のんびりぽつぽつ

日常のこと、本のこと、大好きなこと・・・
いろいろ、と。
のんびりと。

主人公はひとり。でもふたり。だけど、ひとり。

2009年09月20日 17時17分45秒 | 山本耕史@陽炎の辻
「居眠り磐音 江戸双紙」
佐伯先生の新展開に向けてのインタヴュー記事
繰り返し、何度も読んでいます。
31巻が大きな山場になるんだな・・・という中で。
気になること。
判らないこと。
でも、何となく解ること。

どうしてもこだわってしまう事。

自分の中にだけ納めて置けないことを、書いてみようかと思います。
あくまでも私個人の感覚ですので・・・ご了承ください、ませ。



例えば。
ものすごく気に入っている本があって。
文章暗記できちゃうくらい何度も読んでいる作品で。
それが幸いにも世間でも人気のある本で。
で。
映像になる、と判ったとき。

わたし。
大概、非常に強い拒否反応を起こします。

『本を読んで自分の中に出来上がっている世界を壊されたくない』

ただ、この1点のみのために。
そして。
映像化された作品が高い評価を得ていたとしても、

観ないんです。
とことん、避けます。

でも同時に。
逆パターンもあります。
そのまま、ぴたっと嵌れば、それまで知らなかった作家さんにのめり込むってこと。

「陽炎の辻」は私にとってはこちら。
完全に初めに「映像ありき」でした。
そこから原作にのめり込んだ典型的な例。
加えて今じゃ、主役にものめり込んじゃってますけど、ね(こっちはかなりめずらしい例/笑)

でもね。あえていいますけど・・・
初めに「山本耕史ありき」ではないのです。
初めは土曜時代劇「陽炎の辻」なんです。
(「木曜」でもないんだよね。私って・・・)
その世界がぴたっときたから原作に興味を持った。
そして原作を読んでみたら、ますますピタっときて、
映像も文章も両方ともが更にとても大切な作品になった。

山本耕史演じる坂崎磐音があまりにもハマっていたっていうのは確かに大きいと思う。
原作を読んで、全く違和感がなかったのはびっくりした。
文章の合間に見えるひととなりがぴったりだったから。

そして耕史くんファンということでTVを観始めて、
そこから原作も読もうって思って、
今は両方とも大好きだ!って人たちも大勢いらっしゃると思う。

それで、ですね。
つまりくだくだ書いたけど、要するに・・・・

そういうきっかけから原作に行った人たちを、
元から原作が好きな人たちと分けて捉えないでほしい・・・・

ってことが言いたいのかな、といま気が付いた(^^;)。

映像作品や贔屓の俳優さんから原作に入った人たちも、
最初原作を読んで気に入った人たちと同じだと思うのです。
「この作品が大切だ、大好きだ」って想いは。

本を手にしてその作品世界を楽しむ。
それは入口がどこであれ、文字で表す世界をとても楽しめるってことでは同じじゃないか、と思うんですよ。

若い女性でも私みたいなおばちゃんでも同じだと思います。
男性だって同じ。
文字で描かれた世界に浸る。
それは結局その一人ひとりの中に作品の世界が出来上がって、
それをとても楽しめるってことだから。

佐伯先生にわかってほしいなあ、と思うこと。
山本磐音→坂崎磐音な私だけれど、原作もとても大切に思ってるんですよ、ということ。
そして喩え山本磐音=坂崎磐音として頭の中で読んでいるとしても、
それでもやっぱり原作は原作としての魅力があるから読んでいる。
決して映像にひきづられて読む訳ではないんです。
0が2つくらい違う場所から入った読み手も、もう少し信じてほしい。
文章に魅力が無ければ30冊も読みません。
物語に吸引力がなければ、30冊も続きません。
まして、再読なんてしません。

功罪。
罪の部分。
先生の本意でないところもあるのでしょうけれど、、
でも。
結局読む媒体はすべて、読まれた時点で読み手の想像力に世界観はゆだねられる。
作者の思い描く世界と読者の思い描く世界は絶対同じにはならないんだもの。
ま、原作者が映像に引きづられたらだめだ、とは思うけれど、

原作のみを愛している読者さんたちにだけでなく、
私みたいな入り方の読者にも分け隔てなく、どうか次回作を描いてください。

いいライバルってことかな。
山本磐音と坂崎磐音。
ひとりだけどふたり。
2つだけど1つの世界。

映像と文章。
この2つが馴れ合わずお互いに高めあっていかれたら、いいね。
(例えば、「鬼平犯科帳」のように・・・・・・)

シリーズ31巻。
別れと誕生(?)。ふたつ同時に期待してしまったらいけないかな。
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6 コメント

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たにしさん~ (ゆきゆき@管理人)
2009-09-23 21:28:37
こんばんは♪
コメント、うれしいです~。
ありがとうございます(^^)

某、掲示板のこと。
本当に、制作者側が冷静に聞いてくれていることを祈ります。
好きだからこそ、気持ちが判るからこそ、一呼吸置きませんか?ってことが多々あった気がします・・・から。

> 先生そこはわかっていそうな気がするのに、なぜあえてあんな書き方を・・ってループになってしまうので以下自粛(苦笑)

そう!判ります!ほんとに良く判ります!!
そうなんですよね。
あの文章は一応インタビュー形式だし、もしかしたら先生の意図していない文字表現になっている、なんてこと・・・でも、ないですよねぇ・・・
webにupする時点で目を通されていますよ、ね?
どうなんだろう。

私の場合、最初に読んだ時の衝撃が大きすぎた分、自分の中で消化しきれなくてこうして稚拙ではありますが文章にしました。
ほとんど、自分の中の動揺を抑えるためのみの記事。。不特定多数の方が目にすることを前提にした文章って、案外気持ちの整理に役立つんです。時間は膨大にかかるんですけど・・・(^^;)
そして。
その後、たにしさんはじめ、こうしてコメントしてくれる方々のお陰で、すこし冷静に見つめなおすこともできましたし、気付かされたことも多いな、と思います。

こういう件に関して書くことは、かなり抵抗も勇気もいる作業だったんですけど、ね。。。
(何より自分が揺れているし、この文章で不快な気持ちを持たれる方も居るかもしれないし・・)

> ぱっと読んだ時の印象が強烈過ぎて反発されてる方がわりといらっしゃるようでした

そうなんですか。うん。そうでしょうね。
特に以前から耕史くんファンの方々には強烈な文章ではなかったかなあ、、、
後からファンになった私でこれだけ動揺しちゃいましたから。

でも。
だからこそ、原作は原作。映像は映像。
耕史くんの演じた「山本@坂崎磐音」は間違いなく最高!
そして原作の坂崎磐音もまたこれからの苦難のなかで最高でいてくれるでしょう、と信じて。
私はいたいな、って思います。

ほんとに31巻が待ち遠しいですね(^^)。
返信する
同感。 (たにし)
2009-09-23 14:08:43
こんにちは。またまたおじゃまします。
同感同感、と思いながら読みました。

>>もしかすると先生の中に某所の掲示板の状態への不安(?)が多大にあるのかな、とも思っています。
>>あの状態が先生はとてもいやで、そこから「原作を愛する読者に」と思ってしまったのかなあ、と。
というところ。私もそう感じました。
ちょっと・・危ういですよね??
私も熱狂してる一人だから気持ちはわかるんですが、あの雰囲気には時々不安を覚えます。
一部の声だけを制作側が鵜呑みにしないことを願っています。

そしてもうひとつ。そうだよなぁ・・って思ったところ。
>>本の読み手はそんな甘くない。まして再読する程ほれ込む読者は、甘くない。
>>文章に魅力がなければ、離れていく。けれど、それはあくまでも文章に対しての読み手の評価であって、映像の魅力のあるなしではない。
まして、映像の評価では決して動かない。
ほんと、そうですよね。そう思うからこそ、あの書き方がひっかかりました。
先生そこはわかっていそうな気がするのに、なぜあえてあんな書き方を・・ってループになってしまうので以下自粛(苦笑)

今回の事では、ぱっと読んだ時の印象が強烈過ぎて反発されてる方がわりといらっしゃるようでした、いろいろ読みまわってみると。
もう出てしまった以上、後は受け手の問題なんでしょうが、少しでもこうしてゆきゆきさんのように考えてくださると(同じように、という意味ではなくて、考える姿勢をもつ)いいなと思いました。

ほんと、31巻がますます楽しみですね~♪
返信する
和音0323さん~ (ゆきゆき@管理人)
2009-09-23 11:11:23
こんにちは~。

え~。和音さん「ハゲタカ」原作読んでいないのぉ~??だめじゃん!あんなに萌えてたのにぃ~なーんて、ね。(笑)
私も読んでないっす。経済用語が怖くて手を出せなかった口です・・・(爆)

って、ことはオイトイテ。。
えっと。です。

的確なご意見、ありがとうございます。
私は、この件に関しては未だに迷ってるし混乱してますが。

原作と映像の捉え方。これに尽きる、のかな。
一括りとして捉えてしまうか、別物とするか。
これは。多分私の中で今まで何回も葛藤があって訓練されてきたことなのだろうな、と思うのです。
この2つを分離すること。基本、私は分けたい。
正直、難しいんですけど。好きになればなるほど・・
特に原作が大好きだったときの映像との分離。
これは修行不足で私には未だ無理。
だから、原作から入った時に映像に向かって激しい拒否反応を起こしてしまう読み手の気持ちもとても良くわかる。

逆の立場に関しては。
今回に限ってですけど、私の中ではほんとうに見事にきっぱり分離できていて。
だから、TVのあの話の流れも多少の引っかかりはあるものの「ありだ」と思った。
映像の作り手がそう進めたいのならそれで良し。
終わりを急いだ感もあったし、何より30分なんて無茶な時間枠しかもらえなくなった時代劇の悲しい弊害は大きいと思うけれど。

今回のインタヴュー。
もしかすると先生の中に某所の掲示板の状態への不安(?)が多大にあるのかな、とも思っています。
私自身、掲示板に書き込まれる内容に途中から疑問符だらけだったのですが・・・
あの状態が先生はとてもいやで、そこから「原作を愛する読者に」と思ってしまったのかなあ、と。

最初から、居眠り磐音と陽炎の辻は別の作品です、って立場でお話されていた先生なのだけれど、
生みの親が巣立った子どもの変化に戸惑ってしまった・・・・のかな、と。

読み手も書き手も同等。
世に出してしまったら、読み手が受取る世界まで書き手が縛ることはできない。
その逆もできないし、してはいけない。

だから。

あれはあれ。
これはこれ。

そう判った上でそれぞれの表現を楽しめたらそれだけでいいんですよね。
もちろん、出て行ってしまう人たちもいるし、いても、いい。

> 映像に負けるんじゃないかという恐れのようなものがあるのかな

そうなんです。
だから信じてほしいって書いたのです。
本の読み手はそんな甘くない。まして再読する程ほれ込む読者は、甘くない。
文章に魅力がなければ、離れていく。
けれど、それはあくまでも文章に対しての読み手の評価であって、映像の魅力のあるなしではない。
まして、映像の評価では決して動かない。そう、思うのです。

だから・・・
先生が信じる通りに書いてくれて構わないし書いてほしい。

31巻。とても楽しみにしているんです。
時代小説は歴史をきちんと踏まえた上で、そこに世界を作っていくとおっしゃっている作家さんなので、
家基を推している時点で、今後かなり厳しい世の中になっていくのは読者にも容易に想像ができるのね。
それでも磐音って人は多分揺るがない人だろうから。
そこがあれば安心できる。
そう思って楽しみに待ってます。

何と言ってもねー。
定期的に大概次巻を出してくれるんですよ。。
これはほんとにありがたいよぉ。。
妙に身に沁みてそう思いますよ~~~(ねぇ。素子せんせ~/ナンチャッテ~笑)
返信する
なかなか面白いやり取り♪ (和音0323)
2009-09-22 21:23:20
一昨日この記事を読んでコメントをつけたくなったのですが、書くことがまとまらないのと過激になってしまいそうで^_^;書くのを控えていたら敦子さんのコメント。そして、ゆきゆきさんのお返事。

おもろい!!
とてもおもろい!!


アンだけハゲタカ萌えしておきながら原作は一文字も読んでいない私としては、この話題に参加する資格はないような気がしますが原作者の意向って…実はどうでも良いんじゃないかと思っています^_^; スイマセン過激で。


だって発表した以上はもう読者のもんじゃん!って思うんですよ。どっから入ってきた人だろうと、どっから出て行った人であろうとそれは作者の意向でどうこうできるものではないし、してはいけないものだと思うし。

映像化されたものは、映像化するときの監督のものだし、それが放映された時にはそれを観た人のものだと思うんですよ。出版された作品が読者のものになるように。
どんなシリーズであろうと、どんな名作、古典であろうと読む読まない、好きになるならないは読者のもの。作者がどう言おうとそれは揺るぎがないものだと、思うのです。

読解は表現です。読み取る、ということは自分で表現を(脳内で)作り上げるということです。だから、読者と作者は同等です。素子さんが言うように「気に入っていただけたら嬉しい」けれど、それ以上を求めるのは、自分が描くイメージを相手も正しく持てと(読者側からも、作者側からも)求めるのは不遜だと、思ったりします。

私が書くこんな拙い文章でも、webにアップしてしまったらそれは受け取り手のもの。直接間接に攻撃されるのを良しとはしないけれど、読み手がどう受け取るかはその人の自由ですもの。

作者佐伯さんのインタビューも読みました。どっちかというとゆきゆきさんが感じた危うさに近いものを感じました。
映像化されることに馴染んでないというか、映像に負けるんじゃないかという恐れのようなものがあるのかなって思いました。
大丈夫なのにね。活字の持つ力は、映像の力なんかよりずっと強いのにね。それを観る人の数は確かに映像の…いやテレビの方がずっと多い。でも、思いの深さは、強い思いを持つ人の割合は活字の方がずっと多いのだから。

100万枚売ってチャートのナンバーワンになることよりも、3桁、4桁の観客の前で熱いパフォーマンスをすることのほうが絶対大切なのと同じように。


あっれ~?
微妙に論点がずれたような気がする…
おお、ワインが残り8センチになっているからだ(^_^;)
佐伯先生も、ゆきゆきさんも敦子さんも気楽に31巻を待てたらいいな。だって、楽しまなくちゃ損でしょ? せっかくの新刊なのに。まさよしくんの次の新刊,新作はいつかわかんないんだぞ~。(関係ないことですね、すんません(-_-;))
返信する
敦子さん~ (ゆきゆき@管理人)
2009-09-21 10:27:18
はじめまして。
ご意見、ありがとうございます。
正直、記事をUPしようかどうしようか迷いに迷っていましたので、
こうしてきちんとお話くださる人がいてくださると私の中の混乱も整理できてとても有り難いです。

> 映像と映像ファンの危うさを感じていらっしゃるのではないか?

もう一度、読み直してみると、私自身かなり偏った読み方になってしまっていたかな、、と気付きました。
敦子さんの視点がなかったのです。
私の中で、映像と小説はきっぱり分かれていて、つい、佐伯先生のおっしゃることは小説に関する内容、とのみ捉えてしまうので。
どうして、入口の違う人たちを・・・と考えてしまいました。

映像ファンの人たちに、「居眠り磐音」の世界は少し違うということをきちんと伝えたいという気持ちももっていらっしゃるのかもしれないですね。
確かに、、、
後半に行くほど、「陽炎の辻」は原作から少し離れてしまいましたから。
やはり初めに原作ありきですから、映像があまり離れすぎてしまったらどちらの作品にも悪い影響しかでなくなる。それはイヤですし、心配になるのはとてもよく判ります。
(某掲示板って某・・ですよね?(笑)・・・私も途中からちょっと????になりました。)

私は原作と映像が似て非なるものになってもOKっていう考えもあるのですが。
その非の部分の幅、でしょうか。ここがとても広い人もいれば忠実に・・と考える方もいる。
比較的私は幅のあるほうかも・・。
ただ。
磐音さんの立ち位置、おこんさんの描き方については今回、かなり疑問がありました・・・
ですから続編はもしかして作ることがあっても、スペシャルがいいな、と思っています。
30分しかない連続枠ではあの世界は描ききれない。微妙な『間』『遊び』がシリーズ1に比べて2.3はほんとになくなってしまって、そこが「陽炎」と「居眠り」をつなぐ大切な場だった、と、とても残念だしくやしいなあ、と常々感じておりました。

・・・話がそれました・・・

2つだけれど1つの世界。
本当にそうなってほしい。
そんな磐音ワールドが広がっていけたら最高ですね。

31巻。とても楽しみにしています。
厳しい内容であろうとも、たぶん希望はなくならないだろうと信じて、佐伯先生の筆を待ちます。
定期的に出してくださるのが待つ身にとってはありがたいです!

敦子さんは以前からの耕史さんファンなんですね。私は存在を知ったのは「ひとつ屋根の下」。そこから一気に飛んで「山本磐音」で捕まって。。4月以降遡ったり現在進行形で追いかけたり・・・でもう大変!(w)
そして感じたのが、
どんな役でも受け入れて「生きて」しまう不思議な役者さん。
ほんとに器用な人なんだなあ・・(手先だけでなく)とびっくりしました。
これから先もどんな顔を見せてくれるかとても楽しみにしています。

長くなりました。
稚拙な文章で読みづらいところ、失礼がありましたらお許しください。
普段はごった煮でいーかげんな場所ですが、
よろしかったらまたいらしてくださいね。

ありがとうございました。
返信する
拙文にて失礼致します (敦子)
2009-09-20 20:18:41
いきなりで申し訳ございません。
興味深く拝読させて頂きましたし、頷くことも多々ありました。
ただ、あのインタビューを読んでいて、佐伯先生が<読者を分け隔て>しているようには感じませんでした。
ただ、映像と映像ファンの危うさを感じていらっしゃるのではないか?と愚考しました。
冷静に観ていて、映像がシリーズが進むにつれて筋立てだけ借りて原作とは似て非となりそうな作品世界になっているように思いました。
このままの状態で漫然と続編が制作され、原作世界と映像の世界が離れて行き、視聴者と読者の感覚が異なってくる危険性。届く読者の声などでその芽生えを感じていらっしゃるのか、と感じました。
(個人的感覚ですが、某掲示板の雰囲気についていけないモノを感じてしまっています)

>山本磐音と坂崎磐音。
>ひとりだけどふたり。
>2つだけど1つの世界。

これが最大の理想形だと思います。
でも、今はそれぞれが、有体にいえば映像が段々と異なる世界を作ってしまっているように感じます。
やはり冷却期間は必要なのではないでしょうか?
先ずは、原作ありき、だと思います。
尚、私は山本耕史さんのファンで、出演を知って原作を読み、演じるには少し雰囲気が違う役だなぁ、と思いつつも作品自体が面白くなり大人が買いして一気に読み始めました。
ですから、当初から原作と映像の磐音を楽しんで来ました。
そして、「陽炎1」は正に<2つだけど1つの世界>。
でも「陽炎2」半ば以降は、原作の端正さが好きです。

以上はあくまでも個人的意見とはいえ、公の場には相応しくない記述があるかもしれません。
この度の佐伯先生のインタビューでこのようにきちんと書かれているのを初めて拝見致しましたので思い切って書き込ませて頂きましたが、筆が滑っているかもしれません。
この場に不都合或いは相応しくないようでしたら、削除をお願い致します。
長々とご無礼を致しました。


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