フランス・パリで開催されている第33回オリンピック競技大会の開会式は話題をかもしていますが、台湾についても少し興味深い出来事があったと、福島香織さん。
フランスのテレビ司会者が台湾選手団入場のとき、「チャイニーズ・タイペイ、私たちがよく知る台湾です」とわざわざ言い換えて解説していた。フランスというと親中的だと思われていたが、少なくともフランスメディアは、台湾に好意的であるという印象を台湾人自身が受けたようだと、福島さん。
7月26日の開幕式では、選手団は船に乗ってセーヌ川を下る入場パレードをおこなった。台湾代表団は頭文字Tの集団の第74番目の船で、タジキスタン、タンザニア、チャドの選手団と同乗。
台湾は「チャイニーズ・タイペイ」という名称でオリンピックに登録、出場しているが、開幕式ライブを中継していた「フランス2」のテレビ司会者が「チャイニーズ・タイペイ、我々のよく知る台湾です」と紹介、国際スポーツ試合に出場するときはチャイニーズ・タイペイの名義で登録していることなどを説明した。
フランスのテレビ局が、チャイニーズ・タイペイと登録名を読み上げたのち、わざわざ、「我々のよく知る台湾」と言い換えたことは、フランスでも、また国際社会においても、台湾は台湾として認知されているということを確認した格好だと、福島さん。
台湾中央通信によれば、台湾の教育部体育署署長の鄭世忠は「台湾は中国に隷属するものでは決してないということを、このパリ五輪開幕式のライブを見る何百万人もの観衆に司会者が特別に説明した」と評価したそうだ。このことをきっかけに、台湾内外で、そろそろオリンピックほか国際スポーツ試合での台湾選手や台湾チームの登録名義をチャイニーズ・タイペイ(TPE)からタイワン(TWN)にするべきではないか、というオリンピックのたびに起きる議論が再燃したと。
オリンピックその他の国際スポーツ競技、試合において台湾がチャイニーズ・タイペイという呼称で参加することが正式に決まったのは1981年。
1971年に中華人民共和国が国連の議席を中華民国に取って代わって以来、中国人民共和国が国連における唯一の中国の合法的代表政府となり、そのため国際社会は中国の「一中原則」を尊重し、政治的妥協をしてきた。
中国がオリンピックに復帰したのは1980年のレークプラシッド五輪。ちなみに1980年モスクワ夏季五輪は50カ国以上が集団ボイコットしていて、台湾も中国も参加していない。
1984年のロサンゼルス五輪から台湾は「チャイニーズ・タイペイ」という呼称を使ってオリンピックに参加するようになった。
入場順はアルファベットのCではなく、Tで、これはチャイニーズ・タイペイの都市コード(TPE)のTということになっていると、福島さん。
2022年夏の東京五輪では、NHKのアナウンサーが「台湾です」と入場式のときに台湾呼びしたことが、当時、大きな国際ニュースになった。パリ五輪でもNHKは、やはり台湾選手団の入場にあわせて「台湾です」と説明。こうしたNHKの言葉遣いは、日本人が比較的親台湾で、中国の恫喝に屈するより、よき隣人の台湾人の気持ちを尊重したいという日本世論の広がりを反映していると思うと。
欧州国家の中でかなり親中的なフランスまで、台湾を台湾と呼ぼうという姿勢を打ち出したのは驚きで、それは国際社会のシンパシーが中国から台湾に大きく傾いてきた、ということの現れだろうと、福島さん。
長年続いたIOCから押し付けられたチャイニーズ・タイペイの呼称をそろそろ変えるタイミングがめぐってきたのではないか、と感じる人が増えてきたように思うと。
7月26日、米国台湾系華人組織の台湾人公共事務会(FAPA)はIOCに対し、台湾にチャイニーズ・タイペイと言った不当な名称を使わないように求める公開書簡を送った。台湾人は台湾という国名に誇りをもってオリンピックに参加できるようになってほしいと思っている、と訴えたのだそうです。
国際社会でもこうした台湾の要請を後押しする動きがひろがってきたと、福島さん。
たとえば米国の共和党下院議員、トム・ティファニー(ウィスコンシン州)、アンディ・オグレス(テネシー州)、クリス・スミス(ニュージャージー州)は連名で今年5月、IOC宛てに公開書簡を発表し、米国の属領であるプエルトリコ、英国属領のバミューダですら「アメリカン・サンファン」「ブリティッシュ・ハミルトン」という呼称を強制されていないのに、台湾だけ、チャイニーズ・タイペイを強制されなければならないのか、と疑問を呈した。
しかも「(プエルトリコやバミューダは米国属領、英国属領なのだが)台湾はいまだかつて一度も中国の一部になったことがなく、中華人民共和国に支配されたこともないのだ」と付け加えた。
「これは不公平なだけではなく、五輪憲章の核心的な精神に背いているではないか。五輪憲章の精神とは、すべての人が共にスポーツの可能性を分かち合い、いかなる形の差別も受けないことだ。そしてオリンピックは必ず政治的に中立でなければならない、ということだ」と主張した。IOCが台湾にチャイニーズ・タイペイという呼称を押し付けているのは「差別」だとまでいい、パリ五輪で改善することを求めたのだそうです。
FAPAの声明では、台湾にチャイニーズ・タイペイの呼称を押し付けることは、台湾の民主と独立国家としての国柄を破壊しようという中国の意図がある、とした。国際社会は「これに反対し、民主と自由を支持すべきだ」と訴えていると。
チャイニーズ・タイペイは中国北京政府にとっての、国民党政府をさす政治用語にすぎない。台湾の多様性も、台湾人のアイデンティティや帰属意識も、なんら反映していないと、頼清徳総統。
パリ五輪は、特定の宗教を侮辱しているのではないかと物議をかもした開幕式だけでなく、韓国を北朝鮮と混同したり、国旗を取り違えたり、不可解な審判があったりと、準備不足も目立つ五輪となったと、福島さん。
汚職や不正、癒着問題が表面化した東京五輪、ウイグル弾圧など深刻な人権問題を抱えた中国のプロパガンダに利用された北京冬季五輪などを見てきても、オリンピックはもはや五輪憲章の精神など忘れており、そろそろオリンピックの歴史的使命は終わろうとしているのだろう、と感じるばかりだと。
だが、そんなオリンピックに、もし最後の重要な歴史的役割がまだ残されているとするなら、私は、それは台湾の「国家」としての存在感を発信し、国際社会の正式なメンバーへと復帰する後押しをすることではないか、と思うとも。
チャイニーズ・タイペイの呼称が、台湾と変わりつつある世界の兆し。日本が率先して行ってきたことの様ですが、更に広まることを期待します。
# 冒頭の画像は、パリ五輪の開会式でのボートで入場する台湾チーム
この花の名前は、ラティビダ・レッドミジェット
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月刊Hanada2024年2月号 - 花田紀凱, 月刊Hanada編集部 - Google ブックス
パリ五輪で再燃、台湾をどう扱うか問題…開会式の過激演出より「チャイニーズ・タイペイ」の呼称に注目すべき理由 | JBpress (ジェイビープレス) 2024.8.2(金) 福島 香織
フランス・パリで開催されている第33回オリンピック競技大会の開会式は「多様性」がテーマで、コンサバティブな人々にははなはだ評判が悪かったようだ。そうしたなか、台湾については少し興味深い出来事があった。
フランスのテレビ司会者が台湾選手団入場のとき、「チャイニーズ・タイペイ、私たちがよく知る台湾です」とわざわざ言い換えて解説していたのだ。フランスというと親中的だと思われていたが、少なくともフランスメディアは、台湾に好意的であるという印象を台湾人自身が受けたようだ。
折しも、台北ではIPAC(対中政策に関する列国議会連盟)年次総会が開催され、台湾が民主主義国家の重要なパートナーとして見直されていることも可視化されてきた。頼清徳新政権がスタートしてまもなく始まったパリ五輪は、台湾が国際社会にその存在感を問う上で意外に大きな影響力があるかもしれない。
(福島 香織:ジャーナリスト)
7月26日に開幕式が行われ、それぞれの選手団は船に乗ってセーヌ川を下る入場パレードをおこなった。台湾代表団は頭文字Tの集団の第74番目の船で、タジキスタン、タンザニア、チャドの選手団と同乗。旗手はバドミントン女子の戴資頴選手で、手に持つ旗は中華民国の花・梅の花と五輪徽章をかたどった五輪団旗だ。
台湾は「チャイニーズ・タイペイ」という名称でオリンピックに登録、出場しているが、開幕式ライブを中継していた「フランス2」のテレビ司会者が「チャイニーズ・タイペイ、我々のよく知る台湾です」と紹介、国際スポーツ試合に出場するときはチャイニーズ・タイペイの名義で登録していることなどを説明した。
フランスのテレビ局が、チャイニーズ・タイペイと登録名を読み上げたのち、わざわざ、「我々のよく知る台湾」と言い換えたことは、フランスでも、また国際社会においても、台湾は台湾として認知されているということを確認した格好だ。今の若い世代は、チャイニーズ・タイペイと言っても、何のことか、ピンとこないだろう。
台湾中央通信によれば、台湾の教育部体育署署長の鄭世忠は「台湾は中国に隷属するものでは決してないということを、このパリ五輪開幕式のライブを見る何百万人もの観衆に司会者が特別に説明した」と評価したそうだ。このことをきっかけに、台湾内外で、そろそろオリンピックほか国際スポーツ試合での台湾選手や台湾チームの登録名義をチャイニーズ・タイペイ(TPE)からタイワン(TWN)にするべきではないか、というオリンピックのたびに起きる議論が再燃した。
ここで、台湾とオリンピックをめぐる歴史を振り返ってみよう。
中国の「一中原則」を尊重してきたオリンピック
オリンピックその他の国際スポーツ競技、試合において台湾がチャイニーズ・タイペイという呼称で参加することが正式に決まったのは1981年。
台湾の中華オリンピック委員会と国際オリンピック委員会(IOC)がスイス・ローザンヌで協議し、合意した。1971年に中華人民共和国が国連の議席を中華民国に取って代わって以来、中国人民共和国が国連における唯一の中国の合法的代表政府となり、そのため国際社会は中国の「一中原則」を尊重し、政治的妥協をしてきた。
中国は1952年、初めてヘルシンキ五輪に参加。この時IOCは中国人民共和国と中華民国両方の参加を招待したが、中華民国側が反発してボイコットした。中国の参加招待が決まるのが遅かったため、開幕式には間に合わず、男子水泳選手1人が参加しただけだった。
1956年のメルボルン五輪のときもIOCは中国と台湾(中華民国)の両方を五輪に招待したが、今度は中国側が、中華民国の参加に抗議して、これをボイコット。1958年には中国はIOCからの脱退を決めた。
中華民国が国連を脱退したのは1971年だったが、中国はIOCと縁を切っており、国内では文化大革命中で運動選手たちは迫害されていたこともあり、1972年のミュンヘン夏季五輪、1976年のインスブルックまでは台湾が中華民国の名前でオリンピックに参加していた。
だが1976年のモントリオール夏季五輪に参加していようとしたとき、主催国のカナダの当時のピエール・トルドー首相が、「唯一の中国政府は北京政府である、中華民国の呼称を使うなら受け入れられない」として譲らず、台湾はこれに抵抗して、モントリオール五輪をボイコットしたのだった。ちなみに、中国もモントリオール五輪はボイコットした。
中国がオリンピックに復帰したのは1980年のレークプラシッド五輪。ちなみに1980年モスクワ夏季五輪は50カ国以上が集団ボイコットしていて、台湾も中国も参加していない。
1984年のロサンゼルス五輪から台湾は「チャイニーズ・タイペイ」という呼称を使ってオリンピックに参加するようになった。
入場順はアルファベットのCではなく、Tで、これはチャイニーズ・タイペイの都市コード(TPE)のTということになっている。チャイナ・ホンコン(HKG)がHの頭文字の順番で入っているのと同じだ。チャイナ・ホンコンは漢字表記で「中国香港」。これにあわせて、中国メディアはチャイニーズ・タイペイ(中華台北)をわざと「中国台北」と表記している。
2022年夏の東京五輪では、NHKのアナウンサーが「台湾です」と入場式のときに台湾呼びしたことが、当時、大きな国際ニュースになった。パリ五輪でもNHKは、やはり台湾選手団の入場にあわせて「台湾です」と説明。こうしたNHKの言葉遣いは、日本人が比較的親台湾で、中国の恫喝に屈するより、よき隣人の台湾人の気持ちを尊重したいという日本世論の広がりを反映していると思う。
だが、欧州国家の中でかなり親中的なフランスまで、台湾を台湾と呼ぼうという姿勢を打ち出したのは驚きで、それは国際社会のシンパシーが中国から台湾に大きく傾いてきた、ということの現れだろう。
中国のご機嫌とりをするフランス政府
ただ、開幕式から2日目の28日、バドミントンの戴資頴選手が試合中、会場で応援していた台湾人ファンたちが中華民国国旗の青天白日旗を振っていたとき、フランスの運営スタッフがその旗をおろすように注意したそうだ。スタッフは「現在、世界で中国は一つだけ、中華人民共和国だ。中華民国と清朝はすでに滅びた」と台湾人ファンに言い放ったそうだ。
青天白日旗をおろさなかった台湾人ファンは規則違反を犯したとして、応援席からの退場を命じられたという。こういう硬直的な対応をみると、フランス政府自身は、やはりずいぶんと中国のご機嫌をとることに拘っているようだ。
この事件がSNSで投稿されると、中国人ネットユーザーたちは、「フランス同志よ、ありがとう」「さすがフランス革命をした国だけある。政治的覚悟が違う」と喜びのコメントをSNSに投じていたが、これが本心から喜んでいるのか、一種の「高級黒」(高度な皮肉)なのかは私にはわからない。
そういう状況の中で、長年続いたIOCから押し付けられたチャイニーズ・タイペイの呼称をそろそろ変えるタイミングがめぐってきたのではないか、と感じる人が増えてきたように思う。
「チャイニーズ・タイペイ」の呼称に疑問の声が高まる
7月26日、米国台湾系華人組織の台湾人公共事務会(FAPA)はIOCに対し、台湾にチャイニーズ・タイペイと言った不当な名称を使わないように求める公開書簡を送った。台湾人は台湾という国名に誇りをもってオリンピックに参加できるようになってほしいと思っている、と訴えた。
また国際社会でもこうした台湾の要請を後押しする動きがひろがってきた。たとえば米国の共和党下院議員、トム・ティファニー(ウィスコンシン州)、アンディ・オグレス(テネシー州)、クリス・スミス(ニュージャージー州)は連名で今年5月、IOC宛てに公開書簡を発表し、米国の属領であるプエルトリコ、英国属領のバミューダですら「アメリカン・サンファン」「ブリティッシュ・ハミルトン」という呼称を強制されていないのに、台湾だけ、チャイニーズ・タイペイを強制されなければならないのか、と疑問を呈した。
しかも「(プエルトリコやバミューダは米国属領、英国属領なのだが)台湾はいまだかつて一度も中国の一部になったことがなく、中華人民共和国に支配されたこともないのだ」と付け加えた。
「これは不公平なだけではなく、五輪憲章の核心的な精神に背いているではないか。五輪憲章の精神とは、すべての人が共にスポーツの可能性を分かち合い、いかなる形の差別も受けないことだ。そしてオリンピックは必ず政治的に中立でなければならない、ということだ」と主張した。IOCが台湾にチャイニーズ・タイペイという呼称を押し付けているのは「差別」だとまでいい、パリ五輪で改善することを求めたのだった。
FAPAの声明では、台湾にチャイニーズ・タイペイの呼称を押し付けることは、台湾の民主と独立国家としての国柄を破壊しようという中国の意図がある、とした。国際社会は「これに反対し、民主と自由を支持すべきだ」と訴えている。
韓国を北朝鮮と混同したり、国旗を間違えたり…
このパリ五輪が開催されている裏側で、台北ではIPAC年次総会が開催されていた。これは2020年6月4日に設立した、中国共産党政府と民主主義国家の交渉の在り方の改革を目指す民主主義国家議員らの国際議員連盟組織で、現在、日本を含めて30カ国以上250人以上の議員が加盟している。中国の政治、経済への浸透工作を防ぐ立法を各国で行うための連携を目指し、4回目となる今回の年次総会は、初めて台湾で開かれ、世界の国会議員が台北に集結することとなった。
そして、今回の年次総会で、正式に台湾の加盟も決まった。これは、世界の民主主義陣営が、中国の権威主義的な影響力に対抗して自由と民主と人権を守るためには、台湾との連携がなにより必要だという認識を新たにしたということだろう。このIPAC年次総会では頼清徳総統も挨拶をし、「台湾は世界を必要とし、世界も台湾を必要としている」と訴えていた。
頼清徳総統は就任式のとき、中華民国も中華民国台湾も台湾も、わが国を呼ぶ名前だと訴えた。いずれの名称も台湾の複雑な歴史を反映した台湾の呼称である。
だが、チャイニーズ・タイペイは中国北京政府にとっての、国民党政府をさす政治用語にすぎない。アジアで最も完成された民主主義政治を獲得し、民進党長期政権を実現し、同性婚も女性大統領も早々に実現した台湾の多様性も、台湾人のアイデンティティや帰属意識も、なんら反映していない。
パリ五輪は、特定の宗教を侮辱しているのではないかと物議をかもした開幕式だけでなく、韓国を北朝鮮と混同したり、国旗を取り違えたり、不可解な審判があったりと、準備不足も目立つ五輪となった。
汚職や不正、癒着問題が表面化した東京五輪、ウイグル弾圧など深刻な人権問題を抱えた中国のプロパガンダに利用された北京冬季五輪などを見てきても、オリンピックはもはや五輪憲章の精神など忘れており、そろそろオリンピックの歴史的使命は終わろうとしているのだろう、と感じるばかりだ。
だが、そんなオリンピックに、もし最後の重要な歴史的役割がまだ残されているとするなら、私は、それは台湾の「国家」としての存在感を発信し、国際社会の正式なメンバーへと復帰する後押しをすることではないか、と思うのだ。
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福島 香織(ふくしま・かおり):ジャーナリスト
大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002~08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。主な著書に『なぜ中国は台湾を併合できないのか』(PHP研究所、2023)、『習近平「独裁新時代」崩壊のカウントダウン』(かや書房、2023)など。
フランス・パリで開催されている第33回オリンピック競技大会の開会式は「多様性」がテーマで、コンサバティブな人々にははなはだ評判が悪かったようだ。そうしたなか、台湾については少し興味深い出来事があった。
フランスのテレビ司会者が台湾選手団入場のとき、「チャイニーズ・タイペイ、私たちがよく知る台湾です」とわざわざ言い換えて解説していたのだ。フランスというと親中的だと思われていたが、少なくともフランスメディアは、台湾に好意的であるという印象を台湾人自身が受けたようだ。
折しも、台北ではIPAC(対中政策に関する列国議会連盟)年次総会が開催され、台湾が民主主義国家の重要なパートナーとして見直されていることも可視化されてきた。頼清徳新政権がスタートしてまもなく始まったパリ五輪は、台湾が国際社会にその存在感を問う上で意外に大きな影響力があるかもしれない。
(福島 香織:ジャーナリスト)
7月26日に開幕式が行われ、それぞれの選手団は船に乗ってセーヌ川を下る入場パレードをおこなった。台湾代表団は頭文字Tの集団の第74番目の船で、タジキスタン、タンザニア、チャドの選手団と同乗。旗手はバドミントン女子の戴資頴選手で、手に持つ旗は中華民国の花・梅の花と五輪徽章をかたどった五輪団旗だ。
台湾は「チャイニーズ・タイペイ」という名称でオリンピックに登録、出場しているが、開幕式ライブを中継していた「フランス2」のテレビ司会者が「チャイニーズ・タイペイ、我々のよく知る台湾です」と紹介、国際スポーツ試合に出場するときはチャイニーズ・タイペイの名義で登録していることなどを説明した。
フランスのテレビ局が、チャイニーズ・タイペイと登録名を読み上げたのち、わざわざ、「我々のよく知る台湾」と言い換えたことは、フランスでも、また国際社会においても、台湾は台湾として認知されているということを確認した格好だ。今の若い世代は、チャイニーズ・タイペイと言っても、何のことか、ピンとこないだろう。
台湾中央通信によれば、台湾の教育部体育署署長の鄭世忠は「台湾は中国に隷属するものでは決してないということを、このパリ五輪開幕式のライブを見る何百万人もの観衆に司会者が特別に説明した」と評価したそうだ。このことをきっかけに、台湾内外で、そろそろオリンピックほか国際スポーツ試合での台湾選手や台湾チームの登録名義をチャイニーズ・タイペイ(TPE)からタイワン(TWN)にするべきではないか、というオリンピックのたびに起きる議論が再燃した。
ここで、台湾とオリンピックをめぐる歴史を振り返ってみよう。
中国の「一中原則」を尊重してきたオリンピック
オリンピックその他の国際スポーツ競技、試合において台湾がチャイニーズ・タイペイという呼称で参加することが正式に決まったのは1981年。
台湾の中華オリンピック委員会と国際オリンピック委員会(IOC)がスイス・ローザンヌで協議し、合意した。1971年に中華人民共和国が国連の議席を中華民国に取って代わって以来、中国人民共和国が国連における唯一の中国の合法的代表政府となり、そのため国際社会は中国の「一中原則」を尊重し、政治的妥協をしてきた。
中国は1952年、初めてヘルシンキ五輪に参加。この時IOCは中国人民共和国と中華民国両方の参加を招待したが、中華民国側が反発してボイコットした。中国の参加招待が決まるのが遅かったため、開幕式には間に合わず、男子水泳選手1人が参加しただけだった。
1956年のメルボルン五輪のときもIOCは中国と台湾(中華民国)の両方を五輪に招待したが、今度は中国側が、中華民国の参加に抗議して、これをボイコット。1958年には中国はIOCからの脱退を決めた。
中華民国が国連を脱退したのは1971年だったが、中国はIOCと縁を切っており、国内では文化大革命中で運動選手たちは迫害されていたこともあり、1972年のミュンヘン夏季五輪、1976年のインスブルックまでは台湾が中華民国の名前でオリンピックに参加していた。
だが1976年のモントリオール夏季五輪に参加していようとしたとき、主催国のカナダの当時のピエール・トルドー首相が、「唯一の中国政府は北京政府である、中華民国の呼称を使うなら受け入れられない」として譲らず、台湾はこれに抵抗して、モントリオール五輪をボイコットしたのだった。ちなみに、中国もモントリオール五輪はボイコットした。
中国がオリンピックに復帰したのは1980年のレークプラシッド五輪。ちなみに1980年モスクワ夏季五輪は50カ国以上が集団ボイコットしていて、台湾も中国も参加していない。
1984年のロサンゼルス五輪から台湾は「チャイニーズ・タイペイ」という呼称を使ってオリンピックに参加するようになった。
入場順はアルファベットのCではなく、Tで、これはチャイニーズ・タイペイの都市コード(TPE)のTということになっている。チャイナ・ホンコン(HKG)がHの頭文字の順番で入っているのと同じだ。チャイナ・ホンコンは漢字表記で「中国香港」。これにあわせて、中国メディアはチャイニーズ・タイペイ(中華台北)をわざと「中国台北」と表記している。
2022年夏の東京五輪では、NHKのアナウンサーが「台湾です」と入場式のときに台湾呼びしたことが、当時、大きな国際ニュースになった。パリ五輪でもNHKは、やはり台湾選手団の入場にあわせて「台湾です」と説明。こうしたNHKの言葉遣いは、日本人が比較的親台湾で、中国の恫喝に屈するより、よき隣人の台湾人の気持ちを尊重したいという日本世論の広がりを反映していると思う。
だが、欧州国家の中でかなり親中的なフランスまで、台湾を台湾と呼ぼうという姿勢を打ち出したのは驚きで、それは国際社会のシンパシーが中国から台湾に大きく傾いてきた、ということの現れだろう。
中国のご機嫌とりをするフランス政府
ただ、開幕式から2日目の28日、バドミントンの戴資頴選手が試合中、会場で応援していた台湾人ファンたちが中華民国国旗の青天白日旗を振っていたとき、フランスの運営スタッフがその旗をおろすように注意したそうだ。スタッフは「現在、世界で中国は一つだけ、中華人民共和国だ。中華民国と清朝はすでに滅びた」と台湾人ファンに言い放ったそうだ。
青天白日旗をおろさなかった台湾人ファンは規則違反を犯したとして、応援席からの退場を命じられたという。こういう硬直的な対応をみると、フランス政府自身は、やはりずいぶんと中国のご機嫌をとることに拘っているようだ。
この事件がSNSで投稿されると、中国人ネットユーザーたちは、「フランス同志よ、ありがとう」「さすがフランス革命をした国だけある。政治的覚悟が違う」と喜びのコメントをSNSに投じていたが、これが本心から喜んでいるのか、一種の「高級黒」(高度な皮肉)なのかは私にはわからない。
そういう状況の中で、長年続いたIOCから押し付けられたチャイニーズ・タイペイの呼称をそろそろ変えるタイミングがめぐってきたのではないか、と感じる人が増えてきたように思う。
「チャイニーズ・タイペイ」の呼称に疑問の声が高まる
7月26日、米国台湾系華人組織の台湾人公共事務会(FAPA)はIOCに対し、台湾にチャイニーズ・タイペイと言った不当な名称を使わないように求める公開書簡を送った。台湾人は台湾という国名に誇りをもってオリンピックに参加できるようになってほしいと思っている、と訴えた。
また国際社会でもこうした台湾の要請を後押しする動きがひろがってきた。たとえば米国の共和党下院議員、トム・ティファニー(ウィスコンシン州)、アンディ・オグレス(テネシー州)、クリス・スミス(ニュージャージー州)は連名で今年5月、IOC宛てに公開書簡を発表し、米国の属領であるプエルトリコ、英国属領のバミューダですら「アメリカン・サンファン」「ブリティッシュ・ハミルトン」という呼称を強制されていないのに、台湾だけ、チャイニーズ・タイペイを強制されなければならないのか、と疑問を呈した。
しかも「(プエルトリコやバミューダは米国属領、英国属領なのだが)台湾はいまだかつて一度も中国の一部になったことがなく、中華人民共和国に支配されたこともないのだ」と付け加えた。
「これは不公平なだけではなく、五輪憲章の核心的な精神に背いているではないか。五輪憲章の精神とは、すべての人が共にスポーツの可能性を分かち合い、いかなる形の差別も受けないことだ。そしてオリンピックは必ず政治的に中立でなければならない、ということだ」と主張した。IOCが台湾にチャイニーズ・タイペイという呼称を押し付けているのは「差別」だとまでいい、パリ五輪で改善することを求めたのだった。
FAPAの声明では、台湾にチャイニーズ・タイペイの呼称を押し付けることは、台湾の民主と独立国家としての国柄を破壊しようという中国の意図がある、とした。国際社会は「これに反対し、民主と自由を支持すべきだ」と訴えている。
韓国を北朝鮮と混同したり、国旗を間違えたり…
このパリ五輪が開催されている裏側で、台北ではIPAC年次総会が開催されていた。これは2020年6月4日に設立した、中国共産党政府と民主主義国家の交渉の在り方の改革を目指す民主主義国家議員らの国際議員連盟組織で、現在、日本を含めて30カ国以上250人以上の議員が加盟している。中国の政治、経済への浸透工作を防ぐ立法を各国で行うための連携を目指し、4回目となる今回の年次総会は、初めて台湾で開かれ、世界の国会議員が台北に集結することとなった。
そして、今回の年次総会で、正式に台湾の加盟も決まった。これは、世界の民主主義陣営が、中国の権威主義的な影響力に対抗して自由と民主と人権を守るためには、台湾との連携がなにより必要だという認識を新たにしたということだろう。このIPAC年次総会では頼清徳総統も挨拶をし、「台湾は世界を必要とし、世界も台湾を必要としている」と訴えていた。
頼清徳総統は就任式のとき、中華民国も中華民国台湾も台湾も、わが国を呼ぶ名前だと訴えた。いずれの名称も台湾の複雑な歴史を反映した台湾の呼称である。
だが、チャイニーズ・タイペイは中国北京政府にとっての、国民党政府をさす政治用語にすぎない。アジアで最も完成された民主主義政治を獲得し、民進党長期政権を実現し、同性婚も女性大統領も早々に実現した台湾の多様性も、台湾人のアイデンティティや帰属意識も、なんら反映していない。
パリ五輪は、特定の宗教を侮辱しているのではないかと物議をかもした開幕式だけでなく、韓国を北朝鮮と混同したり、国旗を取り違えたり、不可解な審判があったりと、準備不足も目立つ五輪となった。
汚職や不正、癒着問題が表面化した東京五輪、ウイグル弾圧など深刻な人権問題を抱えた中国のプロパガンダに利用された北京冬季五輪などを見てきても、オリンピックはもはや五輪憲章の精神など忘れており、そろそろオリンピックの歴史的使命は終わろうとしているのだろう、と感じるばかりだ。
だが、そんなオリンピックに、もし最後の重要な歴史的役割がまだ残されているとするなら、私は、それは台湾の「国家」としての存在感を発信し、国際社会の正式なメンバーへと復帰する後押しをすることではないか、と思うのだ。
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福島 香織(ふくしま・かおり):ジャーナリスト
大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002~08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。主な著書に『なぜ中国は台湾を併合できないのか』(PHP研究所、2023)、『習近平「独裁新時代」崩壊のカウントダウン』(かや書房、2023)など。
フランスのテレビ司会者が台湾選手団入場のとき、「チャイニーズ・タイペイ、私たちがよく知る台湾です」とわざわざ言い換えて解説していた。フランスというと親中的だと思われていたが、少なくともフランスメディアは、台湾に好意的であるという印象を台湾人自身が受けたようだと、福島さん。
7月26日の開幕式では、選手団は船に乗ってセーヌ川を下る入場パレードをおこなった。台湾代表団は頭文字Tの集団の第74番目の船で、タジキスタン、タンザニア、チャドの選手団と同乗。
台湾は「チャイニーズ・タイペイ」という名称でオリンピックに登録、出場しているが、開幕式ライブを中継していた「フランス2」のテレビ司会者が「チャイニーズ・タイペイ、我々のよく知る台湾です」と紹介、国際スポーツ試合に出場するときはチャイニーズ・タイペイの名義で登録していることなどを説明した。
フランスのテレビ局が、チャイニーズ・タイペイと登録名を読み上げたのち、わざわざ、「我々のよく知る台湾」と言い換えたことは、フランスでも、また国際社会においても、台湾は台湾として認知されているということを確認した格好だと、福島さん。
台湾中央通信によれば、台湾の教育部体育署署長の鄭世忠は「台湾は中国に隷属するものでは決してないということを、このパリ五輪開幕式のライブを見る何百万人もの観衆に司会者が特別に説明した」と評価したそうだ。このことをきっかけに、台湾内外で、そろそろオリンピックほか国際スポーツ試合での台湾選手や台湾チームの登録名義をチャイニーズ・タイペイ(TPE)からタイワン(TWN)にするべきではないか、というオリンピックのたびに起きる議論が再燃したと。
オリンピックその他の国際スポーツ競技、試合において台湾がチャイニーズ・タイペイという呼称で参加することが正式に決まったのは1981年。
1971年に中華人民共和国が国連の議席を中華民国に取って代わって以来、中国人民共和国が国連における唯一の中国の合法的代表政府となり、そのため国際社会は中国の「一中原則」を尊重し、政治的妥協をしてきた。
中国がオリンピックに復帰したのは1980年のレークプラシッド五輪。ちなみに1980年モスクワ夏季五輪は50カ国以上が集団ボイコットしていて、台湾も中国も参加していない。
1984年のロサンゼルス五輪から台湾は「チャイニーズ・タイペイ」という呼称を使ってオリンピックに参加するようになった。
入場順はアルファベットのCではなく、Tで、これはチャイニーズ・タイペイの都市コード(TPE)のTということになっていると、福島さん。
2022年夏の東京五輪では、NHKのアナウンサーが「台湾です」と入場式のときに台湾呼びしたことが、当時、大きな国際ニュースになった。パリ五輪でもNHKは、やはり台湾選手団の入場にあわせて「台湾です」と説明。こうしたNHKの言葉遣いは、日本人が比較的親台湾で、中国の恫喝に屈するより、よき隣人の台湾人の気持ちを尊重したいという日本世論の広がりを反映していると思うと。
欧州国家の中でかなり親中的なフランスまで、台湾を台湾と呼ぼうという姿勢を打ち出したのは驚きで、それは国際社会のシンパシーが中国から台湾に大きく傾いてきた、ということの現れだろうと、福島さん。
長年続いたIOCから押し付けられたチャイニーズ・タイペイの呼称をそろそろ変えるタイミングがめぐってきたのではないか、と感じる人が増えてきたように思うと。
7月26日、米国台湾系華人組織の台湾人公共事務会(FAPA)はIOCに対し、台湾にチャイニーズ・タイペイと言った不当な名称を使わないように求める公開書簡を送った。台湾人は台湾という国名に誇りをもってオリンピックに参加できるようになってほしいと思っている、と訴えたのだそうです。
国際社会でもこうした台湾の要請を後押しする動きがひろがってきたと、福島さん。
たとえば米国の共和党下院議員、トム・ティファニー(ウィスコンシン州)、アンディ・オグレス(テネシー州)、クリス・スミス(ニュージャージー州)は連名で今年5月、IOC宛てに公開書簡を発表し、米国の属領であるプエルトリコ、英国属領のバミューダですら「アメリカン・サンファン」「ブリティッシュ・ハミルトン」という呼称を強制されていないのに、台湾だけ、チャイニーズ・タイペイを強制されなければならないのか、と疑問を呈した。
しかも「(プエルトリコやバミューダは米国属領、英国属領なのだが)台湾はいまだかつて一度も中国の一部になったことがなく、中華人民共和国に支配されたこともないのだ」と付け加えた。
「これは不公平なだけではなく、五輪憲章の核心的な精神に背いているではないか。五輪憲章の精神とは、すべての人が共にスポーツの可能性を分かち合い、いかなる形の差別も受けないことだ。そしてオリンピックは必ず政治的に中立でなければならない、ということだ」と主張した。IOCが台湾にチャイニーズ・タイペイという呼称を押し付けているのは「差別」だとまでいい、パリ五輪で改善することを求めたのだそうです。
FAPAの声明では、台湾にチャイニーズ・タイペイの呼称を押し付けることは、台湾の民主と独立国家としての国柄を破壊しようという中国の意図がある、とした。国際社会は「これに反対し、民主と自由を支持すべきだ」と訴えていると。
チャイニーズ・タイペイは中国北京政府にとっての、国民党政府をさす政治用語にすぎない。台湾の多様性も、台湾人のアイデンティティや帰属意識も、なんら反映していないと、頼清徳総統。
パリ五輪は、特定の宗教を侮辱しているのではないかと物議をかもした開幕式だけでなく、韓国を北朝鮮と混同したり、国旗を取り違えたり、不可解な審判があったりと、準備不足も目立つ五輪となったと、福島さん。
汚職や不正、癒着問題が表面化した東京五輪、ウイグル弾圧など深刻な人権問題を抱えた中国のプロパガンダに利用された北京冬季五輪などを見てきても、オリンピックはもはや五輪憲章の精神など忘れており、そろそろオリンピックの歴史的使命は終わろうとしているのだろう、と感じるばかりだと。
だが、そんなオリンピックに、もし最後の重要な歴史的役割がまだ残されているとするなら、私は、それは台湾の「国家」としての存在感を発信し、国際社会の正式なメンバーへと復帰する後押しをすることではないか、と思うとも。
チャイニーズ・タイペイの呼称が、台湾と変わりつつある世界の兆し。日本が率先して行ってきたことの様ですが、更に広まることを期待します。
# 冒頭の画像は、パリ五輪の開会式でのボートで入場する台湾チーム
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