舞楽殿の「書」を読んでみた…
長距離運転の結果ではなく、途中、200段ほどの階段を昇り、「八郎潟」の風景を眺めたのが影響してか、脹脛(ふくらはぎ)の辺りが筋肉痛であります^^;(普段の運動不足が現れてしまう。)それに気付いたのが、アルバイトの帰り道に立ち寄った神社の石段でのことだから、さらに間が抜けている…。
家族と一緒に参拝すると、本殿に手を合わせ、話題の「三羽のうさぎ」を探しては、そそくさと帰ってくるだけだから、一人の時くらいゆっくりと社殿に施された「彫刻」などを眺めてきた。「神人歓楽」ねぇ…本宮に向かって舞楽が披露されるとすれば「神も人も共に歓び楽しむ。」と素直に読めば良いのだけれど、「歓楽(冠落)」とは、「病気」の忌み言葉でもあるらしい。読み方次第では「神も人も、贅沢し過ぎて病気だわぁ。」と令和風の読み下しをしたりしましてね…どこかスネている。けれど、どこか狂ったような風潮を観ていると、勝手な読み下しも的を射ているかもなんて思ったりしましてね。
「歓楽極まりて哀情多し」とは、中国前漢の武帝が詠んだ「秋風の辞」の結びらしく、『楽しみや喜びの感情が最高潮に達すると、かえって悲しい気持ちになるものだ。」という意味らしい。「贅沢を極めて、悲しい気持ちがおとずれる。」なんて、庶民は一生感じることはないだろうという思いはあるのだけれど、「少壮幾時ぞ、老いを奈何せん。」と続くらしいから、「老い」というものは、贅沢を極めても、極めなくても平等に訪れるものらしい。ならば、小さくても『歓楽(幸せ)』を日々感じなくてはなんて思ったりもする…そう言えば「歓楽街」なるものに、最近はとんと行っていないなぁ。これは、まったく別物である(笑)
五能線「能代駅」でありますが…
さて、「都市計画と掛けて、お化粧と解く。その心は、手を掛ければ掛けるほど美しくなる。」と講釈した都市計画の講師がいらっしゃいましたが、都市計画街路として整備された区間の国道101号沿いの街並みは美しく、それと交差する東西の道路の街並みは「シャッター街」…地方都市にアルアルの光景でありますよ。いくら『お化粧』に時間とお金を掛けても、内面から出る『美しさ』が伴わなければ…こればかりは住んでみないと分からないからよそ者がコメントすべきことではないとは思うけれど。
五能線「能代駅」は、時刻表を見る限り、1時間に1本の運行のようであり、高速交通網(秋田新幹線、秋田道)に取り残されてしまった感もある。東京と地方が高速で結ばれることが『幸せ』とは思わないけれど、30年前は何も無かったと思っていた秋田市内の変容や途中の横手市の街並みを眺めていると『寂れた感』は否めないのでありますよ。(これもまた、部外者の余計なお節介ではある。)
はてさて、『歓楽極まりて』…一時の隆盛を懐かしんだり、『ミニ東京』を目指したところで、『幸せ』を感じられるかどうかは分からない。地方には、地方なりの『幸せ』があり、やり方、生き方もあると思うのだけれど…。降り積もった雪は次第に消えていき、畑の草むしりをしたり、残渣を焼いている光景も見えだしてきましたよ。また、春が来て、同じような作業が繰り返される。「老いを奈何せん。」と嘆いた武帝でありますが、春はまたやって来るんだなぁ…変わらない毎日が、毎年、変りもせずに繰り返される。これが一番の『幸せ』かも知れないなぁ…なんてね(笑)