今日(5/3)は憲法記念日です。安保法制の成立・施行に際し、憲法への議論が高まり、改正についての是非、改正の進め方についての議論がなされる様になりました。
主要5紙が揃って社説で憲法改正について取り上げていて、各社の特徴が顕されており、興味深く読み比べることが出来ましたが、諸兄はどのように評価されたのでしょうか。
真正面から9条の改正をとりあげたのが産経。
本来、9条を改正し、集団的自衛権を完全に行使できるようにすることが望ましいが、直ちに国会で合意できる状況にはないので、当面、優先すべきは、大規模災害時などへの効果的な対処を可能とする緊急事態条項の創設をと唱えるのが読売。
憲法解釈を見直して集団的自衛権の行使を限定解除したことで、現在の国際情勢に即した安保体制はそれなりにできたので、9条を抜本的に書き直す必要性はかなり薄らいだ。なので、9条にばかりこだわる不毛な憲法論争からはそろそろ卒業し、憲法を読み直し、不都合があれば立ち止まってみる。さまざまな選択肢があるはずだ。新たな法律をつくれば対応できるのか。憲法解釈を変更するのか。憲法本文をいじる場合でも書き足せばすむのか、書き直すのか。空白があれば補う。必要に応じて淡々と作業していけばよいとし、いま憲法に足りないのは、大規模災害への備えだと指摘し、緊急事態条項の必要性を説くのが日経。
アリバイ造り程度に、憲法の手直し論議自体は自然なことと言いながら、今の政治や政治家に改憲論議を任せられるのかどうか、疑問を感じるとし、見下した視点で独善論を展開し、改憲に否定的論を張るのが毎日。
「私たちはどんな考えを持ってもよい」「どんな会合をやっても、どんな団体をつくっても自由である」その自由を得たと、憲法普及会(芦田均会長)の冊子を紹介し、個人の自由と、国家の関係を説き、自民党の憲法改正草案は、国家が過剰なまでに前面にせり出し、個人の自由や権利が後退すると唱えるのが朝日。つまり、自由と権利には、義務が伴うが、義務には触れることなく、自由や権利だけを主張する、いかにも朝日らしい愚論。取り上げるに値しない論理です。
正面から、正攻法で論じているのは産経だと賛同します。
憲法記念日 改正へ立憲主義を体現しよう : 社説 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
憲法と現実のずれ埋める「改正」を :日本経済新聞
社説:公布70年の節目に まっとうな憲法感覚を - 毎日新聞
(社説)個人と国家と憲法と 歴史の後戻りはさせない:朝日新聞デジタル
産経、読売、日経が、今の憲法で抜け落ちていて世界各国では必須として盛り込まれている、「緊急事態条項」の追加を急ぐ様提言していることで一致しているのは、世論も多くが認めるところでしょう。
ただ、日経だけが触れていますが、「緊急事態条項」は自然災害だけが対象ではありませんね。
欧州で頻発している、テロへの対応では、「緊急事態条項」を発動し、対処しています。
民進党は緊急事態条項の新設をナチスの全権委任法になぞらえ、反対している。「社会秩序の混乱」を「緊急事態条項」の対象にすることに反対し、緊急事態は自然災害に限るべきと言うのは日経。
しかし、欧州でのソフトターゲットでの一般市民を対象とした無差別テロへの対処と、捜索・摘発には、戦闘に近い装備や組織が必要とされますし、抑止力も必要です。「緊急事態条項」の必要性を説く 3紙共に、自然災害のみを対象に論じでいますが、遊爺は、テロに対する抑止力も含め、法制化が必要な時代になってきていると考えますがいかがでしょう。
安全は、ただでは得ることは出来ません。自由と権利の確保に義務が裏付けとして必要な様に、安全には、その確保の為の代価(個人の自由や権利の協力部分)が必要です。メディアが自由を尊重し、その確保に努力していることは尊重しますが、被災者への取材姿勢で非難の声がある様に、メディアが特権意識で、一般国民や被害者の人権を侵害していることを反省して、国家を論じていただけることを願います。
# 冒頭の画像は、パリ郊外のサッカースタジアム周辺での爆発音を聞き、ピッチに逃げる観客
この花の名前は、プリムラ・ポリアンザ
↓よろしかったら、お願いします。
主要5紙が揃って社説で憲法改正について取り上げていて、各社の特徴が顕されており、興味深く読み比べることが出来ましたが、諸兄はどのように評価されたのでしょうか。
真正面から9条の改正をとりあげたのが産経。
本来、9条を改正し、集団的自衛権を完全に行使できるようにすることが望ましいが、直ちに国会で合意できる状況にはないので、当面、優先すべきは、大規模災害時などへの効果的な対処を可能とする緊急事態条項の創設をと唱えるのが読売。
憲法解釈を見直して集団的自衛権の行使を限定解除したことで、現在の国際情勢に即した安保体制はそれなりにできたので、9条を抜本的に書き直す必要性はかなり薄らいだ。なので、9条にばかりこだわる不毛な憲法論争からはそろそろ卒業し、憲法を読み直し、不都合があれば立ち止まってみる。さまざまな選択肢があるはずだ。新たな法律をつくれば対応できるのか。憲法解釈を変更するのか。憲法本文をいじる場合でも書き足せばすむのか、書き直すのか。空白があれば補う。必要に応じて淡々と作業していけばよいとし、いま憲法に足りないのは、大規模災害への備えだと指摘し、緊急事態条項の必要性を説くのが日経。
アリバイ造り程度に、憲法の手直し論議自体は自然なことと言いながら、今の政治や政治家に改憲論議を任せられるのかどうか、疑問を感じるとし、見下した視点で独善論を展開し、改憲に否定的論を張るのが毎日。
「私たちはどんな考えを持ってもよい」「どんな会合をやっても、どんな団体をつくっても自由である」その自由を得たと、憲法普及会(芦田均会長)の冊子を紹介し、個人の自由と、国家の関係を説き、自民党の憲法改正草案は、国家が過剰なまでに前面にせり出し、個人の自由や権利が後退すると唱えるのが朝日。つまり、自由と権利には、義務が伴うが、義務には触れることなく、自由や権利だけを主張する、いかにも朝日らしい愚論。取り上げるに値しない論理です。
正面から、正攻法で論じているのは産経だと賛同します。
憲法施行69年 9条改正こそ平和の道だ 国民守れない欺瞞を排そう (5/3 産経 【主張】)
日本国憲法は、施行から69年を迎えた。
現憲法は、一度も改正されていない。それは内容が完全だからというわけでは、決してない。憲法と現実世界の乖離(かいり)は、年々、大きくなるばかりだ。その最たる分野が安全保障である。
戦後日本の平和を守ってきたものは何か。これを「9条」だとみなすのは大間違いだ。突き詰めれば、自衛隊と、日米同盟に基づく米軍の抑止力に行き着く。
≪抑止力の理解が重要だ≫
抑止力の役割を理解しようとしない陣営は、「戦力不保持」をうたう9条を理由に、国民を守るための現実的な安全保障政策をことごとく妨げようとしてきた。実情はまるで、日本を脅かす国を利する「平和の敵」である。
真に安全保障に役立ち、国のかたちを表す憲法のあり方を論じ合うことが急がれる。主権者国民の手によって憲法が改正され、自らを守り抜く態勢を整えなければならない。そのことが、子々孫々まで日本が独立と平和を保ち、繁栄する道につながっていく。
極めて残念なことに、安全保障をめぐり、現行の憲法は欺瞞(ぎまん)に満ちている。
前文は、「日本国民は、(略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とうたっている。
だが日本の近隣には、公正と信義の発揮を期待できる「平和を愛する諸国民」ばかりがいるわけではない。
東シナ海や南シナ海での覇権追求を隠さない中国は、4月30日の日中外相会談で「『中国脅威論』をまき散らすな」という対日要求を突き付け、恥じなかった。
昨年9月の北京における軍事パレードでは、核ミサイルを次々に行進させた。あれは果たして、平和の祭典だったか。
北朝鮮は、国際世論の反発を顧みず、核実験や弾道ミサイルの発射を繰り返している。
ロシアは、北方領土の軍事基地化を進めている。
前文だけではない。9条は日本の防衛力に過剰な制限をかけている。政府の憲法解釈は、自衛のための日本の武力行使は「必要最小限度」としている。
このことが自衛隊に、「専守防衛」しか認めない政策につながっている。
一方で、現代の国家を守り抜くには、領土・領海・領空を守る力に加えて、核抑止力や侵略国自体へ反撃する力も欠かせない。
もちろん、日本や欧州諸国がそうであるように、米国との同盟で「核の傘」や強力な米軍を抑止力として期待するのは、現実的な政策上の選択肢ではある。
だが、現憲法は侵略国をたたく力を原則として日本に認めない。法的に、本当の「必要最小限度」の自衛力さえ禁じていることになる。防衛上の必要性を満たさない点で憲法解釈は偽りに基づく。独立国の憲法とは言い難い。
≪緊急事態への備え急げ≫
憲法には、日本の国と国民をしっかりと守り抜く方針と、そのための軍隊、自衛隊の規定がない。このこと自体が国民を危険にさらしていると考えるべきだ。
安全保障、防衛を国家の重要な役割と定めることは、諸外国の憲法においても常識である。
多額の税金が投入されている東京大学をはじめとする国立大学が、日本と国民を守る軍事研究をかたくなに拒否する異様な光景も9条と無縁ではない。
国民を守る精神がない憲法を持つ日本は、国の総力を挙げて平和を守る態勢がとれないでいる。
民進党や共産党などの野党が、集団的自衛権の限定行使を認めた安保関連法に反対しているのも、何十年も前の冷戦期にできた憲法解釈に固執しているためだ。
南海トラフの巨大地震、首都直下地震など想像を絶する被害をもたらす災害に備える、緊急事態条項の憲法への創設も急がれる。天災は待ってくれない。
政府に一時的に権限を集中させ、場合によっては私権を一部制限してでも国民の命を救うのが緊急事態条項だ。世界のほとんどの国の憲法に備わっている。
国連総会が採択し、日本も加わっている国際人権規約(B規約)も認めているのに、緊急事態条項を「ナチス」といったレッテル貼りで反対する「護憲派」の論法は誤りだ。
日本国憲法は、施行から69年を迎えた。
現憲法は、一度も改正されていない。それは内容が完全だからというわけでは、決してない。憲法と現実世界の乖離(かいり)は、年々、大きくなるばかりだ。その最たる分野が安全保障である。
戦後日本の平和を守ってきたものは何か。これを「9条」だとみなすのは大間違いだ。突き詰めれば、自衛隊と、日米同盟に基づく米軍の抑止力に行き着く。
≪抑止力の理解が重要だ≫
抑止力の役割を理解しようとしない陣営は、「戦力不保持」をうたう9条を理由に、国民を守るための現実的な安全保障政策をことごとく妨げようとしてきた。実情はまるで、日本を脅かす国を利する「平和の敵」である。
真に安全保障に役立ち、国のかたちを表す憲法のあり方を論じ合うことが急がれる。主権者国民の手によって憲法が改正され、自らを守り抜く態勢を整えなければならない。そのことが、子々孫々まで日本が独立と平和を保ち、繁栄する道につながっていく。
極めて残念なことに、安全保障をめぐり、現行の憲法は欺瞞(ぎまん)に満ちている。
前文は、「日本国民は、(略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とうたっている。
だが日本の近隣には、公正と信義の発揮を期待できる「平和を愛する諸国民」ばかりがいるわけではない。
東シナ海や南シナ海での覇権追求を隠さない中国は、4月30日の日中外相会談で「『中国脅威論』をまき散らすな」という対日要求を突き付け、恥じなかった。
昨年9月の北京における軍事パレードでは、核ミサイルを次々に行進させた。あれは果たして、平和の祭典だったか。
北朝鮮は、国際世論の反発を顧みず、核実験や弾道ミサイルの発射を繰り返している。
ロシアは、北方領土の軍事基地化を進めている。
前文だけではない。9条は日本の防衛力に過剰な制限をかけている。政府の憲法解釈は、自衛のための日本の武力行使は「必要最小限度」としている。
このことが自衛隊に、「専守防衛」しか認めない政策につながっている。
一方で、現代の国家を守り抜くには、領土・領海・領空を守る力に加えて、核抑止力や侵略国自体へ反撃する力も欠かせない。
もちろん、日本や欧州諸国がそうであるように、米国との同盟で「核の傘」や強力な米軍を抑止力として期待するのは、現実的な政策上の選択肢ではある。
だが、現憲法は侵略国をたたく力を原則として日本に認めない。法的に、本当の「必要最小限度」の自衛力さえ禁じていることになる。防衛上の必要性を満たさない点で憲法解釈は偽りに基づく。独立国の憲法とは言い難い。
≪緊急事態への備え急げ≫
憲法には、日本の国と国民をしっかりと守り抜く方針と、そのための軍隊、自衛隊の規定がない。このこと自体が国民を危険にさらしていると考えるべきだ。
安全保障、防衛を国家の重要な役割と定めることは、諸外国の憲法においても常識である。
多額の税金が投入されている東京大学をはじめとする国立大学が、日本と国民を守る軍事研究をかたくなに拒否する異様な光景も9条と無縁ではない。
国民を守る精神がない憲法を持つ日本は、国の総力を挙げて平和を守る態勢がとれないでいる。
民進党や共産党などの野党が、集団的自衛権の限定行使を認めた安保関連法に反対しているのも、何十年も前の冷戦期にできた憲法解釈に固執しているためだ。
南海トラフの巨大地震、首都直下地震など想像を絶する被害をもたらす災害に備える、緊急事態条項の憲法への創設も急がれる。天災は待ってくれない。
政府に一時的に権限を集中させ、場合によっては私権を一部制限してでも国民の命を救うのが緊急事態条項だ。世界のほとんどの国の憲法に備わっている。
国連総会が採択し、日本も加わっている国際人権規約(B規約)も認めているのに、緊急事態条項を「ナチス」といったレッテル貼りで反対する「護憲派」の論法は誤りだ。
憲法記念日 改正へ立憲主義を体現しよう : 社説 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
憲法と現実のずれ埋める「改正」を :日本経済新聞
社説:公布70年の節目に まっとうな憲法感覚を - 毎日新聞
(社説)個人と国家と憲法と 歴史の後戻りはさせない:朝日新聞デジタル
産経、読売、日経が、今の憲法で抜け落ちていて世界各国では必須として盛り込まれている、「緊急事態条項」の追加を急ぐ様提言していることで一致しているのは、世論も多くが認めるところでしょう。
ただ、日経だけが触れていますが、「緊急事態条項」は自然災害だけが対象ではありませんね。
欧州で頻発している、テロへの対応では、「緊急事態条項」を発動し、対処しています。
民進党は緊急事態条項の新設をナチスの全権委任法になぞらえ、反対している。「社会秩序の混乱」を「緊急事態条項」の対象にすることに反対し、緊急事態は自然災害に限るべきと言うのは日経。
しかし、欧州でのソフトターゲットでの一般市民を対象とした無差別テロへの対処と、捜索・摘発には、戦闘に近い装備や組織が必要とされますし、抑止力も必要です。「緊急事態条項」の必要性を説く 3紙共に、自然災害のみを対象に論じでいますが、遊爺は、テロに対する抑止力も含め、法制化が必要な時代になってきていると考えますがいかがでしょう。
安全は、ただでは得ることは出来ません。自由と権利の確保に義務が裏付けとして必要な様に、安全には、その確保の為の代価(個人の自由や権利の協力部分)が必要です。メディアが自由を尊重し、その確保に努力していることは尊重しますが、被災者への取材姿勢で非難の声がある様に、メディアが特権意識で、一般国民や被害者の人権を侵害していることを反省して、国家を論じていただけることを願います。
# 冒頭の画像は、パリ郊外のサッカースタジアム周辺での爆発音を聞き、ピッチに逃げる観客
この花の名前は、プリムラ・ポリアンザ
↓よろしかったら、お願いします。
そして、かろうじて前文で「「日本国民は、(略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と謳っていると、産経の主張と同じ部分を指摘されていますね。
そして「平和を愛する諸国民」に護ってもらうと言うけど、その諸国民て何処の誰と。。
日本国と国民を護るのが誰だかよくわからない。
ことほど左様に、現行憲法では、肝心の部分が抜け落ちているのですね。