本日「完成検査」…いつまで持つ?
『おやじぃ』の親父が、この辺りで井戸を掘っていて、「縄文・弥生期の遺跡」を発見したのが小学生の頃だから、初期の土地改良事業から50年以上経過しているはずであります。当時は、山形大学の柏倉教授らの手によって発掘調査も行われたようでありますが、「保存」するという気運もなく、記録も余り残っていないらしい。(杭を打ち込んで石に当たり、スコップで掘り返したら「石器」だったということらしく、「俺がこの遺跡の発見者だ。」と自慢していたっけ…「町史」では土木作業員と紹介されているけれど、加工された石を「石器」と目利きした知識は、大したものだと思っておりますよ。)はて、それから改良事業が進み、友人『トシパン』の記憶でも、「水門」は設置されてから40年以上経過していることになる。さすがに、水門の「扉体(ひたい)…止め板」は錆びつき、ゲート枠も朽ち果ててしまいましたよ。今年の受託事務アルバイト…土木工事部門は、この水門の改修工事であります。ハンドルやスピンドルは再利用し、朽ちた部分を交換して再設置。土地改良区で実施する幹線水路の水門は、ステンレス製…これならば、『半永久的に』丈夫で長持ちなんですけれどねぇ。何せ鋼製のゲートとは倍半分の値段差がある。「今まで40年間持ったのだもの、鋼製でも今後40年間は持つだろう…。」との判断で再設置でありますが、「はて?農業があと40年持つのだろうか?」などと自虐的な冗談を言う『おやじぃ』であります。(大規模農家は、生き残っていけるだろうけれど…その頃は、分水方式も自動化されていたりしてねぇ…。)
今夜は「大根葉の煮物」に注目^^;
『おやじぃ』が故郷に帰り、就職するための採用面接…「農業の将来をどう思いますか?」といった内容の質問があったような気がする。「小規模農家は撤退(離農)せざるを得なくなるのではないだろうか。」と思いを答えた記憶がある…結果、この団体には採用されなかった。性格が災いし落ちた^^;
以降、農業とはとんと無縁の生活のための仕事に従事することになるのだけれど、退職後に農業関連団体のお手伝いをしているという不思議な巡り合わせでありますなぁ…「あと10年持つだろうか?」という思いを持ち続けて以来40年…機械化が進み、高齢となっても従事する方もいらっしゃいますが、『おやじぃ』が予想した通り、小中規模農家の離農は進んでおります。大規模農家と言えど、『家族労働』を主体とする経営では、経営面積もそろそろ飽和状態になっているというのが、『おやじぃ』の肌感覚でありますけれどねぇ…。それでも、耕作条件の良い所は残って行くに違いない。折角、再設置した「水門」でありますが、『おやじぃ』がこの世に居なくなる頃には、開閉を自動化したり、明渠用水を暗渠用水にしたりしないと維持出来なくなるのかなぁ…なんてね。
米価の低迷で『元気の出る農業』という標語も、『丈夫で長持ち』する農業へと変えなければいけないかも知れない。今確実に言えること…40年後は『近未来』と思っていた青春時代は終わり、『おやじぃ』に40年後は無いなということ。「縄文時代」から人々が暮らして来た『豊かで住み良い』場所だったはずである…これからも人々が暮らしていける土地(故郷)であって欲しいと願うだけでありますよ(笑)