日曜日の朝の彼は、実についていなかったようである。お墓の掃除に向かう途中の交差点、信号は黄色…当然、直進車両は止まるだろうと右折…あとは意識が朦朧とする中で、レントゲン検査をし、胸に多少の痛みを感じながら退院は出来たようである。なけなしの金をはたいて購入した軽自動車は全損…17日からの仕事へ通勤手段を失って退職(いわゆるクビ)、車は車検切れで無保険車両…後から30万円程度の罰金が科せられるだろう。
「レ・ミゼラブル」…不運の連続…「ふ~ん」と私は彼の話を聞き流す。まかり間違えば、命を失っていたのである。こうして生きていられるだけで儲け物ではないか。彼に「運」が無い訳ではない。人々が差し伸べる「幸運の糸」を自分自身で断ち切ってきただけなのである。そう、彼が如何に不幸かと言うことを吐き出し、ものの10分もしないうちに「中古の軽自動車で良いから手に入らないだろうか?」と甘えを述べる。お金が無いなら自転車を使え、まだ自分自身の動く両足があるではないか。人の善意を当てにしておきながら、俺ばかり苦労しているとのたまう。実はもう少々、苦労を味わう必要があるようである。
運が良いとか悪いとか、自分の境遇の悪さを嘆く人は多いけれども、命をつなぐ一本の糸だけはまだ切れていないと感謝する人は少ないのであります。「東南西北」…遊びの世界ではあるけれども、四人で行う麻雀というゲームに何故「風」という言葉を使うのだろうか?
確かに勝負勘(博才)というものは存在するし、「和了(ホーラ)」までの手順とテクニック、流れというものがあるのだけれど、素人でも勝つ時は勝つ。半荘、一荘と回を重ねて行くうちに、必ず自分に対して追い風となる局面が来るのである。追い風を逃さず、逆風に無理をしない…多くの場合、逆風にも係わらず逆転を狙って無理をし、弱気の虫が追い風を逃してしまう。たかが麻雀というなかれ、四角い麻雀卓の上にも人生が凝縮されているのでありますよ。
自分の幸運に気付かず、他人の成功だけを羨む…小人(しょうじん)とは、実に情け無い存在であります。そしてまた、自分自身が小人であることにも気付いていない私…ヒメグモの類が、イネの葉を上手に使って夜露をしのいでいると感じるか、人生の無情という糸に雁字がらめにされていると感じるか、受け手の感情で見方は大きく違ってくるのであります。
少なくとも、ヒメグモは彼の持つ能力を最大限に発揮して生きていると『夢屋国王』は感じるのであります。
生きとし生けるものに、幸いのあらんことを…今夜の『夢屋』は宗教家に変身するのでありましたとさ^^;