『コロンブスの卵』は逆ですわなぁ^^;
伝記の中で語られる『コロンブスの卵』は、イタリアの歴史家ベンゾーニによって広められたらしい。(出典:故事成語を知る辞典)この逸話は、戦前の尋常小学校の国語の教科書にも取り上げられたようであり、『おやじぃ』が初めてこのお話を聞いたのは、我が祖母が語ってくれたものでありますよ^^;
さて、叔父さん叔母さんたちも亡くなってしまい、近所の元気印の叔父さんも最近体調が優れないようであります。(何しろ満93歳ですから。)お彼岸で線香を手向けにお邪魔し、顔だけは見て来たのだけれど…「オレも遂にがおった。(弱った。)以前のようにちゃっちゃと歩けない。」などと弱音を吐いている。「施設の女子(おなご)が介助してくれるけれど、その手を振り払ってやった。」と強がりも見せる^^;「オレなら、折角、若い女の子が手をつないでくれるのだから、手を強く握りしめてやるけれど。おんつぁの好みの女子ではなかったに違いない。」などと冗談を言って、お暇したのではあるけれど…。帰りしな、叔母が米沢市小野川温泉名物の『ラジウム卵』を手渡してくれた。そうそう、この家の婆ちゃんも湯治に行っては、その度に『ラジウム卵』を買ってきてくれたものである…それでは、中身をご覧いただこう…卵の殻をハサミで切って立てる。やっぱり卵は立たないねぇ…ならば、缶ビールの飲み口を使って立ててみて…これって『反則』かなぁ?コロンブスの時代に「缶ビール」は無かったはずだから(笑)
「大根葉」の煮物もご馳走ですよ^^;
さて、「コロンブスの卵」は、誰にでも出来そうなことでも、最初に行うことは難しいという例えであり、最近では、発想の転換によって難しい問題を解決する場合にも用いられる。「卵をテーブルの上に立てる。」という命題に対しては、缶ビールの飲み口を使うことは『反則』かも知れないけれど、「卵を立てる。」という命題だけなら、あながち『反則』でもありますまい。「盛り塩」の上に立てるという技もあるかも知れない。
はてさて、世界陸連のトランスジェンダー参加資格問題…個人の権利や公平性を追求していくと必ずぶち当たる『壁』なのかも知れないなぁ。かつて、柔道には「無差別級」という競技階級もあったけれど、そのうち『フリー』というエントリー種目も現れるかも知れない。「性別」という切り分けをして、記録(順位)を決定している以上、そこに「性差」を認めていることになるしねぇ…。
「コロンブスの卵」は広く知れ渡り、今では誰でも思いつくこと…『おやじぃ』が卵を立てたかったのは、『ラジウム卵』の中身を見せる方法を考えたかったから^^; 方法論を変えれば、後から誰しもがなるほどと膝を叩く選択肢も現れるかも知れない。今朝、墓石の前で亡き親父が泣いている夢を見た…「オラ、何か親不孝したっけかなぁ…。」そんなお彼岸の送り日でありましたとさ。