ハンギングツリーがグラッパの町中にずらっと立ち並ぶ光景は私の心を締め付けてきました。
吊されたパルチザンの苦悩、毎日それを見続けていなければならなかった町の人々の苦悩。
処刑する兵士にもそれを命ずる情感にも凄まじい葛藤があったに違いないのです。
日本人は戦地に赴いた兵士と沖縄の人を除いては白兵戦を目撃してはいません。
私も焼夷弾に焼かれた焼死体は見ていますが、銃を振りかざしたアメリカ兵を見たわけではありません。
この木に親や兄弟が、あるいは恋人が、配偶者が吊されるのを見せつけられたこの地の人々の苦悩を思うと
私はしばらくこの地を動けませんでした。
日付は全て、1944年9月22日です。
こんな日が二度と起きて欲しくありません。