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適度、いやそれ以上の雨に降られてもさつま芋畑は順調に成長を続けている。
早く植えたところで二ケ月前、遅い所はまだ植えて二週間ほどです。
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今年はスベルべ夫婦が早め早めに手を回し、雑草を取っているので何時に無く綺麗なさつま芋畑。
いや、滝沢種苗のオジーさんから習って始めたマルチシートを畝に張る栽培方法のお陰も大きいですね。
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それでも油断すると僅かな幅の畝間、マルチとマルチの間が雑草に覆われ、マルチの植え穴からも草が出る。
根の浅い「スベリヒユ」はともかくとしても「アカザ」や「紫つゆ草」などは大きくなるとさつま芋共々抜いてしまうことにもなる。
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この一帯の蔓の先端の葉が赤いのは「安納芋」ですよ。全部で800本くらい植えたかなー。
これ位の伸び方の蔓だと畝間の草も取れるけれど、これ以上育つと草取りも難しくなりますね。
もっとも、畝、そして畝間をさつま芋の蔓が覆い隠すほど伸びると雑草も日陰になり育たなくなりますが。
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「安納芋」の手前も期待の「玉乙女」でこれは合計400本ほど植えたはず。
今年は今までに2,600~700本のさつま芋を植えましたね。
それで思い出すのが、今から37年前の事です。
その年は、私の両親が力を合わせて、それまでの記録を抜く最高の本数3,000本のさつま芋を植えていた。
そして、その年は三月末にスベルべ夫婦が結婚した年でも有りました。
忘れもしないその年の七夕様7月7日に母が強いめまいを覚えて倒れてしまった。
その時は、まさかその後5年間も闘病生活を続けることになるとは思いもしませんでした。
母を愛し、本当に大切にしていた父は他人の介護に頼ることを厭い、入院中はずっと付き添っていた。
時を同じくして長女を身ごもった妻は、つわりが激しかったけれどもこらえて父に食事を作って届け続けた。
その頃と言えば、さつま芋畑の雑草ももっとも伸び方の激しい時期だったけれども草取りの記憶は無い。
姉たちが助けてくれたのだったかも知れないが、関東方面の県境で働いていた私には適わぬ仕事でも有った。
しかし、そのさつま芋はスベルべが主力になって掘り起こすしか無く、休日毎に帰宅し、
朝から晩まで一人でさつま芋掘りをしていました。(いや、勿論姉たちの手助けも得ていたのでしょうが)
誰でも同じ事だと思うけれどもその頃は畑仕事なんて嫌で仕方なかった。
バドミントンに登山に釣りにオートバイと、趣味が多すぎた事も有るし、
持って生まれた正義感が災いし、労働組合活動にまで参加し始めたのも畑に出なかった理由かな。
そして、今年の春は母の三十三回忌を迎えるほどの歳月が流れてしまった。
積極的に親の畑仕事など手伝わなかった親不孝者のスベルべが何の因果か今はこうして畑仕事に嵌っている。
昔の浪花節でも無いけれど『親の因果が子にたたり~ペンペンのペンッ』と畑仕事に明け暮れる毎日。
ま、不肖の息子は父も母も超えることはさらに無く、同じような命を削るような老後を過ごしている事になります。
今朝はAコープに二回も足を運び、野菜を出品してきたけれど、それ以降は雨が降り続いて家に閉じこもり状態。
こんな風に山の畑で思ったよしなしごとをブログにしてみているって訳です。