毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

超えてゆく ~ そして SAY YES

2010年03月08日 13時28分28秒 | ふと思うこと
最近つらつらと思うこと。

障害とか限界とかっていうのは つくづくそれを超えて進んでいくために現れるんだなって思います。
足止めされるためではなくて。


「乗り越えられない課題は決してやってきませんよ」

と教えてくれた人がありました。

それまでの自分にはない考え方だったけど、信頼できる人の言うことだからと信じてみたら、

ほんとうにその通りでした(^^)

ハードルやバーが目の前に現れるとき、それは飛び越えるために現れるのだと。

遮られたことに落胆するのではなく、どうやって攻略し乗り越えてゆくかに知恵を絞ればいいのだと。

そして、あとから振り返ったとき、実は最初から 乗り越えなければならないものなどなかったことに氣づくのでしょう。


自分で「これまでだぁ」と思い込んでしまったときに、初めて限界が登場するんですね。



そして、ともすれば限界と見えてしまう世界を超えようとするとき、今見えている景色の延長上に答えを探してもたいした変化は起こせないんだともわかってきました。

今の自分は 過去の自分の思いや行動の積み重ねで作られたもの。

今の自分を超えてゆこうと思うなら、過去と同じようなものを積み続けても意味がない。

思い切って手放して、まったく新しいものを選んでゆく勇氣も必要ですね。



目の前に 新しい世界が開けているのがなんとなく見えるとき、先に進みますか?と問われているように感じるとき、「YES」というのは勇氣のいることかもしれません。

これまで当たり前と思っていっしょうけんめい築き上げてきたものを 壊したり手放したりすることになるのだから。

馴染み深い世界に執着したり、未知の世界に足を踏み入れるのをためらってしまったりするのも無理ないことかもしれません。

でもそこでゆっくり深呼吸し 心の奥の声に耳を傾けて、それでもやっぱり先に進みたいと思ったら、きっぱり決心して、背筋をぐっと伸ばし お腹に力を入れ、にっこり笑って力強く

YES.

と言う。



「YES」って言うとき、余分な力が抜け 心がふわぁと開いて大きく大きく広がっていくような氣がします。

「NO」は反対に、内側に向かってぎゅっと凝縮して硬くなる感じ、なにかを守ろうとして身構える印象。

「NO」は隔てを作り、「YES」はひとつに戻ってゆくのだと、そんな氣がします。


人の世では 自分の信念と照らし合わせてきっぱりと「NO」を言わなければならないこともあるけれど、

天の誘いに応える言葉は、いつも「YES」。

ちっちゃな自分への執着から離れて、迷いなくすべてを差し出し、明け渡す言葉。



無条件にYESと言うときは、とっても無防備で、だからこそどんな防御よりも強いのでしょう。



天を、自分を、未来を信じて、どこまでもどこまでも進んでいこう


SAY YES