偉そう何との銅像がありました。
この人です。
ビクトル・ユーゴです。
日本だと偉い人の銅像は高い台座の上に乗っていて親しみが湧きません。
やはり目線の高さにある方が身近に感じます。
お父さんは携帯、子供はスケート、こんな光景も日本だと親子して携帯かゲームという構図
が多いのですが・・・
これを竿ひょみつけたとき、巨大な体重計かと勘違いしましたが、
時計でした。針が曲がっているのはデザインなのか、時間というものは単に過ぎ去るだけの
ものでは無いという啓示なのか?
偉そう何との銅像がありました。
この人です。
ビクトル・ユーゴです。
日本だと偉い人の銅像は高い台座の上に乗っていて親しみが湧きません。
やはり目線の高さにある方が身近に感じます。
お父さんは携帯、子供はスケート、こんな光景も日本だと親子して携帯かゲームという構図
が多いのですが・・・
これを竿ひょみつけたとき、巨大な体重計かと勘違いしましたが、
時計でした。針が曲がっているのはデザインなのか、時間というものは単に過ぎ去るだけの
ものでは無いという啓示なのか?