中国共産党「帝国」の様相は、その対外姿勢においてますます、昭和前期の帝国・日本のものと近似しつつあると指摘しておられるのは、東洋学園大学・櫻田淳教授。
2014年 5月に開催されたアジア信頼醸成措置会議(CICA)首脳会議での習近平の基調演説は、1934年 4月の天羽(あもう)英二(当時、外務省情報部長)が発した、「天羽声明」に似通っているし、「一帯一路」構想は、「大東亜共栄圏」構想のの射程と重なり合っていると。
10月 1日、中国建国70年の国慶節記念式典の演説のなかで、「いかなる勢力も偉大な祖国の地位を揺るがし、中国人民の前進を妨げることはできない」と述べた習近平。
参列した江沢民、胡錦濤の前国家主席両人が背広を着ていたのとは対照的に、中山服に身を包んだ習主席の姿は、中国の「今」を象徴していたと櫻田教授。
中国共産党「帝国」の行方を考える上で参考になるものとして、ゴードン・G・チャン氏が『ウォールストリート・ジャーナル』紙(日本語電子版)に寄せた香港情勢の論評記事をあげておられます。
チャン氏は、「中国の崩壊(disintegration)はもう始まっている」というアーサー・ウォルドロン氏(中国史学者、ペンシルベニア大学教授)の見解を紹介した上で、「中国の歴史においては、体制は外側から徐々に崩れることが多い。ウォルドロン氏によると、『崩壊は帝国の端で始まる。それが進行すると周辺領域を次第にむしばみ、最後に中央の権力が危険にさらされる』と記しておられるのだそうです。
そして、『首都から遠く離れた場所で起きた軍事的な反乱によって(唐は)致命傷を負った』と。
ウォルドロン氏の指摘が正しいとするならば、中国共産党「帝国」の大陸内奥部にあってはチベット自治区や新疆ウイグル自治区、その沿海部にあっては香港や台湾が、『体制の崩壊』が始まる『帝国の端』に相当すると。
辛亥革命直後には、「漢満蒙回蔵の五族共和」は建前上でも語られていたが、現状は、「漢族による他の満蒙回蔵四族の圧殺」と呼ぶべき風景だとも。
香港や台湾も、日英両国の植民地統治を通じて「西方世界」の影響を受けた結果、「中国の一部」と見るにはおよそふさわしくない空間に相成っている。
チベット、新疆ウイグル両自治区、そして香港や台湾は、中国共産党「帝国」にとっては、帝国維持のための「負荷」が最も強く掛かる空間になっていると。
帝国・日本においては、石橋湛山が植民地放棄と自由貿易を軸にした国際協調とを趣旨とした「小日本主義」路線を提案した。しかし、現下の中国には、往時の石橋に類する「小中国主義」を唱える声は、出てこないのであろうかと櫻田教授。
帝国・日本との類推では、仮に中国共産党政府が「香港も台湾も、もはや中国ではない。ウイグルやチベットも元々、中国ではなかった」と表明すれば、中国に絡む難題の多くは落着すると。
習主席は、12日のネパール訪問中に、「いかなる地域であれ、中国から分離させようとする者は体を打ち砕かれ骨は粉々にされて死ぬだろう」と述べたのだそうです。
石橋の怜悧な提案をついぞ受けいれなかった帝国・日本の末路。
中国共産党「帝国」では、帝国・日本の末路が再現されないと断言できるのであろうかと、櫻田教授。
帝国・日本への抵抗を建国神話の基底に据えているはずの中国共産党「帝国」が、日本と同じ道をたどろうとしているならば、それは、一つの「歴史の皮肉」であると。
繰り返しになりますが、「中国の歴史においては、体制は外側から徐々に崩れることが多い。」「中国の崩壊はもう始まっている」と指摘があるなか、毛沢東時代への回帰を進め、専制化と力で抑え込む国内統治を強化している習近平。
中国共産党「帝国」の行方が注目されます。
# 冒頭の画像は、中国建国70年の国慶節記念式典に参列した、習近平と江沢民、胡錦濤各氏
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2014年 5月に開催されたアジア信頼醸成措置会議(CICA)首脳会議での習近平の基調演説は、1934年 4月の天羽(あもう)英二(当時、外務省情報部長)が発した、「天羽声明」に似通っているし、「一帯一路」構想は、「大東亜共栄圏」構想のの射程と重なり合っていると。
【正論】中国共産党「帝国」がたどる道は 東洋学園大学教授・櫻田淳 - 産経ニュース 2019.10.30
去る10月1日、中国の習近平国家主席は、中国建国70年の国慶節記念式典に際しての演説の中で、「いかなる勢力も偉大な祖国の地位を揺るがし、中国人民の前進を妨げることはできない」と述べた。式典に参列した江沢民、胡錦濤の前国家主席二代が背広を着ていたのとは対照的に、中山服に身を包んだ習主席の姿は、中国の「今」を象徴していた。
≪昭和前期の帝国・日本と近似≫
筆者が解釈する限りは、現下、習主席が率いる中国共産党「帝国」の様相は、その対外姿勢においてますます、昭和前期の帝国・日本のものと近似しつつある。
たとえば、習主席は、2014年5月に開催されたアジア信頼醸成措置会議(CICA)首脳会議での基調演説で、「アジアの事案を取り仕切り、アジアの難題を解決し、そしてアジアの安全保障を保持するのは、アジアの人々である」と語っている。
習主席の認識は、1934年4月に天羽(あもう)英二(当時、外務省情報部長)が発し、後に「天羽声明」として語られる談話における認識と誠に似通っている。「天羽声明」には、「日本は●外國に對しては常に友好關係の維持★進につとめてゐるはいふまでもないが、東亞における平和及び秩序を維持するためには日本の責任において單獨になすことは當然の歸結と考へる」と記されている。
また習主席が展開する「一帯一路」構想にしても、その射程は、「大東亜共栄圏」構想、日独伊三国同盟と日ソ中立条約を含んだ往時の日本の対外戦略構想の射程と重なり合っている。
≪「帝国の端から体制が崩壊」≫
中国共産党「帝国」の行方は、どのようなものであろうか。
これを考える上で参考になるのは、『ウォールストリート・ジャーナル』紙(日本語電子版)に、『やがて中国の崩壊がはじまる』(草思社、2001年)を著したゴードン・G・チャン氏(弁護士、ジャーナリスト)が寄せた香港情勢の論評記事(9月27日配信)である。記事中、チャン氏は、「中国の崩壊(disintegration)はもう始まっている」というアーサー・ウォルドロン氏(中国史学者、ペンシルベニア大学教授)の見解を紹介した上で、次のように記している。
「中国の歴史においては、体制は外側から徐々に崩れることが多い。ウォルドロン氏によると、『崩壊は帝国の端で始まる。それが進行すると周辺領域を次第にむしばみ、最後に中央の権力が危険にさらされる』。隆盛を誇った唐王朝が10世紀に滅んだときも、そうした経過をたどった。ウォルドロン氏の言葉を借りると、『首都から遠く離れた場所で起きた軍事的な反乱によって(唐は)致命傷を負った』という」
この記述で触れられているウォルドロン氏の指摘が正しいとするならば、「『体制の崩壊』が始まる『帝国の端』」に位置するのが、中国共産党「帝国」の大陸内奥部にあってはチベット自治区や新疆ウイグル自治区で、その沿海部にあっては香港や台湾である。
辛亥革命直後には、「漢満蒙回蔵の五族共和」は建前上でも語られていたけれども、現在、中国共産党政府が「中華民族の偉大な復興」の論理の下で出現させているのは、大陸内奥部にあっては「漢族による他の満蒙回蔵四族の圧殺」と呼ぶべき風景であろう。香港や台湾もまた、そこは永らく漢族が居住した空間かもしれないけれども、特に日英両国の植民地統治を通じて「西方世界」の影響を受けた結果、「中国の一部」と見るにはおよそふさわしくない空間に相成っている。チベット、新疆ウイグル両自治区、そして香港や台湾は、中国共産党「帝国」にとっては、帝国維持のための「負荷」が最も強く掛かる空間になっているのである。
故に、帝国・日本との類推では、仮に中国共産党政府が「香港も台湾も、もはや中国ではない。ウイグルやチベットも元々、中国ではなかった」と表明すれば、中国に絡む難題の多くは落着する。
≪「小中国主義」唱える声なし≫
帝国・日本においては、石橋湛山が植民地放棄と自由貿易を軸にした国際協調とを趣旨とした「小日本主義」路線を提案した。しかし、現下の中国には、往時の石橋に類する「小中国主義」を唱える声は、出てこないのであろうか。
然るに、『AFP通信』(日本語電子版、10月14日配信)記事によれば、習主席は、12日のネパール訪問中に、「いかなる地域であれ、中国から分離させようとする者は体を打ち砕かれ骨は粉々にされて死ぬだろう」と述べた。石橋の怜悧(れいり)な提案をついぞ受けいれなかった帝国・日本の末路が今後、中国共産党「帝国」では再現されないと断言できるのであろうか。
習主席の発言に示される中国の対外姿勢は、そうした疑念をますます、深めさせる。帝国・日本への抵抗を建国神話の基底に据えているはずの中国共産党「帝国」が、日本と同じ道をたどろうとしているならば、それは、一つの「歴史の皮肉」である。(さくらだ じゅん)
●=諸の日の右上に「、」 ★=増の旧字体
去る10月1日、中国の習近平国家主席は、中国建国70年の国慶節記念式典に際しての演説の中で、「いかなる勢力も偉大な祖国の地位を揺るがし、中国人民の前進を妨げることはできない」と述べた。式典に参列した江沢民、胡錦濤の前国家主席二代が背広を着ていたのとは対照的に、中山服に身を包んだ習主席の姿は、中国の「今」を象徴していた。
≪昭和前期の帝国・日本と近似≫
筆者が解釈する限りは、現下、習主席が率いる中国共産党「帝国」の様相は、その対外姿勢においてますます、昭和前期の帝国・日本のものと近似しつつある。
たとえば、習主席は、2014年5月に開催されたアジア信頼醸成措置会議(CICA)首脳会議での基調演説で、「アジアの事案を取り仕切り、アジアの難題を解決し、そしてアジアの安全保障を保持するのは、アジアの人々である」と語っている。
習主席の認識は、1934年4月に天羽(あもう)英二(当時、外務省情報部長)が発し、後に「天羽声明」として語られる談話における認識と誠に似通っている。「天羽声明」には、「日本は●外國に對しては常に友好關係の維持★進につとめてゐるはいふまでもないが、東亞における平和及び秩序を維持するためには日本の責任において單獨になすことは當然の歸結と考へる」と記されている。
また習主席が展開する「一帯一路」構想にしても、その射程は、「大東亜共栄圏」構想、日独伊三国同盟と日ソ中立条約を含んだ往時の日本の対外戦略構想の射程と重なり合っている。
≪「帝国の端から体制が崩壊」≫
中国共産党「帝国」の行方は、どのようなものであろうか。
これを考える上で参考になるのは、『ウォールストリート・ジャーナル』紙(日本語電子版)に、『やがて中国の崩壊がはじまる』(草思社、2001年)を著したゴードン・G・チャン氏(弁護士、ジャーナリスト)が寄せた香港情勢の論評記事(9月27日配信)である。記事中、チャン氏は、「中国の崩壊(disintegration)はもう始まっている」というアーサー・ウォルドロン氏(中国史学者、ペンシルベニア大学教授)の見解を紹介した上で、次のように記している。
「中国の歴史においては、体制は外側から徐々に崩れることが多い。ウォルドロン氏によると、『崩壊は帝国の端で始まる。それが進行すると周辺領域を次第にむしばみ、最後に中央の権力が危険にさらされる』。隆盛を誇った唐王朝が10世紀に滅んだときも、そうした経過をたどった。ウォルドロン氏の言葉を借りると、『首都から遠く離れた場所で起きた軍事的な反乱によって(唐は)致命傷を負った』という」
この記述で触れられているウォルドロン氏の指摘が正しいとするならば、「『体制の崩壊』が始まる『帝国の端』」に位置するのが、中国共産党「帝国」の大陸内奥部にあってはチベット自治区や新疆ウイグル自治区で、その沿海部にあっては香港や台湾である。
辛亥革命直後には、「漢満蒙回蔵の五族共和」は建前上でも語られていたけれども、現在、中国共産党政府が「中華民族の偉大な復興」の論理の下で出現させているのは、大陸内奥部にあっては「漢族による他の満蒙回蔵四族の圧殺」と呼ぶべき風景であろう。香港や台湾もまた、そこは永らく漢族が居住した空間かもしれないけれども、特に日英両国の植民地統治を通じて「西方世界」の影響を受けた結果、「中国の一部」と見るにはおよそふさわしくない空間に相成っている。チベット、新疆ウイグル両自治区、そして香港や台湾は、中国共産党「帝国」にとっては、帝国維持のための「負荷」が最も強く掛かる空間になっているのである。
故に、帝国・日本との類推では、仮に中国共産党政府が「香港も台湾も、もはや中国ではない。ウイグルやチベットも元々、中国ではなかった」と表明すれば、中国に絡む難題の多くは落着する。
≪「小中国主義」唱える声なし≫
帝国・日本においては、石橋湛山が植民地放棄と自由貿易を軸にした国際協調とを趣旨とした「小日本主義」路線を提案した。しかし、現下の中国には、往時の石橋に類する「小中国主義」を唱える声は、出てこないのであろうか。
然るに、『AFP通信』(日本語電子版、10月14日配信)記事によれば、習主席は、12日のネパール訪問中に、「いかなる地域であれ、中国から分離させようとする者は体を打ち砕かれ骨は粉々にされて死ぬだろう」と述べた。石橋の怜悧(れいり)な提案をついぞ受けいれなかった帝国・日本の末路が今後、中国共産党「帝国」では再現されないと断言できるのであろうか。
習主席の発言に示される中国の対外姿勢は、そうした疑念をますます、深めさせる。帝国・日本への抵抗を建国神話の基底に据えているはずの中国共産党「帝国」が、日本と同じ道をたどろうとしているならば、それは、一つの「歴史の皮肉」である。(さくらだ じゅん)
●=諸の日の右上に「、」 ★=増の旧字体
10月 1日、中国建国70年の国慶節記念式典の演説のなかで、「いかなる勢力も偉大な祖国の地位を揺るがし、中国人民の前進を妨げることはできない」と述べた習近平。
参列した江沢民、胡錦濤の前国家主席両人が背広を着ていたのとは対照的に、中山服に身を包んだ習主席の姿は、中国の「今」を象徴していたと櫻田教授。
中国共産党「帝国」の行方を考える上で参考になるものとして、ゴードン・G・チャン氏が『ウォールストリート・ジャーナル』紙(日本語電子版)に寄せた香港情勢の論評記事をあげておられます。
チャン氏は、「中国の崩壊(disintegration)はもう始まっている」というアーサー・ウォルドロン氏(中国史学者、ペンシルベニア大学教授)の見解を紹介した上で、「中国の歴史においては、体制は外側から徐々に崩れることが多い。ウォルドロン氏によると、『崩壊は帝国の端で始まる。それが進行すると周辺領域を次第にむしばみ、最後に中央の権力が危険にさらされる』と記しておられるのだそうです。
そして、『首都から遠く離れた場所で起きた軍事的な反乱によって(唐は)致命傷を負った』と。
ウォルドロン氏の指摘が正しいとするならば、中国共産党「帝国」の大陸内奥部にあってはチベット自治区や新疆ウイグル自治区、その沿海部にあっては香港や台湾が、『体制の崩壊』が始まる『帝国の端』に相当すると。
辛亥革命直後には、「漢満蒙回蔵の五族共和」は建前上でも語られていたが、現状は、「漢族による他の満蒙回蔵四族の圧殺」と呼ぶべき風景だとも。
香港や台湾も、日英両国の植民地統治を通じて「西方世界」の影響を受けた結果、「中国の一部」と見るにはおよそふさわしくない空間に相成っている。
チベット、新疆ウイグル両自治区、そして香港や台湾は、中国共産党「帝国」にとっては、帝国維持のための「負荷」が最も強く掛かる空間になっていると。
帝国・日本においては、石橋湛山が植民地放棄と自由貿易を軸にした国際協調とを趣旨とした「小日本主義」路線を提案した。しかし、現下の中国には、往時の石橋に類する「小中国主義」を唱える声は、出てこないのであろうかと櫻田教授。
帝国・日本との類推では、仮に中国共産党政府が「香港も台湾も、もはや中国ではない。ウイグルやチベットも元々、中国ではなかった」と表明すれば、中国に絡む難題の多くは落着すると。
習主席は、12日のネパール訪問中に、「いかなる地域であれ、中国から分離させようとする者は体を打ち砕かれ骨は粉々にされて死ぬだろう」と述べたのだそうです。
石橋の怜悧な提案をついぞ受けいれなかった帝国・日本の末路。
中国共産党「帝国」では、帝国・日本の末路が再現されないと断言できるのであろうかと、櫻田教授。
帝国・日本への抵抗を建国神話の基底に据えているはずの中国共産党「帝国」が、日本と同じ道をたどろうとしているならば、それは、一つの「歴史の皮肉」であると。
繰り返しになりますが、「中国の歴史においては、体制は外側から徐々に崩れることが多い。」「中国の崩壊はもう始まっている」と指摘があるなか、毛沢東時代への回帰を進め、専制化と力で抑え込む国内統治を強化している習近平。
中国共産党「帝国」の行方が注目されます。
# 冒頭の画像は、中国建国70年の国慶節記念式典に参列した、習近平と江沢民、胡錦濤各氏
この花の名前は、オオユウガギク
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