裏の上に吊り下げて乾燥したものでした。そんな情緒たっぷりな味噌玉だが、こんなあだ名は付けられた本人は切なかったことだろう。

 他に坊主頭で思い出す遊びがある。遊びというよりも悪ふざけと言った方が正確なのだが、刈ったばかりのイガグリ頭に、後ろから濡れ手ぬぐいを素早く乗せて引っ張る。驚くことに短い直毛の力は強くて、引っ張ると踏ん張る間もなくひっくり返るのでした。
 一様にきれいに散髪された小学生たちの頭を見て、思わず自分たち昭和の時代の子供時代が脳裏によみがえったのでした。
           (終わり)
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連載327「むくろっち」(その1)

2024-12-14 06:17:31 | 暮らし

 中学校を卒業するまでは坊主頭が当たり前

   むくろっち(その1)

 「むくろっち」あるいはなまって「もくろっち」なんて言ってた者もいたようだ。日に焼けて真っ黒になったイガグリ頭をからかう言葉だった。真っ黒でカチカチに硬い実をそう呼んだのだが、正確に言うと「ムクロジ」と言う木の実の事ですね。
 今は見ることも無くなったが、羽子板を使って羽根突き遊びをするときに使った、色とりどりの鶏の羽が刺さった黒い木の実の事です。少なくともこの辺りでは、昭和年代の子供たちは坊主頭、イガグリ頭が男子の普通のヘアースタイル。小学校入学時に長髪、坊ちゃん刈りと呼ばれた頭の子は、同じ学校の校長先生の倅だけでした。しかも、床屋さんに行けるのは恵まれた町場の子供たち。農村部の子供たちは、母親又は父親にバリカンで刈ってもらっていたものです。
 切れないバリカンだと結構悲劇で刈りきれないうちに引っ張ると頭皮がはがされるような痛みを伴うことになってしまう。そのうちに分刈りなんて洒落たスタイルも生まれる。今でいうアタッチメントを取り付けると、その種類で何ミリと調整できるってわけ。
 帽子なども無く、むき出しの坊主頭は芯から日に焼けて真っ黒になることになる。そんな状態をからかった言葉が「むくろっち」だったのです。くりくりとした真っ黒でしかも小さくて可愛い同級生達の頭が目に浮かぶ。
             (続く)
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